『水は海に向かって流れる』が2020年の「プラチナ本OF THE YEAR」に! 田島列島ロングインタビュー

マンガ

更新日:2020/12/8

 マンガ界に衝撃を与えた傑作『子供はわかってあげない』から約4年、長い沈黙を破って連載が開始した『水は海に向かって流れる』は甘酸っぱい前作から一転、ままならぬ人と人の関係を描いたビターな物語。第3巻で完結し、2020年の「プラチナ本OF THE YEAR」に輝いた本作について、著者の田島列島さんにお話をうかがった。

『水は海に向かって流れる』
(c)田島列島/講談社

 

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散歩中に突然そういうことだったのかと腑に落ちた

 最初に浮かんだのは、木立の道を二人が静かに歩く姿だった、という。

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「前作『子供はわかってあげない』は、新興宗教と父親探し、超能力にラブコメと、モチーフ満載の話だったのですが、今回は、何か一つのことを集中して描くことになるんだろうなあ、という予感はしていて。まずはその二人……直達と榊さんの関係性を探るところから始まりました。ラブコメということだけは決めていたので、まあたぶん何か秘密があるんだろうなとは思っていたんですが、3話目を描くまではそれが何かは全然わかっていなかった」

 ラブコメであることだけが明確だったのは、掲載予定誌が『別冊少年マガジン』だったからだという。

「『マガジン』といえばスポーツかバトルかラブコメというイメージだったので、そのなかから描けるものを消去法で決めただけなんです(笑)。当時、年上のお姉さんと少年の恋愛マンガが人気だったので、流行りには乗っておこうと、直達は高校1年生、榊さんは26歳のOLということにしました。で、年齢差のある二人が自然と出会うとしたらどういう場所だろうと考えて、シェアハウスでの同居を思いついたんです」

 そうして1話の冒頭のシーンは生まれた。高校入学を機に母方の叔父の家に身を寄せることになった直達と、雨のなか傘をもって彼を迎えにきた不機嫌な榊さん。だが前述のとおり、最初にネームを書いたときは、榊さんの不機嫌の理由は田島さんもわかっていなかった。

「描くときはいつも頭の中にアイディアがもわもわと漂っていて、うまく繋がると物語が立体的になっていくんですが、どうしたら繋がるのかよくわからない。3話のネームを考えているときも特別なきっかけがあったわけではなくて、散歩中に突然、『そういうことだったのか』と腑に落ちたんです。それをふまえて1話と2話のラストを描き変えてから、3話までを担当さんに見せました。最初に担当さんに伝えていたグルメマンガと全然違うものになったのですが……これでいこうと言っていただいて、連載が決まった次第です」

 だがグルメマンガにならんとしていた痕跡は、作中のそこかしこに残っている。たとえば第1話で榊さんが直達にふるまうポトラッチ丼は、彼女がときどき私財をなげうって買ってくる上等な肉を使った牛丼だ。北米先住民の贈答の宴にちなんで名づけられたものだが、「こんなにうまい牛丼、食べたことない!!」と感激する直達と、何を考えているのかわからない榊さんという不可思議さがきわだつ印象的なエピソードである。直達と榊さんが二人で台所に立つ描写や、庭でのバーベキューなどシェアハウスのみんなで食を共有する場面がしばしば描かれるのも、どこか印象的である。

社会人類学を参照して人と人がつながることの本質を探りたい

 本作の魅力のひとつに、個性豊かで人間くさいシェアハウスの住人たちの存在がある。親族に内緒でマンガ家に転身していた叔父のニゲミチ先生。猫を助けるために血まみれになって喧嘩する女装の占い師・泉谷(兄)。最年長だけどいちばん無邪気にふるまう大学教授の成瀬。泉谷(妹)は住人ではないが、直達と同じクラスの少女である。

「ニゲミチ先生が直達を溺愛しているのは、私も姪っ子が生まれてからかわいくてしかたなくて、一緒に暮らす妄想をしたりする影響があるかもしれません。かといって、ニゲミチ先生がとくべつ私に近いとかそういうわけではないです(笑)。あとはまあ、直達と榊さんの間にある秘密は、彼らの親に関わってくることなので、うっすら事情を知っていて、直達の味方をしてくれる存在として、叔父というのはちょうどいい距離感なのかなと。レヴィ=ストロースの『親族の基本構造』に倣った、というのもありますけど」

