歌詞は自分のための比率が高いけど、この本は“誰かの光になってくれ”という思いで、言葉を吐いた――THE ORAL CIGARETTES山中拓也《11000字インタビュー》

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更新日:2021/4/2

 その弱さも、苦しみもわかる。蔑むべき行為でさえ、その人の必死さを思えば美しいとさえ感じる――と、山中拓也は言う。彼が書き、歌うリリックからも感じ取ることのできる、そんな境地に到達するまで、彼は何を見、感じ、誰と対話し、そしてどんな思考を巡らせてきたのか。

 家族、社会、生死、音楽、過去、未来……初のフォトエッセイは、人間・山中拓也のすべてをさらけ出したものになった。そのテキストを抱くページ構成、撮り下ろしの写真など、一冊のなかに込められたアートワークからは、“届けたい”という思いの滾る、つくり手の愛情とセンスが伝わってくる。

 30歳の誕生日、3月2日の刊行を目前に控えた山中に、『他がままに生かされて』(KADOKAWA)に込めた思いを聞いた。

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「これは偶然であり、必然かもな」という確信のなか、本の作成に至りました

『他がままに生かされて』(山中拓也/KADOKAWA)

――“ろくでもない自分の過去を晒すことは、誰の得にもならないと思っていたし、むしろマイナスになると思っていました”と、冒頭の「はじめに」に記されていますが、この一冊を書くに至るまでの、自身のなかの逡巡のようなものをお聞かせください。

山中:人前に出なければいけない人間って、自分のダサい部分を表に出すことに対して、「一線、引かなければ」という観念に囚われることが多いと思うんですよね。“自分がみんなの光になる”という思いが、そこにあるからかもしれないんですけど。

 でも僕は、自分の人生、どう振り返ってみても、“俺、ほんと、普通の人やなぁ”という思いがあって。THE ORAL CIGARETTES(以下オーラル)をやっていくなかで一番大事にしているものも、等身大であること、背伸びしないことなんですけど、なんか最初は、「みんなと一線、つけなあかんかな」「ダサいとこ、見せんとこ」って、過去の話とかしなかったんです。

 けど「自分たちのファンって、どういうとこを好きになってくれてんのやろ」「自分のMCの何に響いてくれてんのやろ」と、考えていくうち、共感の反応をもらっていることに気が付いたんです。「拓也さんもそう思うんや、それなら私も頑張れる!」って。そこから「全部、晒した方がええんちゃうかな」みたいな気持ちにどんどんなっていったんです。けど、きっかけみたいなものが、ひとつあって。

――それは何だったんでしょう?

山中:インスタライブをやっていたとき、僕、酔っ払い過ぎちゃって、思春期になった頃から家庭環境がもつれてしまったことや大学時代、ギャンブルばっかりやっていたこととかをポロっと喋っちゃったんですよね。

 翌朝、「やっちまったなぁ、これでファン減るかもなぁ」って落ち込んでいたんですけど、意外と逆のリアクションが多かったんです。「拓也さんにもそういう時期あったんですね」とか、「私も家庭環境、そんな感じです。死にたいとまで思ってました。でも拓也さんがそこまで頑張れたのなら私も頑張る」みたいな声がすごくあったんです。

 そんな声を聞いたとき、実感したんです、「自分のダサいとこを晒していくことって共感性を生むんやなぁ、そして誰かの勇気にも変わっていくんだ」って。そこで「こういうことを書ける場所、ないかな」と考えていた、まさにそのとき、編集を担当していただいた伊藤甲介さんから「本、書きませんか?」って連絡をいただいて。「これは偶然であり、必然かもな」という確信のなか、本の作成に至りました。

――作成はいつ頃から? どんなペースで進めていきましたか。

山中:ちょうど1年前くらいからスタートして、4、5時間のインタビューを10回くらい重ねさせてもらいました。最後の2、3か月で「こういう表現の方が自分っぽいので、こんな感じにしましょう」とか、文章にしていただいたものを、より自分の言葉に近づける作業をしていきました。

――“汚れた感情の向こう側”“絆の音色”など、章のタイトルにも印象的な言葉が並びます。こうしたタイトル、章立てのアイデアも山中さんが?

