「決意と覚悟、すべてを捧げたヒロイン」を経て、進化を見せるとき――『神様になった日』佐倉綾音インタビュー

アニメ

公開日:2020/10/11

佐倉綾音

「『Angel Beats!』『Charlotte』を経て――、麻枝 准は原点回帰する。」――この言葉を掲げて、10月10日放送開始のTVアニメ『神様になった日』は始動した。『AB!』から『Charlotte』まで5年。そして、『Charlotte』から本作に至るまで、5年の歳月が経過した。PCゲームとしてリリース、のちにアニメ化されたKeyブランドの傑作たち=『Kanon』『AIR』『CLANNAD』『リトルバスターズ!』で、数多くのユーザーの心を揺さぶりまくった麻枝 准が、みたび原作・脚本・音楽を担当する、オリジナルアニメーション。そして宣言された「原点回帰」。麻枝作品で笑い、涙を流してきた者にとっては、最新作で披露される彼の「原点」とは何であるのか、どう心を動かしてくれるのか、楽しみで仕方がない。そんな『神様になった日』の真実と背景に、メインキャラクターを担当するふたりのキャストの言葉、そして麻枝 准自身へのロング・インタビューで迫っていきたい。

 第2弾は、ヒロインのひなを演じる佐倉綾音に登場してもらった。5年前、同じくメインヒロインの友利奈緒役として参加した『Charlotte』は、彼女にとって強烈な体験となった。「友利が理解できない」と悩み、葛藤し、とことん芝居と向き合いながら、決意と覚悟を持って友利を体現するべく闘っていた。再び麻枝作品と対峙することになった『神様になった日』で、どんな芝居を披露してくれるのか――『Charlotte』で得たものを振り返りつつ、本作や麻枝作品への想いを語ってもらった。

神様になった日
TVアニメ『神様になった日』TOKYO MXほかにて毎週土曜24:00~放送中 (C)VISUAL ARTS /Ke /「神様になった日」Project

(麻枝作品は)命を削って作っていそうだな、すごく切羽詰まってる雰囲気があるな、と感じる

──まずは、『神様になった日』のメインヒロイン・ひなを演じることになって、感じたことを教えてください。

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佐倉:今回も友利のときと同じでオーディションがあったのですが、お話が来たときに、わたしは『Charlotte』で友利役をやってしまっているから、もうヒロイン役はないと思っていたんです。ただ、やっぱり「また麻枝さんの作品に出たい!」という思いだけはとにかく強かったので、伊座並や空のほうを重点的に読み込んで、気合いを入れて受けたんですよね。正直ひなに関しては、最初の印象はあまりなく、もう、自分とは遠いところにいる子だと思ってました。それで、「受かりました。ひな役です」って言われたときに――困惑ですよ(笑)。「やらかした!」と。

──(笑)佐倉さんに「また麻枝さんの作品に出たい!」と思わせるものって何だったんですか?

佐倉:声優の仕事を知ったのと同時くらいのタイミングで、名作と呼ばれているアニメを観て勉強しようと思って、そのときにKey作品、麻枝さんの作品に触れたんですよね。『AIR』も『CLANNAD』も拝見して、麻枝さんというすごい才能がいるんだと、その当時から刷り込まれてました。だから『Charlotte』も、オーディションを受けられるだけで万々歳だと思っていたし、人生の中で2回も麻枝作品でヒロインを演じるなんて不可能に近いことだと思っていたので、今回もビックリして。

 麻枝さんの作品って、まとっているオーラが他と少し違う感じがあるんですよ。単に絵がきれい、単にキャラクターがかわいい、単に物語が面白い、だけじゃなく、もっと何か、理屈じゃない、人間の生理に訴える何かがある感じがしていて。それもあって、デビュー当時に観たときから印象に残っていたんですよね。その特別感って……脚本や作品の雰囲気から、命を削って作っていそうだな、すごく切羽詰まってる雰囲気があるな、と感じるんです。それって、常人がやろうと思ってできることじゃなかったりするんですよね。シンプルに、そういう感性を麻枝さんの作品から受け取ってしまったから、忘れられないんだと思います。