 作中にも名前が登場する社会人類学者のレヴィ=ストロース。彼によれば、母方の叔父は家族における権威の象徴であり、甥にとっては服従すべき存在であるが、父親が権威である場合には、逆に甥は叔父に対して親しみの特権をもち、軽んじることが許されるとされている。

「大学時代、社会人類学に興味をもつようになったのですが、本を読んだり、それを下敷きにマンガを描いたりすることで、人と人がつながることの本質を少しは理解できるんじゃないかと思っているんです。レヴィ=ストロース先生の教えは間違いない!ということにして(笑)。人間同士が繋がることを、よく絆という言葉で表現するけれど、私はあんまりその言葉を信じたくなくて。他にもっと適切な言葉や表現があるんじゃないかと探し続けているんです。デビュー作の『ごあいさつ』を描いたときもそうかもしれない。姉の不倫相手の妻が家におしかけてきて、逃げまわる姉のかわりに妹が応待し続けるって話なんですが、それはさすがに絆とかとは違うつながりですよね。……ああ、そういえば、担当さんにはずっと『ごあいさつ』の続編を描きなよと言われていたんですよね。どうすれば“続き”になるのかとうまく処理できないままだったんですが、考えてみると今回の作品に繋がっているような気がします。不倫というテーマだけじゃなくて」

理由はわからないけどタイトルは最初から決まっていた

 そう、直達と榊さんの間にあるのは、親同士が10年前に不倫していたという過去だ。当時の直達は幼くて、父が家庭に戻ってきたこともあり、知らずに済んだ。けれど高校生だった榊さんの母は、直達の父と別れたあとも戻らなかった。その事実を偶然立ち聞きしてしまった直達は、知ってしまったことを隠したまま、罪悪感を覚えながらも遠慮がちに榊さんとの関係を近づけていく。

「ラブコメなので、二人の関係が“恋愛”になっていくんだろうというのは想定していましたが、どんな過程を経て、どういう決着がつくのかは、やっぱり最後までわからないままでした。ああでも、二人は海に行くんだ、とは思ってたかも。理由はわからないけど、タイトルは最初から『水は海に向かって流れる』だったので」

 最初から、というのはグルメマンガを描くつもりだったときから?

「そうです。私の父が左官屋なんですが、下積み時代、水の流れに逆らって壁かなにかを掃除していたとき、親方に叱られたらしいんですよ。『水ってのはな、上から下に流れるんだよ!』って。そのとき父は『いや、水は海に向かって流れるんだ!』と思ったらしくて。そのことを不意に思い出したっていう、ただそれだけの理由でつけました(笑)」

 幾重にも暗喩がこめられた、読み終えたあとはこれしかなかったと思える絶妙なタイトルなのに?

「タイトルはいつも、最初になんとなく思いつきでつけちゃうんです。『子供はわかってあげない』のときもそうでした。でも、タイトルに導かれて物語が進んでいくところもあるので、そういう意味ではちゃんと意味があるのかな」

 なお、各話のサブタイトルは編集部がつけるケースも多いなか、田島さんの場合はすべて自身で考えたもの。レヴィ=ストロースの影響も感じさせる第1話の「雨と彼女と贈与と憎悪」に始まり、「川上からどんぶらこと悪意が」「カツアゲたまごとじうどん」「夏至のきわみ」など洒脱なセンスが光っているので、ぜひ一つひとつ確かめてほしい。

みんなどうやってバランスをとりながら生きているんだろう?

 直達には何も告げず平静を貫こうとする榊さんだが、直達の父と再会したことで心にかすかな荒波が立つ。それでも、直達が知ってしまったことを知ってなお「何もなかったことにしなさい」と牽制しようとする彼女に、直達は初めて真正面から言いかえす。「そーゆうのやです!」と。

「男の子が一皮剥けて大人になる瞬間を描くのが少年マンガかなっていう気はします。私も、読んでいて高揚するのはそういう瞬間に触れたとき。男の子ではないけれど、『メタモルフォーゼの縁側』で女子高生がBLマンガを描きはじめたときは胸がアツくなりましたし。そういう意味で、性別というのはたぶんあんまり関係なくて、ままならない現実とか、しがらみとか自意識とか、そういう全部を超えちゃう瞬間っていうのがいいのかもしれません」

 直達と榊さんが本作を通じて超えていくもの。それは“怒り”だ。「怒ってもどうしょもないことばっかりじゃないの」と諦めている榊さん。そんな榊さんにもどかしさを感じながらも、周囲を慮りすぎて“いい子”でいるしかない直達。二人とも、誰にぶつけることなく、感情を内側でもてあましている。