山中:人生のなかで転機になったこと、印象に残っている事件、「このとき、心動いたな」ということとか、最初の話し合いのとき、箇条書きでタイトルっぽく書かせてもらって。自分の人生にはこういうことがあった、こういう話を聞いてもらったら、面白いことを書けるし、読んでくれる方の人生が華やかになったり、勇気づけられたりするんじゃないかなみたいなことをばーっと書き出して持っていき、提案させてもらったんです。けど、他の方の意見もかなり参考にさせていただきましたので、自分がつくったというより、タッグでつくったという感覚がデカいですね。僕的には、“他がままに”というタイトル通りだな、という感じです。

過去にあったことはすべて必然、ということを遡る作業が大事

――言葉を話すという意味として、山中さんは“言葉を吐く”と表現しますが、この本のなかの言葉は、“吐く”そのものですね。

山中:自分の感情や状況を、器用に話せる人っているじゃないですか。けど、僕をはじめ、うまく言葉にできない人って、たくさんいると思うんです。考えて、考えて、考え続けて……やっと言葉にできるということが、自分の人生には多かったんですよね。自分のなかで、「喋る」とか、「話す」という表現だと、ライト過ぎる感覚になっちゃうほどに。だから僕は「言葉を吐く」という表現をずっと使ってきているんです。言葉って、感情を回したうえで、吐き出すものだよなって感覚があるので。歌詞も、MCの言葉も、誰かの人生に影響を及ぼすものでもあるから責任もあると思うし。

――歌詞を書くことと、エッセイを書くこととの違いはどんなところにありましたか?

山中:この本を書くときも、同じ感覚でやらせてもらえたらな、と思っていたので、違いはあまり感じなかった。けど、ひとつだけ違うなと思ったのは、歌詞はめちゃめちゃ「自分のため」の比率が高いけど、この本は「誰かの光になってくれ」という思いからの言葉の紡ぎ方だったなと思います。

――“僕の世の中に対する不満、自分に対してのコンプレックス、そういうものが歌に反映している。弱さを隠すことなく吐いた言葉で、この場所に来ることができた”と、本のなかでも語られていますが、山中さんは歌詞のなかで答えを出さない。エッセイでは、どんなアプローチをしていこうと思いましたか?

山中:歌詞は自分のためで、この本は誰かのため、という部分の差だと思うんですけど、歌詞って、音楽のなかにあるものなので、そこで答えが見つかるんだったら、音楽聴かなくてよくない? っていう部分があるんじゃないかなと。音楽のなかで、答えを出してしまうことって、ナンセンスだなと僕は思っちゃうんですよね。けれどエッセイは、自分の歩いてきた人生の話だったりするので、そこを捻じ曲げることはまったく意味のないことで。だからこの本のなかでは、ありのままを喋らせてもらったし、そこで感じたことに嘘をつきたくなかった。自分のなかの答えをそのまま提示させてもらっています。

――この本をつくる作業を始めたのは、アルバム『SUCK MY WORLD』発売時期と重なります。2020年4月、リリース時のインタビューで、「前作『Kisses and Kills』までは、未来の話をしていたけれど、このアルバムからは“なぜ俺はそういう話をしている? ちゃんと過去を遡って伝えよう”」と語っている。この本も“遡る”ものですね。

山中:そうですね。音楽としては、やっぱりもう一回、音楽の原点やルーツというものを知っておかないと、中身がこれ以上、出ないだろうなと。それ以外の部分では、本のなかにも少し書かせてもらったんですけど、病気で一回、“死”みたいなものを目の前に突きつけられてから、「自分の人生、誰かのために使え」という感が僕は強いんですよね。今の人生って、余生みたいなものなんじゃないかなと感じているんです。「生きている」っていうより、「生かされている」という。

