『星の王子さま』みたいと話題に! 英米で社会現象となったミリオンセラー絵本を翻訳。『ぼく モグラ キツネ 馬』に込めた、川村元気の“こだわり”

文芸・カルチャー

更新日:2021/4/16

 2019年秋、イギリスで刊行されるや爆発的な人気を博し、「2020年イギリスでもっとも売れた本」となった『THE BOY, THE MOLE, THE FOX AND THE HORSE』。少年とモグラ、キツネ、馬の冒険と心の交流を、美しいイラストとともに描いたアート絵本は、アメリカでも120万部を超え、コロナ禍のなか、人々の希望をつなぐ世界的ベストセラーとなっている。そして、ついに刊行された日本語版『ぼく モグラ キツネ 馬』(飛鳥新社)も発売後たちまち重版となり8万部を突破した。

 邦訳を手掛けたのは、『世界から猫が消えたなら』『四月になれば彼女は』など数々のベストセラーを発表してきた川村元気さん。初の翻訳作品となった一冊は、小説、映画、音楽など多方面で活躍する川村さんにしか生み出すことのできなかった創作のエッセンスが息づいていた。

ぼく モグラ キツネ 馬
『ぼく モグラ キツネ 馬』(チャーリー・マッケジー:著、川村元気:訳/飛鳥新社)

――本作を初めての邦訳作品として手掛けられた理由はどんなところにあったのでしょう?

川村元気氏(以下、川村) 僕はビギナーズラックを信じているタイプなんです(笑)。初めて作った映画が『電車男』で、初の小説が『世界から猫が消えたなら』、最初に書いた脚本が『映画ドラえもん のび太の宝島』。どの作品も多くの方に楽しんでいただきました。ゆえに初めての仕事として手掛ける作品は、どこか運と勘に頼っているところがあって。翻訳はこれまで何回かお話をいただいていたのですが、ご縁がなかったんです。僕が手掛ける必然性や原作との相性、みたいなところを感じてこなかったんですね。けれど今回は、“自分はこれをやるのだな”という閃きみたいなものが明快にありました。

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――その“明快な閃き”を感じたところは?

川村 原作者のチャーリー・マッケジーさんがコラボレーションした経験を持つ、イギリスの脚本家・映画監督のリチャード・カーティスさんの作品(『ラブ・アクチュアリー』『アバウト・タイム』)が僕はすごく好きで、その世界観と、この絵本にすごく近いものを感じたんです。さらに映像と言葉の関係みたいなものを、職業柄ずっと考えてきたというところも大きかったですね。この絵本は絵と文字の関係が実に密接で、文字もアートの一部になっている。文字を翻訳するというより、“ひとつのグラフィックとして言葉をどう解釈するか”という形でやるなら、自分の得意なことが活かせると思ったんです。この言葉をどこまで日本語で言うか、もしくは言わないか、ということを、絵と文字の関係でやっていくというところも。映画を作ってきたなかで、“絵との関係において、このセリフを言うか、言わないか”みたいなことをずっとやってきているので。

――グラフィックとして言葉を解釈したことにより、邦訳に反映されたところとは?

川村 すべてですね。でも一番、大きかったのは、タイトルにある“THE BOY”が“ぼく”になったこと。忠実なところからやりたいと思い、直訳から始めたんですけど、それだと、原文にあるニュアンスが伝わってこなくて。“THE BOY”をそのまま“少年”と訳すと、高尚な感じというか、文学的な感じになる。けれど、インタビューを読むと、チャーリーさんってかなりフランクな方なんです。ゆえに“少年”では“THE BOY”の持つニュアンスが変わっちゃうなと思って。そして日本語の面白いところって、英語では“I”だけでしかあらわさないところを、“ぼく”“わたし”、“オレ”とか、かなり複雑な人称があるところなんですよね。その日本語のユニークさみたいなもので、このキャラクターたちを描きわけられないかなと。少年が “ぼく”、モグラが“オイラ”、キツネが“オレ”で、馬を“わたし”という一人称にしました。それだけで、なんとなくキャラクターのトーンがわかりますよね。それも日本語の素晴らしさだなと思って。そういう一人称を設定できたのも、言葉をグラフィックとセットで捉えていたからなのかもしれない。

――“THE BOY”=少年が“ぼく”になったことで、読者が自分の内側の目線を得られる感覚がありますね。

川村 そうですね。僕は、この“ぼく”が、チャーリーさんの目線のような気がしているんです。“少年”と言った瞬間、すごく客観的になっちゃうけど、この物語を日本語で伝えるとき、それはあまりふさわしいとは思えなかった。ブレイディみかこさんも推薦文のなかで、この本を読み聞かせることに言及されていますが、子どもと一緒に読むときも“少年”というより、“ぼく”と言った方が距離が縮まる。そこをチャーリーさんに理解いただき、快諾していただけたのは本当によかったなと。

――原作者・チャーリーさんとのやりとりは、かなり時間をかけられたのですね。

川村 編集担当の方が間に入り、コミュニケーションをとっていました。1年ほどの時間をかけて。チャーリーさんはすごくこだわりのある方で、訳はもちろん、絵のことも、印刷のことも、文字のことも、すべてじっくりと話し合いました。そういう意味では濃密なコミュニケーションのなかで出来上がった作品とも言えますね。ちょうどコロナ禍で、お互い家に籠っていたので、そうしたやりとりもゆっくり楽しめました。

――邦訳をするにあたって、これまで川村さんが積み上げてきたもののなかで、最も糧となっていた経験は何でしょう?