──『AIR』や『CLANNAD』から受け取ったその感覚は、『Charlotte』にヒロイン役として飛び込んだことで、少し形になったりもしたんでしょうか。

佐倉:『Charlotte』は、本当に忘れられない作品になりました。アフレコをしている間は何も手応えを得られなかったのに、オンエアを観た瞬間にすべてが手応えに変わった経験をした作品は、『Charlotte』だけなんですよね。オーディションのときも、「受けられる、嬉しい!」と思ったあとに原稿を読んで、「この友利というキャラクターの感情や頭の中がまったく理解できない!」と感じていて、それは結局アフレコを終えても最後まで解消されることはなかったです。友利は頭の回転が速すぎて、感情のスイッチがどこにあるかもわからず、すべてを理解することはできなかったなと。でも自分にできることはやったし、OKもいただいたから、「もう、これでよかったんだ!」と、自分を納得させていたふしがありました。それが、絵がついて、音がついて、数々の才能たちが手を加えていった結果、ものすごい説得力でこのキャラクターができあがっていて。そこに自分の声もちゃんと絡まっていて。「こんなことってあるんだ!」と思いましし、そういう不思議な体験をした作品は、なかなか他にないです。

──実際、『Charlotte』の収録の時期にお話を聞きましたけど、「体力も精神力も持っていかれる。日常が全部削られてる感じがする」って言ってたじゃないですか。それってもう、極限状態ですよね。

佐倉:いやもう、切羽詰まっていたんだと思います(笑)。「理解できない!」という不安が大きくて、追い詰められてました。わたし自身、あまり感性だけで芝居をする人間じゃなかったので、たぶんそのことも自分で自分を苦しめていた原因だったと思います。理詰めでキャラクターを理解しようとするタイプの役者なので、当時は「理解できてないのに音を出す」ことに対する罪悪感も強かったんですよね。だからとにかくヒントを求めていたし、日常で何か理解できない人を見つけた瞬間に、「この中に友利はいないだろうか?」と探してしまったりしていました。

──なるほど。まさに、日常が全部削られて、持っていかれちゃう感じですね。

佐倉:そうですね。当時、友利のヒントとしてプロデューサーからもらった映像作品があって、それを観たときに、確かに友利の正解がそこにあったのですが、わたしの中では「このまんまやる」がどうしても許せなかったんです。そこからヒントを得て、ちゃんと友利という唯一無二を生み出したかったから。たぶん、頭が固い上に理想が高くて、どんどん自分を追い詰めていたんですよね。最近、『神様になった日』をやることになって、実はそのヒントになっていた作品をちょっと観返したんですよ。5年経ったから自分の見方もちょっと変わってるだろうな、と思って観返したら、「ああ……この役をバラバラにして、必要なところを友利に詰め込んだなあ」って、すごく懐かしい気持ちになりました。

──苦闘の果てに、それは果たせていたわけですね。

佐倉:苦闘の果てに、ですね(笑)。そのとき、日常で出会ったちょっと理解できない人たちを分析して、バラバラにした要素を、いろんなものを友利に詰め込んでました。いま思い返すと、壮絶だったな、と思います。

──当時、「友利には小さなめりはりがある」という話があったけど、決して感情が動いていない人ではなく、内面にめりはりがあって、それを一個一個拾わないと音にできない、ということだったのかな、と。佐倉さんが形作った友利は。バラバラだった要素の集積でもあるという。

佐倉:そうですね。たぶん、友利の頭の中では、いろいろなことが成立しているんだと思っていて。ただ、あまりにも回転の速さが常人からかけ離れすぎていて、わたしやまわりには理解されていなかった。きっと何か、友利の中ではつながっている思考があって。たとえば1、2、3、4、5があったとして、彼女が口に出すのは1と5だけ。それを、限られた時間で、自分の中で2、3、4を考えたり作ったりしていると、辻褄も合わなくなる。だから、「そこまでやってはいけない」と思ったし、理解できない人を分析するのが最短ルートだろうと考えて、一生懸命やっていたんだと思います。

──そのときの佐倉さんが言ったことで特に面白かったのが、「行き詰まると台本にレポートを書いて、自分の中でディスカッションを始める」。正しい芝居とは何かを書いていく」という話で。

