「これまで避けてきた“恋愛”を初めて素直に描いた小説です」『昨日星を探した言い訳』河野裕インタビュー

小説・エッセイ

公開日:2020/9/5

河野裕さん

河野裕
こうの・ゆたか●1984年、徳島県生まれ。グループSNE所属。2009年、『サクラダリセット』でデビュー。主な著書に『いなくなれ、群青』から始まる「階段島」シリーズ、『つれづれ、北野坂探偵社』『さよならの言い方なんて知らない』などがある。

 

 すでに廃校となった母校の校舎で、坂口孝文は茅森良子を待つ。彼女は坂口がかつて恋をして、そして裏切り、深く傷つけた人だった。そんな坂口から再会を願う手紙を受け取った茅森は、強く思う。

〝─私は、あいつが嫌いだ。大嫌いだ。〟

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『サクラダリセット』や『いなくなれ、群青』に始まる「階段島」シリーズなど、少年少女たちの純粋ゆえの葛藤をジャンルに縛られずに描いてきた河野裕さん。最新刊『昨日星を探した言い訳』は、そんな河野さんが初めて手掛けた長編恋愛小説だ。

「人間の関係性をひとつの枠に当てはめることがあまり好きではなく、これまではむしろ〝恋愛の枠におさまらない特別な関係〟を書くことに興味がありました。ただ、それは『階段島』シリーズで〝やりきった〟という思いがあったんです。それで今回は、避けてきた〝恋愛〟を素直に書いてみよう、と。私にとっての恋愛小説とは、いったいどういうものになるんだろう、と掘り進めていくような感覚でした」

 物語の主な舞台となる制道院学園は中高一貫、全寮制の伝統を重んじる名門校。茅森良子は中等部2年のときにこの学校に転入してきて、自己紹介で堂々と「将来の目標は、総理大臣になることです」と宣言する。坂口孝文は自分の価値観とかけ離れた彼女の言葉に違和感を覚えるが、同じ図書委員になったことで接点ができ、その言動を間近で見ていくことになる。物語はそんなふたりの交互に替わるモノローグによって展開していく。

「坂口は私にとってベーシックな主人公像のひとつで、常に自分の中にいるような存在です。私の小説は基本的に、誰かがひとりの人間に対して抱く絶対的な信仰に近い想いと、その関係性を描くものなんですね。茅森はそういった信仰の対象になるキャラクターで、それは私自身が純粋に〝かっこいい〟と感じる要素の結晶ともいえます。社会的に弱者とされる立場でいながら、とても強い意志をもった人間。今回は主人公のひとりとして、そういう人物を描きたいという思いがありました」

恋愛と差別に共通する〝正しさ〟の問題

 茅森良子の瞳は緑色をしている。本作はこれまでの多くの河野裕作品と違い、超人的な能力や異世界のような特殊な設定は出てこない。世界観はほとんど現実と変わらないが、茅森のように緑色の目をした人々が存在するという設定だけが現実と異なる点だ。緑色の目の人々はマイノリティとして差別、抑圧されてきた歴史があり、その差別的な意識や偏見は根強く残っている。茅森は自分がそんな弱者であることを否定し、差別や抑圧をすべてねじ伏せて圧倒的な強者になることで、真に平等な世界の実現を目指している。

「差別や抑圧、そして恋愛には〝自分と前提が異なる人間とどう付き合っていくのか〟という問題が共通していて、根源的にとても密接なものがあると感じています。だから、恋愛を描こうとしたときに必然的に差別や抑圧といったテーマ性が浮かび上がってきました。もちろん、報道などで接する現実のそうした問題について違和感を覚えることがあったのも、緑色の目が存在する世界を書こうと思った動機になっています」

 そんな差別や抑圧について感じることを自分なりに噛み砕いて物語にしようとしたと河野さんはいう。

「世の中には差別的で抑圧的な古い価値観を持っている人々がいて、一方にそういった価値観に強固に反対して正さなければならないと考えている人々がいます。そして、傍観者的な立場から両者の振る舞いを眺めて、ジャッジしようとする人々がいる。人数として一番多いのは、きっとこの傍観者的な人たちでしょう。社会的には差別的な価値観が間違っていて、それに対抗する人々が正しい。もちろん私自身もそう思うのですが、掲げる目標が本質的に正しくても、その手段が理性的でなかったり、攻撃的すぎたりして、傍から見ていると違和感を覚えることは当たり前に発生します。自分たちの信じる正義を実現するためには、傍観者的立場の人々の賛同を得るための対話やパフォーマンス、価値観の刷新が必要なはずなのに、そこがおろそかになっているのではないか─そういった個人的な感覚もこの小説のベースのひとつになっています」

