注目の作家が描く、本の世界を舞台にした冒険ファンタジー『この本を盗む者は』深緑野分さんインタビュー

小説・エッセイ

更新日:2021/2/16

『この本を盗む者は』イラスト
イラスト:宮崎ひかり

〈ああ、読まなければよかった!これだから本は嫌いなのに!〉。
物語に呑み込まれていく街を救うため、2人の少女は物語の世界を駆け抜けていく。歴史小説『ベルリンは晴れているか』『戦場のコックたち』で注目を集める深緑さんが生み出したのは、新機軸とも言える、本の世界を舞台にした冒険ファンタジー。本好きにはもうたまらない、“本は苦手”という人の心にも刺さりまくる、本の魔力と魅力が詰まった空想の宝箱が開き出す──。

深緑野分さん
写真:疋田千里/KADOKAWA

深緑野分
ふかみどり・のわき●1983年、神奈川県生まれ。2010年「オーブランの少女」が第7回ミステリーズ!新人賞佳作に入選。13年、入選作を表題作とした短編集でデビュー。15年に刊行した長編小説『戦場のコックたち』で16年本屋大賞7位。18年刊行の『ベルリンは晴れているか』では、第9回Twitter 文学賞国内編第1位、19年本屋大賞第3位となった。

 

自分の妄想を信じることができた意味ある一作になりました

「物語の力って、諸刃の剣というか、強すぎる部分もある。私はその力を割と後ろ向きに捉えていて、怖いものであると感じているんです」

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 物語に愛着を持つ両親のもと、幼い頃から本と親しみ、気付いたときには日常的な遊びのなかでも「ずっとお話を作っていた」という深緑さんのなかにある、物語に対するそんな仄暗さ。それが、本嫌いの高校生、主人公・御倉深冬には投影されているという。書物の蒐集家を曾祖父に持ち、彼が残した巨大な書庫“御倉館”の管理人を父が務めているという、“本の申し子”のような出自と環境を授かっていながらも。

「編集者さんからの“女の子2人の話を”というお題から考えた物語のテーマを、本にしようということは、早い段階で思いつきました。物語のなかに、“ブック・カース”というものを使ってみたいという思いが、私のなかには以前からあったので」

 ブック・カース=本の呪い。

「昔から中世の写本に興味があって。印刷機がまだ登場していなかった時代、修道士たちは聖典を一冊、一冊、手で書き写していたのですが、貴重なその本が盗まれないよう、呪いをかけていたと伝えられているんです。呪いをかけることによって、盗まれることを防ごうとするその気持ち、さらに本自体にも、読む人に魔術的な予感を抱かせるところがあると思っていて。そうしたところから、現代を舞台にした、本にまつわるファンタジーが生まれてきました」

 書店や古書店、ブックカフェが軒を連ねる“本の町”読長町。角のまるい菱形をした町の真ん中に建つ“御倉館”は、曾祖父・嘉市の生きていた頃には、町の誰もが一度は入ったことがあると言われるほどの名所だった。だが同じく優れた蒐集家であった娘・たまきが引き継いだ後、しばしばあった盗難のなかでも、ひときわ酷い事件が起こる。激昂したたまきは御倉館を閉鎖、そして深冬が小学校3年生のときに亡くなるのだが、その後、信じがたい噂がひっそり流れ出す。祖母・たまきは書物のひとつひとつに奇妙な魔術をかけていたというのだ──。

直感と運動神経で書きました

 2人で暮らす父が怪我をし、深冬は父の代わりに、御倉館にひとり住む、叔母・ひるねの面倒を見にいく。名前のとおり、日がな眠りこけているひるね。その手の中を見ると一枚の御札が。〈魔術的現実主義の旗に追われる〉──そこに書かれた文字を読むなり、雪のように白い髪をした少女が忽然と現れ、語りかけてきた……。だが、深冬が覚えたのは恐怖より苛立ち。そうした彼女の何事にも動じないような気質は、そこから始まる冒険に拍車をかけていく。

「今の若い世代の人を見ていると、しっかりしていて、現実主義で、達観している子が多いなという印象があって。そんなところを深冬には投影しています。そういう子が、自分の理解の範疇を超えることが起きたとき、自分ではどうにもならないものと対峙したときに、それを乗り越えていくものを書いてみたかったんです。深冬のような日常生活をちゃんと送っている逞しい鍵っ子は、書いていてとても楽しかった」