 その「生かされている」っていうのって、何でなんだろうなぁというのをずっと考え続けてきたんですけど、それって、自分が人前に立って、歌をうたったり、言葉を吐いたりする、何か最終的使命みたいなものがあるんだろうなぁというのを、あるときから感じ始めて。そこで、考えに考えた結果、さっきも言ったんですけど、偶然が全部、必然に感じられてくるという、人生において、そういう体験がすごく多くなってきたんですね。自分が求めたとき、その偶然が現れるみたいな。「これ、偶然じゃねぇな、なんかレール敷かれてるな」みたいな。

――そのとき、どんな感覚を覚えましたか?

山中:すごく人生が回っている、っていう気がしたんですよね。何回も回ってんじゃないかなみたいな感覚になった。「俺、人生で何回、やってるんだろう、これ」「今、何回めなんだろう?」みたいな。「毎回、更新していってるんじゃないかな、自分の生きる意味」みたいな感覚になって、そういう夢も見て。なので、自分の過去と未来を照らし合わせていく作業みたいなものも同時にしなくちゃいけないし、人類という大きい規模で見たとき、人類を遡ったとこと、人類の未来みたいなところって、実は繰り返しなんじゃないかって。なんか都市伝説みたいな話になっちゃうんですけど(笑)。

 結局、今、いろんな技術が発展して、みんながそれに流されて、便利だ、便利だ、とそれを使っていくことって、かなり人類の消費に繋がっていっている気がして。そのうち戦争になるんじゃないか、これは。わかんない? って。こんなに発達していったら、結局、AIと戦争になるんじゃない? とか、そういうことを考えてると、発展して全部、破壊されて、また発展が始まって、発展の先にまた破壊があってみたいな、創造と再生の繰り返しが行われているんじゃないか、みたいなことを考え始めてしまい、そのうちのひとつの使命を担っているんじゃないかと。そういうことで、過去を知ることだったり、未来を想像したりすることは、自分のなかで大切なアクションなんじゃないかなみたいな。言葉で伝えるのは難しいけど、そんな感じなんです。

――「遡る」というより、「輪廻」ですね。

山中:まさにそうですね。本にも書いたんですけど、僕、ほんとは神戸大学に行きたくて浪人しようと思っていたんです。けど兄貴に言われて、関西学院大学へ進学したんですけど、そのときは、もやっとしていて、「一年浪人したら、神大、行けたかもしれないのにな」って思っていたんです。けど今振り返ってみると、このバンドをやってるのって、関学に行ってなかったらやれてなかったなぁと思うんです。だからやっぱり、関学に入ったことは、偶然であり、必然だったんだなと。兄貴があのとき、「関学に行け」という言葉を吐いたのも、自分の人生の今に繋がっているよなぁと。過去を振り返ると、他によって、自分で考えて消化したものが、全部、今の仕事に繋がっているし、すべてどれも抜けてはいけない要素になっている。なので過去にあったことが、全部必然だということを遡る作業が大事なんだなと。

“思い出したくない”みたいなのはないんです。結果、やっぱり今、必要だった

――エッセイは、人生を遡っていった幼少期の頃の話から始まります。“泣いて、泣き続けた……”子どもであったと。まだ言葉を話させなかった頃の山中さんは、きっと泣くことで言葉を吐いていたのですね。

山中:ほんとにそうだと思うんです。そしてなぜ自分が泣いているのか、すごく考えていたんだと思う。言葉にして吐いていたら、そのときのことはまったく覚えてなかったと思うんですよね。

――なぜ泣いてたのか。そのとき、自身のなかにあった感情を掘っていく作業をされていますが、そこで自分の核のようなものにも行き着いた?