佐倉:ははは! それだけ聞くとめっちゃかっこいい! すごくちゃんとした人みたい(笑)。

──(笑)その言葉に、「友利を体現するんだ」という並々ならぬ決意と覚悟を感じたんですよね。だって、「正しい芝居とは何か?」まで突き詰めないといけない作品であり役であった、ということで。実際、「その答えがわかってたら、お芝居なんてしなくていいよ」っていうレベルの問いじゃないですか。

佐倉:そうなんですよね(笑)。でも、未だにそれは、やっちゃいますね。追い詰められる機会がないと、友利のときほどまではいかないですけど。

──今この時点で考えたら、もしかしたら違う答えが出るのかもしれないですけど、『Charlotte』で佐倉さんが友利に向き合ってつかんだ正しい芝居とは、どういうものだったんでしょう?

佐倉:友利にとっての正しい芝居は――結局、自分がそうやって考えていることって、実は友利にとってはなんの意味もないことなのかもしれないって、途中で思った瞬間があって。それは、彼女のことがあまりにもわからなくなって、「わたしは今、彼女の思考は1、2、3、4、5があって、1と5だけを口に出してると思っているけれど、そもそも2、3、4なんて彼女の中にはなく、シンプルに1から5に飛んでいて、本当の天才というか、サイコパスというか、そういう人もいるのかも」って思ったら、一回心が折れたんですよ。でも話が進んでいって、彼女にも思いや感情があって、最終的には自分のためなのかもしれないけど、少しでも人のために動くという感覚が最終話近くやOVAで見えたときに、「あっ! 間違ってないかも!」と思たんです。そこで自信を取り戻して――取り戻したときには、もう終わってたんですけど(笑)。

 なので、当時のわたしにとっての友利の「正しい芝居」は、「1から5の、2から4が飛んでる」で、たぶんFIXしてたんだと思うんです。今、友利をやったら、たぶん小賢しいことをいろいろしてしまう気がします(笑)。この5年で積み上げてしまった経験値と技術でなんとかしようとするかもしれないし、もしかしたらあそこまで突き詰められなかったかもしれないし。

──その術を持たなかった5年前は、とにかく真正面からぶつかった、と。

佐倉:未だにその癖が出て、真っ正面からぶつかって追い詰められることがつい最近もあったんですけど、「『Charlotte』のとき、こんな感じだったな」って思い出しました。毎日台本を持ち歩いて、表紙がボロボロになるまでいろんな鞄に詰め替えて、暇さえあれば読んで、ますますわからなくなって、みたいな感覚は、まだわたしの中にあるんだなと。『神様~』はそういう作品じゃなかったのが、ちょっと救いでしたね(笑)。

──(笑)そういう意味では、友利から受け取ったのは「真っ正面からぶつかる芝居ってこういうことなんだ」という気づきだったのかもしれないですね。

佐倉:そうですね。そして、ちゃんとぶつかれば、その場で手応えがなくとも、完成したときに手応えに変わる経験をさせてもらえたので、それも救いだったな、と思います。

佐倉綾音

ひなは、ある程度自己プロデュース力を持った子だから、ただの幼い女の子の芝居ではダメだ、という意識があった

──その友利の体験から5年越しで臨む『神様になった日』ですが、『Charlotte』を経た佐倉さんがこの作品に貢献できるポイント、果たすべき役割、そこに生じる責任について、どう考えていましたか。

佐倉:やっぱり、決まったときから「なぜわたしにしたんだろう?」という疑問がずーっとあったので、それを真っ正面から麻枝さんと監督(浅井義之)にぶつけてみたんです。単純に、幼い女の子を演じるんだったら、わたし以外にも適任の声優さん、もっとかわいらしく演じられる方はたくさんいるわけで。そうしたら、「実は『Charlotte』は関係なく、ただこの声の人にやってほしいなと思ったからなんです」と言われて。この作品は麻枝さんの“原点回帰”がテーマで、「たくさんの人に泣いてほしい」「心を動かしたい」という思いがある中で、オーディションで泣きのお芝居を聴いたときに、「それが一番よかったのが、佐倉さんと花江くんだった」という話をお聞きしました。

