声を上げるだけが戦い方ではない。見えない線を引かれ、括られることの“違和感”を物語に込めた『ひきなみ』千早茜インタビュー

小説・エッセイ

公開日:2021/5/7

千早茜さん

千早 茜
ちはや・あかね●1979年、北海道生まれ。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞、デビュー。同作で泉鏡花文学賞、『あとかた』で島清恋愛文学賞、『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞を受賞。著書に『からまる』『眠りの庭』『男ともだち』『クローゼット』『正しい女たち』『鳥籠の小娘』(絵・宇野亞喜良)、エッセイに『わるい食べもの』など多数。

(取材・文=河村道子 撮影=冨永智子)

 花曇りのなか、ドレスの青い色が揺れる。千早さんが動くたび、その場所にだけ光が射すよう。小学校最後の年を母の生まれ育った島で暮らすため、列車に揺られる少女が“初めて一人で見た海”の色はきっとこんな色だったのではないだろうか。

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「これまで私の書いてきた登場人物は変化をしない人が多くて。物語のなかを流れる時間も、長くて1年くらいで、年齢を重ねていく、という小説があまりなかったんです。本作は初めて子どもから大人へ、という軸でストーリーを動かしていきました。私の書くもののなかでは珍しいタイプの一作になったと思います」

「海」と「陸」、2章から紡がれた物語は、家庭の事情から祖父母に預けられることになった小学6年生の葉が、瀬戸内海に浮かぶ島へ来たところから始まる。“東京の子は――”、意味はわからないが、あまりいい感じはしない“いなげな子”という言葉が人々から降ってくるその島で、葉はひとりの少女と出会う。

「真以は、最初にできあがった登場人物です。人の見えない線を越えられる子を描きたくて。そして、賢いけれど、人の顔色を窺ってしまう葉の視点で、その子を追っていきたいと思いました」

 高速船のなかで出会った真以と、葉は島の寄合で再び会う。“髪をなびかせて女の子がテーブルを走っていく”。男の子のからかいを受け、堪えるしかなかった葉の目の前で、彼女は“見えない”道を走り、反撃をしてくれた。

「テーブルの上なんて誰も走らないけど、走ったらそこは道になる。一番書きたかったそのシーンは、時々観に行くストリップから絵が浮かんできました。花道では踊り子さんが裸で踊ったり、走ったりするんです。彼女たちは皆、本当に綺麗で。そして姿形がそれぞれ違う。ふくよかな人もいれば、痩せ気味の人もいるし、胸もお尻の形もみんな違う。女性の体型はこうでなければ、というカテゴライズがそこにはないんです。そんな各々の美しさを見ていると、いろんな身体の女の人がいていいんだ、という自信にもなります」

“見た目”をはじめ、私たちはカテゴライズのなかを生きている。そして知らないうちに、自分にも、他人にも、ついそれを当てはめてしまう。

「小学生の頃、アフリカから帰国したとき、勝手にカテゴライズをされ、嫌な思いをしたんです。ゆえに勝手にカテゴライズし、人を見ていくことへの反発心があって。人は皆、それぞれ違う物語や背景を持っているのに。その気持ちが、この物語には色濃く出てきてしまいました」

 それは葉と真以、2人の関係性と成長を描いた“女ともだちの物語”が、そのジャンルにはない肌ざわりを抽出していることにも通じている。

「女の子は交換日記や長電話など、言葉を交わして、というところの積み重ねから友情が育っていくことが多い気がするんです。けど、なかには口数の少ない女の子だっている。キャッチボールを一緒にしたとか、“動”の動きだけで友情が出来ていく男の子みたいな。そういう女同士の関係性もあるということを書きたかったというところがあります」

 ゆえに“動き”の多くなった物語は、“千早茜”の新たな扉を開くものとなった。

なぜ、島に逃げるんだろう その疑問がモチーフになった

「たとえば『クローゼット』では服、『西洋菓子店プティ・フール』ではお菓子と、モチーフに描写を重ねていくことが私は好きで。でもこの物語は直線的。描写も、“削ぎ落す”という意識で書いていました」