山中:そうですね。ちっちゃいときから、人を観察するのが僕は好きで。人間観察が。そこで、いろんな感情を自分のなかでぐるぐる回していた気がするんです。そういうのが積み重なっていって、自分の思考性がどんどん形成されていった感覚があるんですよね。言葉にはしていないけど、頭のなかで考えたものは、ひとつひとつ、大切だったんだろうなと。

――小学校時代に遭ったいじめ、思春期から始まった家族との衝突、“せこく生きることが、上手く生きることなのか?”と同級生を見て辟易した高校時代、愛する人の裏切り、死を覚悟した病……。ここに記されていることは、できれば忘れたい、蓋をしておきたいと思われることが多いように感じます。

山中:でも、自分のなかで、「思い出したくない」みたいなのはないんですよ。結果、やっぱり今、必要だったなと、すべての出来事に対して思えているので。今となっては笑い話でしかないと言ったら、ちょっとライトに聞こえちゃうんですけど、たとえば大学を卒業するとき、「俺、バンドやりたいんやけど」と言って、親父とすごい喧嘩したけど、それがあったから、自分の人生に対しての責任感を学べた。「好きなことするなら、親に頼っちゃいけない」って。なので思い出したいくらいですね、忘れそうになったとき、逆に。

――それって、オーラルを結成した当時の心境を語った≪内面と向き合う≫という節で、山中さんが吐いた言葉とも結ばれますね。“何度も自分の人生やコンプレックスについて考えているうちに、この人生やコンプレックスこそ自分にしかない“魅力”なんじゃないかと思えるようになっていったのだ”と。コンプレックス、自分の弱さからはできるだけ目を逸らしていたいですよね……。

山中:そうですよね。それ、し続けていましたもん、僕も。それと向き合わざるを得なくなったのは、ボーカリストとして、周りより飛びぬけなきゃいけない、これから先、音楽で勝っていくためにはどうすればいいのか? と考えたときなんです。周りと同じようなことをして、その状況に呑み込まれるような発言だったり、立ち居ふるまいだったり、それは社会で必要な時はあると思うし、常識、礼儀みたいなことはしっかりしなくちゃいけないと思うけど、それに呑み込まれ過ぎると、人じゃなくなっていくというか。自分のこれまで生きてきた歴史をすべて否定することになるな、みたいなことを考え始めたんです。

 僕は歌がむちゃくちゃ得意なわけでもなかったので、どうやってボーカルとしてのし上がっていけばいいのか、みたいなのを考えたとき、やっぱり自分のオリジナルの人生や自分にしかないものを生かしていくことが選択肢のなかで一番大きかったんです。そうなってくると、コンプレックスみたいなものを隠して、人と同じように直していくことじゃないなって。誰が痩せてる方がいいって言ったの? 太ってる方が悪って決めたの? とか、そういう誰が決めたかもわからない常識をいったん全部、取り払ってみることで、周りから見たら、え? って思うようなことも美しさに変わっていく瞬間みたいなことが、ボーカルとして、どうあるべきかと考えたとき、すごく大切になってきていたので、タイミングとしては、そのタイミングかなと。そっちの方が、人生開けた気がしたので。

オーラルの歌を聴き、無意識的に気付いていること

――山中さん自身の人生を語っているのに、普遍的な真理が詰まっている。“大切に思っていたものに裏切られた。あんなに尽くしたのに、何もしてくれない。その期待は他人が生み出したものではない。僕が自分勝手に生み出した期待で、自分を苦しめているだけなのだ”という言葉も。殊にコロナ禍になってから、ここに引っ掛かっている人は多いのではないかと思うんです。他者との関係で悩むとき、自分の“期待”から発するものの比重が大きいんじゃないかなと。この言葉で何かに気付いたり、光を見たりする人はきっと多いのではないかと。

山中:僕もはっとした瞬間だったかもしれません、それに気付いたときって。

――THE ORAL CIGARETTESの歌を聴いている人って、無意識的にそこに気付いているような気がします。そして、この本のなかの言葉は、「どうしてオーラルの歌は、これほどまでに、自分のなかの暗澹としたもの、鬱屈したものを解放してくれるんだろう」って、その答えをくれるような気がする。