 麻枝さんからも、「友利とひなの声を聞いて、同じ人だと僕は思わない」ということだったので、「友利の幻影は追いかけなくていい、新しくひなに対してゼロから向き合い直すことが求められているんだ」と思って、そういう向き合い方をしていたんですけど……ひなが友利を思わせるセリフを言ったりするんですよ――「言うんかい!」と思って(笑)。『Charlotte』のことは一旦置いておいて、過去の幻影に縛られることなく作っていこうとしたわたしの思いが、そこで一瞬ブレましたね(笑)。

──(笑)。

佐倉:でもある意味、麻枝さんって同じキャストさんを、「劇団麻枝」みたいな感じでゲストキャラクターに使われたりするじゃないですか。キャラの名前がちょっと似てたり、ポジションが似ていたり、あとは麻枝さんのお好きな野球が出てきたりするし、「麻枝軸」みたいなものに踏み込む瞬間が、どの作品にもあるんですよね。

──確かに。麻枝さん自身も言ってたけど、『AB!』の高松と『Charlotte』の高城が、結果まったく同じになっちゃってる、とか(笑)。

佐倉:そうそう。それの一環なのかな、と考えたら、なんとなく納得できました。少しだけ友利のことを思い出しつつ、バランスを見ながら、新しいヒロイン像を作れたらいいな、と。

神様になった日

神様になった日

神様になった日

──この取材の準備で、3話までの映像を観させてもらったんですよ。

佐倉:いいなあ。その後、わけがわからない回がありますよ(笑)。わたしはその回が大好きなんですけど、絵で観たら相当面白いと思う。「何これ?」ってなります(笑)。

──(笑)3話までが素晴らしいのは、ひとえにキャラクターなんですよね。もう、ひながとにかくかわいくて。で、これは麻枝さん作品なわけで、序盤の話数でひなが観る人に愛される存在になれるかが大事だし、作品の成功もそこにかかってると言ってもいいと思うんです。つまり、そこで佐倉さんが背負うタスクというのは、ものすごく重要なわけですけど。

佐倉:オリジナル作品ってヒントが少ないので、1話からキャラクターをつかむことって、けっこう難しくて。できているつもりでも、後半に行くにしたがって振り返ると、結果1話のときはつかめていないように見えてしまうときがあるんですね。でも、ひなは友利ほど複雑なキャラクターではなくて。ひな自身も自分のことをすべて理解しているわけでもなく、ただとてもわかりやすく、陽太に会いに来て、楽しいことをするのが前半における彼女の目的だったので、道筋がわかりやすかったし、つかみやすい状況でした。だから、1話からわりとキャラクターをつかんだまま始められたのですが、あとはもう絵の力がとても大きかったと思います。

 わたしも1話を拝見したんですけど、今回のキャラクターデザインは丸みを帯びたかわいらしい感じ、ぷにぷにした質感になっていて、「今までのKey作品にはちょっとなかったテイストだな」と感じました。とにかく絵がよく動いて、表情がコロコロ変わって、それだけで観ていられるなあと思う感じに仕上がっていました。なのであとは、実直にキャラに向き合っていけば大丈夫だな、と。観ている人に愛されたいという願いは、わたし自身の声優としての願いで、ひなの願いではないから、あざとくならないように、ひなが楽しく一生懸命生きていることを意識して演じていました。

──ひなが楽しくいることが、結果観てる人に愛されることに結果的につながるという。

佐倉:そうですね。「狙う」よりも「願う」ほうが強かったかな、と思います。

──ひなはテンションの上下動が激しいし、声を張るセリフも多いじゃないですか。ただ、映像を観ていて、たとえば陽太にちょっと強めにツッコんだあとのひなに、フッと力が抜けるような瞬間、間のようなものを感じたんです。だいぶ感覚的な話なんですけど、楽しくてしょうがないシーンがいったん終わるタイミングで、「スン」ってなるニュアンスがあるというか。それって、意識的なものなんでしょうか。

佐倉:それをやろうと思って入れたわけではないんですけど、確かに意識はありましたね。「ただの幼い女の子を演じてください」って言われていたら、たぶんやっていなかったと思うんですけど、あくまでも、彼女は幼いけれど中身は神様を自称している子なので、ただの幼い女の子の経験値ではない、という部分を表現したいところはありました。そういう、ある程度自己プロデュース力を持った子だから、ただの幼い女の子の芝居ではダメなんだ、という意識があったんだと思います。

