発売前重版で早くも10万部突破! 滅びゆく世界で人々を照らす光とは?『滅びの前のシャングリラ』凪良ゆうインタビュー

小説・エッセイ

更新日:2021/1/26

凪良ゆうさん

凪良ゆう
なぎら・ゆう●2006年、『恋するエゴイスト』にてBL小説家デビュー。17年、『神さまのビオトープ』で読者層を広げ、20年『流浪の月』にて本屋大賞受賞。「どうしようもなく駄目な部分も含め、ぽろっと零れ落ちる人間性の美しさが私は好きだし、そこに執着してしまう人の想いを描きたくなるのだと思います」(凪良さん)

 

〈江那友樹、十七歳、クラスメイトを殺した。〉という一文から始まる、『滅びの前のシャングリラ』。本屋大賞受賞後第1作として期待を集め、発売前重版が決まり10万部を突破した本作は、小惑星衝突による人類滅亡を1カ月後に控えた世界を舞台に、現代日本に生きる四人を描きだす。

「なにかいやなことがあったとき、『ああもう明日地球が爆発してくれないかな』って考えること、ありません? もちろん本当に爆発したら困るんだけど、でもその瞬間、『やっと終われる』とほっとする人もいるんじゃないかと思って。ごく少数かもしれないけれど、そういう人たちのことを書いてみたかったんです」

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 その一人が、太っていて、クラスメイトからのいじめを受けている友樹だ。〈一生、搾取される羊として生きていくんだろう〉と静かな絶望を抱える彼は、小惑星衝突のニュースを聞いた当初、〈出口のない未来ごと、もうどかんと一発ですべてチャラになればいい〉と思う。

「人類滅亡という大きいテーマを扱いながら、私が書きたかったのはいつもと変わらず、他人から見たらとるにたらないくらい些細な人の感情だったのだと思います。一度はほっとしたものの、それでも最後の日までは生きなければいけないとなったとき、友樹は何を思うのか。行動としては、暴力の横行し始めた世界で好きな人を守ろうとするけれど、それは決して彼女のためだけではなく、自分のために、あと少しの猶予を精一杯生きようと決めた瞬間の彼を描けたのは嬉しかったです」

理想郷を意味する各章タイトルにこめた想い

 そこから友樹の成長譚が始まるのかと思いきや、2話はがらりと雰囲気が変わる。〈目力信士、四十歳。大物ヤクザを殺した。〉という一文から始まる、衝動的な物語。書くのがしんどかった、と凪良さんは語る。

「多くの人を理不尽に傷つけてきた彼は、わずかに善行を積んだところで到底許されるはずのない人生を歩んできたけれど、それでも許されてしまう瞬間を、強引にでも書きたかった。でもそれって、すごく塩梅が難しいんですよね。匙加減を間違えると読者は逆に許せなくなってしまうだろうし、だからといって“本当はいい人”みたいな描き方をするのも違う。作中で信士は、殺さなくてもよかった人を浅慮で殺してしまうし、多少の義憤があったとしても、“俺が腹立ったから”という手前勝手な衝動が勝っていただろうと思います。それでも、後悔はしていなくても罪悪感は覚えるし、死者に花を手向けようという気持ちにはなる。人はみな、そういう、単純な善悪ではわりきれない矛盾を抱えているものだから、信士には、最低の人間のまま救われてほしかったんです」

〈間違わないやつなんていない。それを許しすぎても、許さなすぎても駄目になる〉という3話のモノローグにも、その想いは表れている。語り手となるのは江那静香、40歳。過去に信士と関わりをもっていた、友樹の母親だ。

「母親の気持ちを書くのは初めてなので手探り状態でしたが、一人でもなんとかしてみせるという彼女の気概には共感するところもありました。信士も静香も私とは年が近いので、長く生きてきたぶん背負っている荷物が多く、簡単におろすことのできない葛藤もよくわかる。だからこそ、間違いだらけの人生をいまさらなかったことにもできないなか、その終わりが見えたとき、いかにして人は本来の自分に戻ることができるのか、希望を見出すことができるのか、というのを書きたかったのかもしれません。ふつうの人は簡単に手に入れられるものかもしれない、だけど何より欲しかった幸せを、三人がそれぞれのかたちで、最後の最後に手に入れていく姿を。だから三人の章タイトルは〈シャングリラ〉〈パーフェクトワールド〉〈エルドラド〉―すべて意味は理想郷なんです」