山中:うん、うん! それはめちゃめちゃうれしいです。人と話していても、“裏切られた”って言葉、よく耳にするけど、「裏切られてなくない、それ?」って、自分はよく思うんです。高校時代、文化祭準備のとき、僕が作業したものを自分の手柄にするクラスメイトの話を書いたんですが、人の努力を奪って、自分のもののように見せて生きている人間って、世の中にはうじゃうじゃいると思うんですよね。「あれって、俺がほんまはやったのに、あいつ、うまいことつかいよったなぁ」みたいな人。でもそれ、俺、美しいなぁと感じるようになってきてしまって。

――美しいと感じる?

山中:生きるのに、すごく必死というか。だからそれを否定するというのは、すごくお門違いな気がしてきて。その人は、そういう生き方を、自分の人生を切り開くためにやっている。じゃ、自分はどういう生き方をするの? ってなったとき、どんな決断をするにしても、結局、背中を押してほしかったりするだけで、もう自分のなかで答えは決まっているみたいなことって多いじゃないですか。決断下すの、結局自分やしなぁって。「こんなことしてあげたのに、それを全部裏切られるようなことされた」って、それ、してあげるって決断したの、自分やん、って。裏切られたと思うのは勝手じゃんって。だんだんそういう気持ちになってきて。

 なので、自分が自分らしくあって、自分自身を高めていくことでしか、道っていうのは開けないんだ、ということを「ONE’S AGAIN」という楽曲を書いたとき、僕は気付き始めて。そこからさらに自分自身というところに向き合えるようになったし、人生、楽になったんですよね。あまり他者のことを気にしなくなった。「俺は俺でやるから、ほっといて」みたいなテンションになれたのが、自分の人生では転機になったので、そこは本のなかに残しておきたかったんですよね。

“0(ゼロ)が一番強くない?” 米津の言葉がセンサーに触れた

――さらに、この本から強く感じたのは、山中さんは、みずから発信するだけでなく、他人の話、言葉を真摯に聞いているということです。

山中:人と違うことを知ったときに、初めて自分の考えが明確に見えてきたりしません? 自分のなかの世界やったら、たとえばコーヒーというものが黒い、というのも、もしかしたら、他の人には違う色に見えているかもしれんやん、みたいな。自分のなかの世界だけでいると、固まったことしか出てこないし、その答え自体が、ほんとに自分がそう思っているのか、自分が思っていないのかが、すごくぼんやりした状態になってしまうなぁ、みたいな感じがしてて。それを人と話し、自分が思っているもの、かっこいいと思っているもの、ダサいと思っているもの、美しいと思っているものを人と比べることによって、「あ、自分は何でこれを美しいと思っているのか、そういうところにあったのか」とか、人との会話って発見しかないなというのが、自分のなかで強くあるんです。

――≪0(ゼロ)≫という節では、メジャーデビュー2年目ぐらいに出会った、同い年の米津玄師さんに、自身の抱えている不安や羨望をぶつけたときのことが語られていますが、米津さんがそのとき、山中さんに言った、“0(ゼロ)が一番強くない?”という言葉も、山中さんがそういう姿勢でなければ、おそらく出てこなかったものではないかと。

山中:当時、俺は、ヨネ(米津玄師)の才能について、「凄いなぁ、いいなぁ」と思ってたんです。自分にはないってわかってたんですよね。自分にはないものをどうやって活かしたらいいのか、どうやってヨネと対等に戦っていったらいいのか、みたいなところを考えていて。そこで彼がその言葉を吐いてくれたから、センサーに触れた気がするんです。他人との会話では、自分の話ばっかりしていても、あまり成長がない気がするんです。人の話を聞かないと。歌詞でも書いてるんですけど、過去の栄光とか、自慢話する人、僕、好きじゃなくて。未来の話ができて、人の話を聞ける、対話のできる人が好きなんです。対話を重ねてきた人って成長度がすごく高いと思うから。