〈泥棒が来て、呪いが発動したから〉〈深冬ちゃんは本を読まなくちゃならない〉──“真白”と名乗る、白い髪の少女の言葉に促され、苛立ちながらも一冊の本を手に取る深冬。雨雲と太陽を呼ぶ兄弟の不思議なその物語を途中まで読んだとき、深冬は世界が変わっていることに気付く。ブック・カースが発動し、侵食されるように、読長の町が物語の世界へと姿を変えていく。

「日常を呑み込むものとして、発動する物語には、最近あまり読まれていないジャンルを使ってみようと思いました。《第一話 魔術的現実主義の旗に追われる》では、マジックリアリズムの世界を描きましたが、突然、真珠の雨が降ってくるということが当たり前に起きるような、“ファンタジーなんだけど、ちょっと違うぞ”みたいなこのジャンルって、名前すらあまり知られていない。“これって何?”と思いながら、読んでもらえるようなジャンルを、章ごとに選んでいきました」

《固ゆで玉子に閉じ込められる》《幻想と蒸気の靄に包まれる》……。一話、一話に付けられた謎解きのようなタイトルが示していくものにも心が躍る。〈今から深冬ちゃんは泥棒を捜さなきゃならない。泥棒を捕まえたら、ブック・カースは消えて街も元に戻るから〉。御倉館の外へと出た深冬を最初に待っていたのは、月がウインクし、犬が歌い、猫が浪曲をうなる町。そして馴染みある町の人は皆、物語のなかの登場人物と化している。

「第二話では、ニヒルな役に、深冬のよく知る意外な人がなっていたり(笑)。第三話くらいまでは、深冬が読み、その世界へと入っていく作中作の方が先にあったんです。そこに登場人物たちが翻弄されていったのですが、四話、五話と、章を重ねていった先では、深冬や真白たちの方が代わって先に立ち、物語を引っ張っていきました」

 ブック・カースが発動されるたび、その呪いのなかにある“システム”を少しずつ理解していく深冬。“禁本法”のなかで地下組織が蠢き、巨大な銀の獣が鳴き声をあげるなか、彼女の知恵と身体能力を駆使した冒険は、その理解とともに、どんどんダイナミックになっていく。

「この物語は運動神経で書きました。『ベルリンは晴れているか』や『戦場のコックたち』は歴史物だったので、とにかく調査が必要で、その調査の結果と自分の書く物語を融合させていかなければならなかった。ゆえにすごく頭を使ったのですが、この物語は、直感や運動神経で書いていった感があります。本を読んではいたけれど、もともと私は、外でばっかり遊んでいる子どもだったので、そのときの楽しさ、疾走感をフルに駆使していました」

 そのなかで、自分の抱いていた疑問や謎を少しずつ解き明かしていく深冬。なぜ自分は本が嫌いなのか、物語に呑み込まれた町で狐の姿となるその人物は、なぜ何度も本を盗むのか、そして、かけがえのない“同志”となっていく少女・真白とはいったい何者なのか……。

“楽しく書いたっていいじゃないか”って思うんです

「私は最初に映像が出てきて、あとから言葉が追いついてくるタイプなので」

〈すごい。アニメみたい〉。作中で深冬が言うように、物語世界の見え方は“言葉のアニメ”。多くの人が、“これは初めての読書体験”という感触を持つことになるだろう。そして本をテーマとしたところからは、深緑野分という作家の“読むと書く”の真髄や、登場人物に対する思いのようなものにも触れるような気がする。疾走感のなか、行き着くラストでは、深冬とともに得た“物語の力”が身体中に染みわたっていく。

「深冬ははじめ、やさしさを隠そうとするタイプの子だったんです。でも冒険を重ねていくごとに、もともと持っていたやさしさが出てきた。やさしさって、ある種の腹の括り方だと思うんです。それをちゃんと出すことができるようになれば、大人になったということなのかなって。そして私も、この物語で自分の扉をひとつ開いた気がする。運動神経で書くものは自分の妄想だけで書くので、“本当に合っているのかな”という不安はあるんですね。でもそれは今後もやっていきたいことで。書くもののジャンルは決めたくないし、限定もしたくない。“楽しく書いたっていいじゃないか”って思うんです。この本は、自分の妄想を信じるという意味で、私にとって意義ある一作になりました」

取材・文=河村道子