人間の深みは、知識でもなく教養でもない。人には言えない秘密にあるんじゃないかしら

新刊著者インタビュー

更新日:2013/12/4

思索がもたらす豊かさ

──水面下にある秘密こそが、その人の実存。もしくは生の熱の温度なんですね。
「苦悩とか哀しみであるとか、そういうのが実存の正体なんだと思う。ただ、社会的動物としては、その実存をばらまいては生きていけない。でも、人間ですから自分の中に嵐が渦巻く。それに耐えられなくなるときもあるけれど、人に相談しても解決はつかない。人生というのは解決のつかないことの連続で、人はその連続の中でしか生きられないんですよね」

──尾行という行為にスポットを当てれば、他者の領域への侵犯ですが、このお話は真逆。内部領域の拡大の話だという点に、たいへん興奮しました。
「私が珠に託したのは、考えるという行為の大切さ、面白さなの。もし若い読者がこの本を読んだら、ぜひそこを汲み取ってほしい。尾行がバレて窮地に陥ったとき、珠はゼミの篠原教授に相談に行くでしょう。あそこで篠原教授に言わせたんですが、思索は、私たちを苦しい現実から解放してくれるんですよ」

──教授は、思索を怠れば、矮小な現実に閉じ込められる、というようなことを言っています。
「現代社会では、多くの人が不安とか寄る辺なさ、喪失感、空しさ、切なさを感じていると思うけど、そういう状況の中でも自分の脳を使って考える。自分の置かれた状況を分析し、自分自身を俯瞰して眺める。自分の持っている観念性みたいなものに触れることによって、新しいものの見方ができるんだと思うの。そして、なにより肝心なのは、自分自身に向かって発する言葉。珠はそれをやっているんです。

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 私も憶えがあるの。パリに行った時、夫の藤田(宜永)の友人であるフランス人の家に夕食に招かれたことがあるんだけど、いきなり聞かれたのが“マリコは日本の天皇制についてどう思う?”だった(笑)。自分の知識を総動員して答え、会話という社交をしたけど、そういうときって一生懸命だから、日常にこびりついた不安みたいなものを忘れてしまっていたのがおかしかった」

──このお話は嵐の後、ある種の平和を各人が取り戻します。しかし、物事は最初にあったようではない。例えば、珠がまた新たな冒険を始めようとするところなどにはクスッとさせられます。このラストまでの数ページがとりわけ流麗。それこそ小池さんの人生に対する文学的・哲学的な考察があると感じました。秘密と孤独。この本には小池さんがずっと書かれてきたテーマが2つも入っています。
「私の小説は登場人物が少ないとよく言われますが、何故かというと、物語自体より登場人物たちの本質に触れるようなことを書きたいと思っているからなの。そうすると、その人が抱え込んだ秘密みたいなものが8割を占めることになる。大雑把に言えば、人の秘密を書いてきたのかもしれないな、とは思いますね。孤独もしかり。ある異様な行動に走っていくときの人間の心の内には、必ず物質的な豊かさでは満たされない、人間の孤独みたいなものがある。もちろん、そういう孤独感は私の中にもあります。

 そういえば開高健が面白いことを言っていました。百人の作家がいたら、百通りの作風と文体があるけど、一つだけ共通項がある。“俺(や私)を助けてくれ”だ、と(笑)。読者もまた、そういう作家の叫びを受け取って、糧にしていくんでしょうね」

取材・文=温水ゆかり 写真=冨永智子
撮影協力=軽井沢 ホテルブレストンコート

紙『二重生活』

小池真理子 / 角川書店 / 1890円

大学のゼミで奇妙な女性アーティストの存在を知り、尾行という行為に魅了されていた大学院生の白石珠。ある日近所に住む編集者の石坂を見かけたことから、和製ソフィ・カルを気取って尾行を始めるが、他者から実存をくすね取るようなその行為は石坂周辺だけではなく、彼女の内面にも漣のような変化を起こす。若い女性の抽象思考の冒険譚。異色作にしてフレッシュ作でもある。