――本書では、2015年7月、ステージ上で声が出なくなり、その後、活動を休止したときの話を初めて語られたのですね。

山中:自分のなかでトラウマというか、「自動販売機の男」を歌って、倒れてしまった瞬間って、思い出すだけでも鳥肌立ってくる、みたいな瞬間だったりするので。さっき、「思い出を引っ張り出してくるのは、嫌じゃない」みたいな話をしたんですけど、この思い出に関しては、本当に引っ張り出したくなかった。

 でもそれも、振り返ってみたとき、あの瞬間、もう一回、1からやり直そうって思えたことが、結局今にも繋がっているので、少しずつ克服していけばいいかなと思って。「自動販売機の男」は、あれからまだ、ライブでやれてないけど、ここに記しておくことで、自分のトラウマみたいなものが払拭できるタイミングが来るんちゃうかなって、第一歩ですね、多分。

――「5150」を生み出す少し前から、“自分を追い込んでくる≪怪物≫が住んでいる”ということも語られていますね。“「どうせ失敗するよ」という声が頭の中で響き、その声がどんどん大きくなっていく”という≪怪物≫のことを。

山中:それが来たら最近は、「あ、俺、成長のタイミングなんや」って、ガッツポーズみたいな感じでいられるんですけど、当時は、自分のなかの自問自答で、すべてが否定される感覚になってしまって。そこに他者は介入してないんですけど、何やっても自分が最悪の人間に思えて、自己嫌悪みたいなものに陥ってしまう瞬間が、いまだに年1、年2くらいで来ちゃうんですよね。そのたび、どんどんメンタルが崩壊していって、自分でも自分じゃないみたいな感覚になっちゃうことがあるんです。でも一回、どん底まで落とし込んじゃった方が、その先の光がよりありがたく見えるというか、「大丈夫?」って言葉ひとつも、めちゃめちゃ美しく見えてしまう瞬間があったりするので、自分のなかの怪物みたいに襲ってくるものに関しては、逃げるんじゃなく、そこにちゃんと向き合って、一回、底辺まで落とすという作業をしちゃった方が、世界って美しく見えるんじゃないかなぁと。なので、≪怪物≫と向き合い、乗り越えて書いた曲というのは、自分のなかでもすごく大切な楽曲になっているなと思うんです。

「なぜオーラルを好きになったのか」みたいな部分の確認にこのエッセイを使ってもらえたらすごくうれしい

――『SUCK MY WORLD』リリース時のインタビューのなかでは、「どうやって人としてファンと向き合っていくか」ということを大切にしているとも語られていました。“人として向き合う”ということは、まさにこの本の軸でもありますね。

山中:意外と普通のことじゃないかなと思っていて。人のことって、階級とか、バックグラウンドで見がちですよね。僕、関係ないんですよね、昔からあんまり。そもそもバンドやろうってなったのも、「人の下につくの嫌やな」みたいなところが、理由のなかにはあって。人として、その人がどういう人生を送ってきてというところに、自分は興味があるんです。だからオーラルを好きになってくれたファンに対しては、単なるファンという見方ではなく、僕の人生に共感し、その人生を愛してくれる人たちだと考えているんです。自分が感じること、これ、苦しいって思うことを、共通項として持っている、という思いで向き合える人たち。自分のセラピーみたいな感じで書いた歌詞は、自分のためにもなるし、自分と同じような感性を持っているファンのためにもなると思う。だから僕は「オーラルのファンって、どういう人間がなるんやろな」という向き合い方をしてるっていう感じなんだと思います。

――ほんとに人と向き合っていらっしゃる。

山中:ほんまに世の中おかしいなって思っている自分がいるんですよね。バックグラウンドでしか人を見ない人が多いというか。それで悲しい想いも幾度かしているし。人と向き合うということは、その人の人生を華やかにするか、しないか、そこで変わってくる気がするんですよね。結局、自分のための気がする。

――この本のなかで、山中さんは“僕”という人称を使っています。歌詞のなかでも“僕”“私”が多く使われていますが、インタビューでは、自分のことを“俺”と呼ぶこともある。エッセイのなかで、“僕”という一人称にしたのは?