川村 僕の小説『世界から猫が消えたなら』が英語に翻訳されるという、今回とは逆の体験をしていることがすごく大きかったですね。その際は、翻訳をしてくださったエリック・セランドさんと密接にやりとりをしました。そのとき小説家で、詩人でもあるエリックさんが“大事なのはボイスだ”と言ったんです。翻訳とはワードではなく、原作者のボイスをどう訳すかということだ、と。それがすごく記憶に残っていた。日本語で言うと、それは文体ということになるのですが、それよりも深い印象があった。

――この本では、その“ボイス”で訳されたのですね。

川村 書き手の声みたいなものってありますよね。早口の人もいれば、ゆっくり喋る人も、大きな声で喋る人もいれば、ボソボソ喋る人もいる。そのボイスみたいなものを、どういう風に自分の言語で表現するか、みたいなことをエリックさんがおっしゃって、すごく感銘を受けたんです。だから今回、チャーリーさんのボイスって、どういうことなんだろう? というところから考えていきました。彼はきっとシニカルで、お茶目で、でもワイルドな人かなという感覚を得ていたので、一回直訳したものを、そのモードへと切り替えていきました。

――その“モードの切り替え”は、様々なエンタテインメントを手掛けられてきた川村さんならではのものだと思います。

川村 いろんなことをやっているがゆえ、今回もただ“本”という単位で見ていないというところがあるかもしれません。僕はきっとすべてのことを“表現”という単位で見ているんだと思う。そして自分がそれに関わるとなったときには、本から本へというより、一回バラバラにして、音や映像もすべて想像し、もう一回、本に戻すみたいなことをすることができる。それが自分の武器かなと思っているんです。そこで辿り着いたのが、今回の場合はボイス。翻訳ではなく、通訳をしようと思ってやっていたかもしれません。この作品ははじめ、インスタグラムみたいな場所で発表されていたので、書いたというより、発声したという感じがしたんです。

ぼく モグラ キツネ 馬
「今、ハグができなくなってしまったじゃないですか。このページを見たとき、ハグというものの力をすごく感じました。いい絵だなぁと思いましたね。“ハグ”の直訳は、“抱きしめる”だけど、これはもう“ぎゅーっとしてもらう”しかないな、と思いました」

――ぼく、モグラ、キツネ、馬。どのキャラクターも、喋っている声がすっと入ってきます。音読すると言葉の響きが面白い。読み聞かせにも向いていますね。

川村 自分で何回も喋りながら訳しました。チャーリーさんが前書きで書いている文章を読み、“この人は、こういう風に喋るのかな”と想像しながら。チャーリーさんがこの本のなかのキャラクターたちすべての役を担い、ひとりでお芝居しているみたいな感覚で書きました。絵本を子どもに読み聞かせするときも、親がいろんな役になるじゃないですか。ぼくなのか、モグラなのか、キツネなのか、馬なのか、そのセリフを読んだだけで、その役がわかるように描こうとしていました。

――書家の島野真希さんが書かれた文字も、そんな“役”を担っている気がします。ひらがな、カタカナ、漢字。文字の豊富な日本語への転換にもストーリーがありそうですね。

川村 最後の最後まで、これを漢字に直そうとか、ここはひらがな、カタカナに変えようという作業を延々とやっていました。実際、手書きで書いていただくと、印刷のフォント文字とはまた違って見えてくるんです。これは漢字では堅くなってしまうとか、ひらがなにすると、かえって読みにくくなるとか。原書も、文字自体がアートになっている本なので、日本語版もそこにこだわりを持ち、島野真希さんという素晴らしい書家の方に書いていただきました。デザインとしてのひらがな、カタカナ、漢字の組み合わせは、日本版オリジナルの面白さになっていると思います。(後編へつづく

取材・文=河村道子 撮影=下林彩子

≪プロフィール≫
かわむら・げんき●『君の名は。』『おおかみこどもの雨と雪』などの映画を製作。2012年、初小説『世界から猫が消えたなら』を発表し、ミリオンセラーとなる。他の著作に小説『億男』『四月になれば彼女は』『百花』、絵本『ふうせんいぬティニー』『ムーム』など。