 そうした執筆のなかで感じていたのは、これまでにないスピード感とエンタメ感。思いがけない展開にもつながったという。

「“逃亡犯とか出てくるんだ?”って、自分でも驚きました。さらに少女たちが危ないことをしたり家出したりして、まるで『スタンド・バイ・ミー』みたいだなぁって(笑)。ああいう小説、自分では一生書くことがないって思っていたので、すごく新鮮でした」

 中学生になった葉と真以は、ある日、島に逃げてきた受刑者と遭遇する。いつしか“お兄さん”と呼ぶようになった彼に会いにいくことは2人だけの秘密。だがある日、真以は彼とともに島から姿を消してしまう。

「取材旅行で尾道に行ったとき、四国の刑務所から逃亡した受刑者の事件が起きていたんです。海を渡り島に逃げたという、その人の話を聞き、“なぜ、島に逃げるんだろう”って思った。広い世界ではなく、閉じられたところに行くのはどうしてなんだろうって。それが本作で、島をモチーフにしたきっかけともなったのですが、そこから思いを巡らせているうち、知ろうと思えば、どこにいても情報が入ってくる現代は、そこが島でも都会でもまったく変わらないんだろうなと感じたんです、たとえば人との関係も。都会にいても、そこが孤島だと感じている人はたくさんいる」

違和感に声を上げるだけが戦い方ではないと思う

 真以が姿を消した約20年後を描いた「陸」では、大手企業に勤める葉の“孤島”のような東京での暮らしが描写されていく。上司から受ける激烈なハラスメントにより、彼女は身も心も限界を迎えようとしていた。

「勧善懲悪が書けたら、すごく楽だと思いました。けれど現実でも、この上司みたいな人は反省もしないし、きっと罰も当たらない。そんな人に罰を当てるため、ネットリンチをする人々がいるのだろうけれど、裁く権利はないし、されたことだってなかったことにはならない。そのことを読む方とともに考えたくて、余白を残している部分がありますね、“どう思う?”って」

 そんなある日、陶芸工房のHPに真以の姿を見つける葉。わだかまりを抱えつつも、彼女はたまらず、真以に会いに行く。

「もう少し互いに言葉でわかりやすく、誤解を解いたり、別れてからこれまでのことを話すのかなと思っていたんですけど、この2人はそういうことをしなかった。けれどそれは、すごく自然な流れだったし、人と人の関係にある柔らかなものをそこに見つけたような気がしました」

「陸」は「海」のアンサーでもある。ぽつぽつと明らかになっていくこと――真以はなぜ逃亡受刑者と逃げたのか、彼女がいつも男の子みたいな服を着ていたのはどうしてだったのか……そこには、社会的にも、性的にも、女であることに傷つき、縛られながら生きなければならない、この世界への違和感が横たわっている。

「違和感を疑問や怒りとともにツイッターで呟いても、すぐに忘れられてしまう。けれど物語のなかに違和感として残せば、自分の言葉ではない方法で残ると思ったんです。彼女たちを通し、女であるというだけでこんな嫌な目に遭っているということが。これは、見えない線を引かれ、勝手にひと括りにされてしまうことへの戦いの物語かもしれません。その戦い方もいろいろあって、声を上げるということだけが戦いではないと思う。我が道を作り、自分の人生を歩いていくと表明するのもひとつの戦い方ではないかと」

 そんな物語を、心象風景に編みこんでいくのは、千早さんならではの描写と色彩。「海」では青、緑などのビビッドな色、「陸」では灰色や桜色などのペールトーンが、葉と真以を包み込む。そのなかで目に焼き付いてくるのが、ラストシーンで描かれるある色。“風が見せてくれる一番好きな景色”と真以が言うそれは、何ものにも括られることのない、その人だけの景色を見せている。

 

 

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