山中:使い分けているという認識はそんなにないんですけど、吐く言葉が、より生かされる一人称みたいなのがある気がしていて。だから特に統一していないんです。自分がどの言葉かを吐くかによって変えているという感覚ですね。

――この本は“僕”がフィットした?

山中:そうですね。この本のなかで“俺”って言ったら、とても偉そうに聞こえるじゃないですか(笑)。それって、そぐわないなって思って。圧力感、凄くないですか? たとえば後輩に相談されるときとか、あんまり“俺”って、使わない方がいいなと思っていて。「俺、こう思ってて」と「僕はこう思うんだよね」じゃ、柔らかさが全然違うし、人の“聞きたい力”みたいなものが全然、違ってくるじゃないですか。だから歌詞のなかでも使い分けることがすごく多いんです。この曲は“私”っていう一人称で聴かせることによって、世界観が伝わるな、とか。そこが多分、大事な部分。なので僕には決まった一人称がないんです。

――テキストのみならず、装丁、フォト、緻密な構成、どこをとっても、“山中拓也”と、そのセンスが溢れてくるような一冊。アートワークはどのように進められていったのですか? オーラルのメンバーからの原稿用紙に書かれた“作文”も楽しいですね。

山中:これはもう、編集担当の伊藤さんたちと話し合って。メンバーからの作文については、提案いただいたんですけど、「それ、すごくいいですねぇ、俺もすごく楽しみにしてます!」って。自分もわくわくする本にしたかったので、メンバーの書いた作文は、途中で見ないようにしました(笑)。

――刊行日の3月2日は、山中さんの30歳の誕生日にあたりますね。

山中:そうなんです。だからメンバーからの作文は、「自分の誕生日プレゼントにします!」って(笑)。一方、写真、何かをつくるというアートワーク然り、オーラルでジャケットつくったり、個展をやったりするときは、やっぱり自分がやらなければ気が済まないので、写真とか、入稿ぎりぎりまで調整させてもらったりもしたんです。「ここは変えたいので、もう一回撮り直しに行ってきます」って。普段、僕が関わっているアートチームみたいなのがあるんですけど、その方たちに急遽連絡して、一緒に作品を撮ったり、最後までこだわりきれた一冊になったなと思います。

――そんな一冊は、“弱さを強さに変える”至言の詰まった、生き方の指針ともなる作品です。オーラルの楽曲を聴いたことのない方にもこの本の言葉はぜひ届けたい。

山中:オーラルのことを知らない人でも、「この本だけ知ってる」みたいな感覚になってもらえたらいいな、と考えてます。「しんどかったんだけど、この一冊で救われたんだよね、この本、書いた人、歌をうたってる人らしいんだけど」って思ってもらえたら、僕の目的は達成できる気がする。興味が出たら楽曲を聴いてもらえればいいし、この人の吐く言葉、気になるな、と思ったら、ライブに来てもらえればいい。そこは深掘りせず、読んだ人の人生が、ただ、ただ、楽になってくれることを祈っているんです。

――“全部晒け出してほしい。それが励みになる”と、山中さんの言葉を受け取ることを願い続けていたファンの方たちにとっては、この一冊は、“光”そのものになりますね。

山中:ファンの人たちは、ある程度、僕の状態や歌詞を見てくれていたり、浮き沈みが激しいことを知ってくれていたりすると思うので、プラスアルファのところ、「なぜ自分はオーラルを好きになったのか」みたいな部分の確認に使ってもらえたら、すごくうれしいですね。

取材・文=河村道子 撮影=江森康之