いまわのきわを照らすのは神の救いか、それとも

 そして4話〈いまわのきわ〉。滅亡が目前に迫る世界を語るのは、それまで名前だけ登場していた歌姫のLocoだ。一見、三人とは関係なさそうな彼女で物語を締めくくることは、最初から決めていたという。

「どんなに壮大な設定でも、濃密な個人の人間関係を描きたいというのは変わりませんが、世界が終わるその瞬間には個人の枠におさまらない何かが出現してほしい、とも思ったんです。人々の心のよすがとなる“神さま”に近い存在というか……。もちろんLocoだって、間違いだらけの人生にあがく一個人に過ぎないのだけれど、古来、人が歌や舞を通じて神をおろし平安を祈ったように、Locoの歌がもたらすものがあるんじゃないか、と。ただ、思い描いていた救いの光の実態があまりに漠然としていて、実際に死にゆく人たちの絶望をどうすれば照らすことができるのか、書いても書いてもわからなくなるばかりで、最後の3ページを書くのに2カ月もかかってしまいました。やっぱり私が挑戦するには早すぎるテーマだったのかもしれない、と半泣きでしたけれど、これまで丁寧に描いてきた個人の感情から少し離れ、その光の大きさに物語を託すことに決めたとき、ようやく書きあげることができたのだと思います」

 神、というのは本作におけるテーマの一つでもある。たとえば第1話から、たびたび登場人物たちの会話にのぼる“波光教”という名の新興宗教。信者たちは荒廃した世界を嘆き、各地で毒薬を撒くテロを起こす。死によって世界を浄化することが、人類の救いに繋がると信じているのだ。

 彼らの崇める神と、友樹たちが咄嗟に救いを求める神は違う。けれど、身にふりかかった理不尽を納得するため、見えない何かに縋ろうとする想いは、たぶん同じだ。

「私自身、いいことがあったときは『神さま、ありがとう!』と思うし、よくないことが起きれば『どうしてよ!』と文句を言う。その都合のよさは、多くの日本人にとってなじみ深い神さまへの距離感なのかなと思います。作中である人物が〈神さまにこんな目に遭わされるて、俺ら、どんな悪いことしたんやろ〉〈せめて理由がほしい。俺らが死ななあかん理由。ちょっとでも納得して楽になりたいんや〉と言うあたりは、かなり力をこめて書いたんですが、責任の所在を神さまに仮置きすることで救われる部分は確かにあると思うんですよ。それで楽になるなら信じればいいし、信じないまま最後まで抗いたいならそうすればいい。理性を捨てた獣と化して生き延びるのも、最後まで人間としての矜持を守って死ぬのも自由だし、極限状態で導き出される答えは人によって違う。たとえそれが普通じゃなくても、正しくなくても、許されていいし生きていてもいいんだってことを、この極限の世界で私は描きたかったのだと思います」

 無法地帯となった世界では、隙を見せれば殺され、盗まれ、犯される。きれいごとだけでは、自分も大切な人も守り抜けない。獣と化すこともまた一つの強さで、防衛策でもあるだろう。だがそれを知ってなお、友樹は〈羊のままのぼくで荒野を駆ける〉と心に決める。搾取される側だった自分を肯定し、そのままで最後まで生きようと肚をくくるのだ。それこそが、本作に通底する光。

「最初は、このご時世に刊行するにはあまりに暗すぎる内容じゃないかと懸念していたのですが、思いのほか希望を感じられたという感想をいただき、私はもっと読み手を信頼しなければいけないのだと思いました。今はただ、一人でも多くの人に物語が届くことを祈るばかりです」

取材・文:立花もも 写真:内藤貞保