 目標実現の第一歩として、制道院初の緑色の目をした生徒会長になることを目指し、政治的な駆け引きをしていく茅森。その言動に反感を覚える生徒も多いが、フェアネスにこだわる坂口は茅森に協力するようになり、ふたりは学校の伝統行事〝拝望会〟の改革に動き出す。この行事は500年前に緑色の目をした人々が攻められた侵略戦争がルーツにあり、そのためにいくつもの議論を巻き起こすことになる。そして、茅森と坂口も〝平等とは何か〟〝優しさとは何か〟〝客観的な正しさは存在するのか〟といった問いについて語り合うことで、互いを少しずつ理解し、特別な信頼関係を築いていく。そこに描かれる倫理にまつわる真摯な議論の数々は、読者にも自身の姿勢を問いかけるものになるだろう。

「倫理は小説のテーマとしても、エンターテインメントの要素としても、非常に面白い。倫理は〝死〟と同じように誰にとっても他人事ではなく、それぞれの価値観で感じ方が違い、考えを掘り下げる余地があるからです。実際、誰もが自分のことを倫理的に善い人間だと思っているでしょう。しかし、この自分の信じる〝正しさ〟だけが唯一の〝正しさ〟だと思い込むことが、さまざまな問題を引き起こす原因になっているのではないでしょうか。差別的な問題においても、恋愛においても〝自分の信じる正しさが唯一の正しさではない〟と気づくことが、ひとつの解答になる気がします。だから、この小説ではそれぞれの正義がぶつかり合うこと、恋愛の相互理解を同質のものとして扱っているんです」

自分の書きたいと思う恋愛小説が書けた

 茅森と坂口はトランシーバーで秘密の通信をしながら、ある脚本を探し出そうとする。それは茅森の育ての親である亡き映画監督が遺した幻の脚本で、彼女が理想とする〝明日〟の世界が描かれているはずだった。しかし、その脚本がふたりの関係を決定的に変えてしまう─。未来を見つけるために〝周波数を共有〟していたふたりに何が起きて、坂口は茅森を裏切り、茅森は坂口を「大嫌いだ」と強く想うまでに至ったのか。いくつもの伏線を回収しながら、精緻な文章で熱く切ない心情を独創的に表現していくクライマックスは、まさに作家・河野裕の真骨頂だ。

「自分が書きたいと考えていた恋愛小説を書けたという満足感はあります。もともと、私は小説を書くことで世の中に何か影響を与えたいみたいな気持ちは全然ないんです。ただ〝書きたい〟という強い衝動があって、その衝動のままに小説の神様だけが知っている正解のピースを探し続ける─そういう感覚で小説を書いてきました。自分にとって理想のテキストを追求することを一番大事にしていて、〝わかる人だけわかればいい〟と考えていたところもあったのですが、この小説はできるだけ多くの人に届いてほしいと思っています。もちろん、何かしらの主義主張を押し付けるような作品ではないし、そういう気持ちもありません。純粋にエンターテインメントとして楽しんでもらって、その中で茅森や坂口の考え方に共感したり、〝自分の正しさ〟について考えたりしてもらえるとすごく嬉しいですね」

取材・文:橋富政彦 写真:臼田尚史

『昨日星を探した言い訳』

『昨日星を探した言い訳』
河野裕 KADOKAWA 1500円(税別)
制道院学園へ転入してきた緑色の瞳を持つ茅森良子。緑色の目に対する差別や偏見が根強く残る中、彼女は総理大臣になって平等な世界を実現することを真剣に目指していた。坂口孝文は目標実現の第一歩として生徒会長を目指す茅森の活動に協力するようになり、ふたりは互いに理解を深めて、惹かれ合っていく。しかし、ある事件をきっかけにその関係は一変して──。