「私はどちらかというと、感情的な人を見ると醒めてしまう人間で。接客業が長かったからクレーマーの対応をすることもあったんですが『そんな簡単にそこまで怒る……?』って思いましたし、母が身内に対して怒っているのを聞いていても『他人に何を期待しているんだろう』と思ってしまう。ただ、怒りすぎるのは馬鹿みたいだと思う一方、怒らないのは体に悪いんだろうなともわかっていて。そういうバランスをみんなどうやってとりながら生きているんだろう?というのは、描きながら考えていたことです」

 本当はずっと怒りたかったのだと気づいた直達が、榊さんの前で泣く場面がある。田島さんも描きながら泣いたという名シーンである。

「描きながら、ああそうだったんだ、ってこのときも思って。こういうときに人は泣くんだなと思ったら、なぜだかわからないけれど私も……」

絆ってあんまり使いたくない言葉なんです

〈何にもどうにもならないとわかっていても 知っててほしかった 怒りたかったこと〉〈誰かが知っていてくれるだけできっと生きていけるんだろう〉というモノローグが、作中では描かれる。それは田島さんが探ってきたことの、一つの答えだ。

「怒りを本当にぶつけたい相手って、けっこう、もういいじゃん忘れなよみたいなことを言ってきたりするじゃないですか。榊さんのお母さんがそのタイプで、そういう人には直接ぶつけてもしかたがない。でも、自分が怒っているということを、誰かにしゃべるだけで発散されて救われることってあると思うんですよ。母の愚痴も、私に知っていてほしくて言っている部分もあるでしょうし。そうやってみんな生きているのかな、と思いますし、逆にそうでなければ生きていられないのかもしれない。それに、誰かに伝えておくことで、自分が死んでも、自分が抱いていた感情はその人の中に生き続ける。火種を消したくないとかそういうことではなくて、怒りを抱えてじたばたしていることを誰も知らないのはあまりに孤独なことだから、誰かが知っていてあげたほうがいいと思う。“人間クラウド”として、生きた痕跡が情報として分散されているというのが、人と人とが繋がるということなのかもしれないなあと思います。それを絆って言ってしまうと……。うーん、やっぱりあんまり使いたくない言葉なんですよね(笑)」

 絆という強固なつながりがときに関係性を支配的に縛るから、ということだろうか。直達の住むシェアハウスの人々には、“絆”と呼べるような強固な結びつきはない。けれど少しずつ誰かを案じ、見守り、具体的に行動せずとも“知って”いてあげている。

「誰かと一緒に暮らすとそれだけで意識が外に向かうから、自家中毒にならずに済みますよね。最初は男子高校生が住む家として楽しそうっていうだけだったんですけど、この設定にしてよかったです(笑)」

 そして、人はどうやって生きていくのか、という田島さんの想いは、直達と榊さんだけでなく、過ちを犯した二人へも向いている。

「あの二人のように、罪悪感を抱えながら自分の居場所を取り戻そうとしている人たちって、世の中にたくさんいると思います。けっきょく二人とも、直達にも榊さんにも許されることはないし、罪悪感もストレスも死ぬまで拭い去られることはないんだけど、でもそれを単にざまあみろといえるのかな。それでも生きていかなきゃいけない中で、彼らはどんなふうに折り合いをつけていくんだろう、というのも描きながら考えていました。ただ、榊さんの母親は私からいちばん遠くて、最後まで理解しきれなかったですけどね。直達の父のほうがまだわかる。直達父の〈ちょっとでいいから自分のことちゃんとした人間だと思いたい〉っていう気持ちは、私の中にもあるので。そんなふうに解消しきれないものとつきあいながら生きていくのはとても難しいことだから、みんなどうしているんだろうって気になってしまう。で、マンガに描いてしまうんでしょうね」

 半分持ちたい、と直達は榊さんにたびたび言う。何を、と言わなかったのは彼自身はっきりとわかってはいなかったからだろう。だが一人でもち続けていた荷物を、他の誰かが半分もってあげるということは、人がつながるということの本当の意味なのかもしれない。

たじま・れっとう●2008年、MANGA OPENさだやす圭賞を受賞した「ごあいさつ」が『モーニング』に掲載され、デビュー。20年、手塚治虫文化賞新生賞受賞。自然に対する自分の感覚を描くのだというクロード・モネの言葉に触れ、自身も、温度や匂いが描けるマンガ家になりたいと思ったという。

取材・文:立花もも

 
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