 そして、それって、やっていて楽しいお芝居なんです。ちょっと頭を使うので。後半の展開もある程度聞いていたので、前半で何か余韻が残せていたら、観ている人の中で結びつきやすくなるのかな、と思ってやっていた部分はあるかもしれません。

──言葉にするなら、「0.5秒の余韻の積み重ね」が、あとあと効いてくるんだろうな、という予感がしますね。

佐倉:よかった! それを皆さんにも感じ取ってもらえたら、一番いいですよね。麻枝さん作品の女の子は、どこか不穏な空気を背負っていたりもするので、それは今回も期待していただいてよいのではないか、と思っています。

神様になった日

神様になった日

神様になった日

──今回、「麻枝准の原点回帰」が作品全体のテーマになっているわけですけど、佐倉さんは『AIR』や『CLANNAD』を通して、ある種麻枝さんの原点を知っているじゃないですか。『神様になった日』に参加して、麻枝さんのクリエイションについてどう感じましたか。

佐倉:今回は「進化した麻枝さんの原点回帰」なので、昔のままではないと思うんです。スタッフさんに伺ったんですけど、麻枝さんが「アニメーションでやる意味」を考えたときに、ゲームではアクションやキャラクターのバンド活動は表現しづらくて、アニメーションならではのものだから、そこに重きを置いて『Angel Beats!』や『Charlotte』は作り続けていた、と聞いて、「なるほどな」と思いました。アニメーションでやる意味、理由を突き詰めていた10年間だったんだなあと。そこからの『神様になった日』は、ものすごい能力を持った人がガシガシにアクションしたり、キャラクターがバンド活動もしないわけですよ(笑)。

 だから、「それが原点回帰のひとつのファクトになってくるんだな」と納得しました。だからこそ、それでも、何かアニメーションならではの表現をするとなったときに、キャラクターデザインや動きもどんどん進化しているから、アニメーションの進化で原点回帰を表現する、そういう境地なのかなと、わたしは思いました。

──なるほど。同時に、「らしさ」はまったく損なわれてないですよね。前半のギャグパートの感覚にしても、永遠の麻枝節って感じがするし。

佐倉:1話から野球が出てくるとは思わなかったですよね(笑)。だからちゃんと、あるべきものはある。で、新しく採り入れるものと、過去に置いてきたものが、バランスよく成立していったとしたら素敵だなあ、と思います。

──ちなみに、「原点回帰」と聞いて、シンプルにそぎ落とされた、引き算された作品を想像する人は多いと思うんですけど、ぶっちゃけ『神様になった日』って、けっこう要素詰まってますよね。

佐倉:確かに!

──それはでも、観る人にとって何より嬉しいことなんじゃないかな、と。

佐倉:そうですね。引いた分、別のものが濃くなっている(笑)。濃くなった結果、麻枝さんの麻枝さんらしさが「うん、いるなあ」みたいな。何かを引いた結果、一個一個の濃度が高くなってるので、麻枝さんの作品を今まで観てきた方と、新しく入ってくる方、両方の反応が気になるところではありますね。

──『神様になった日』は、声優・佐倉綾音にとって、どんな存在の作品になると思いますか?

佐倉:もう、手応えは『Charlotte』の何倍も早く伝わってきています。『Charlotte』は、「あなたの声優人生を教えてください」って言われたときに、間違いなくタイトルを挙げる作品だと思うんですけど、それは最後まで観終えて、やっとそう言える自信がついた。そういう速度感でした。『神様~』は、今の時点で、こうやって作品に力を貸して、力をたくさんもらったって、今の段階で言えてしまうくらい、手応えを早く感じた作品です。あとは、観てくださった方、最後までこの作品を追いかけてくださった方の涙が見られたら、一番ですね。

──きっと、佐倉さんの「0.5秒の積み重ね」がそれを誘うんじゃないですか。こっちはもう、泣く準備準備できてますから。

佐倉:あはは。そのための種はたくさん蒔いたので、あとは花が咲くのを待つだけ、です。


『神様になった日』公式サイト

取材・文=清水大輔 写真=藤原江理奈
ヘアメイク=久保純子(addmix B.G)