手塚治虫文化賞受賞で話題の『消えたママ友』。渡辺ペコさんと富永京子さんが語る「野原広子作品の魅力」とは?

マンガ

公開日:2021/6/3

消えたママ友
消えたママ友』(野原広子/KADOKAWA)

 第25回手塚治虫文化賞短編賞の選考会で、もっとも支持を集めた『消えたママ友』(KADOKAWA)と、やはり評価の高かった『妻が口をきいてくれません』(集英社)の二作で受賞が決定した野原広子さん。かわいらしい絵柄で描かれる“ママ”たちの日常に、読者はどうしてこれほどまでに惹きつけられてしまうのか――? Twitter上で『消えたママ友』についてやりとりをかわしたのをきっかけに、マンガ家・渡辺ペコさんと社会学者・富永京子さんの対談が実現! 野原作品の魅力について語っていただきました。

(取材・文=立花もも)

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――お二人が野原さんの作品に出会ったきっかけはなんだったのでしょう?

渡辺ペコさん(以下、渡辺):最初に読んだのは『離婚してもいいですか?』(KADOKAWA)だったと思います。絵柄がとても好みだったのと、「いいですか?」って問いかけるタイトルは流行でもありましたが、まんまと惹かれて手にとったんですよね。ただ読み終わったときは、けっこうしんどかった。主婦の主人公がどんなことに我慢し、抑圧を受け、つらい思いをしているかということが克明に描かれていることにくわえ、けっきょく離婚という決断には至らないことに、私自身もつらくなってしまって。でもやっぱり絵柄が好きだし、構成もすごくお上手で、読まされる作品だったんですよね。それで『離婚してもいいですか? 翔子の場合』(KADOKAWA)も読んでみることにしたんです。どうしてこのテーマで二作目を描こうと思ったのかな、というのも非常に気になったので。

――印象は、何か変わりましたか?

渡辺:しんどい部分はやっぱりありましたし、読み心地も似ているんですけど、一作目の主人公・志保と違うのは、翔子がだんだん自分の想いを行動や言葉で示すようになっていくところでしょうか。翔子もけっきょくは離婚に至りませんが、その変化はとても興味深かったです。同じテーマで、似た境遇の人たちの物語。だけど細部は少しずつ違う……。他の作品はどうなのだろうと『ママ友がこわい 子どもが同学年という小さな絶望』(KADOKAWA)も手にとり、『消えたママ友』に至るまで読ませていただいた結果、「執拗」と思えるほど反復して描かれる主婦の日常があるからこそ、野原さんの作品はおもしろいのだと気づきました。そこから初期の作品を読み返すと、ただしんどいだけではないさまざまな発見もありました。

『離婚してもいいですか?』

『離婚してもいいですか?』
『離婚してもいいですか?』(2014年刊)

『離婚してもいいですか?翔子の場合』

『離婚してもいいですか?翔子の場合』
1作目刊行の4年後に描かれた『離婚してもいいですか?翔子の場合』(2018年刊)

富永京子さん(以下、富永):私が最初に読んだのは『ママ友がこわい』で、2015年頃だったと思います。当時、私は日本を離れて暮らしていたんですが、同じ文化圏の人がいない環境だと、どうしても“普通の日常”に触れたくなってしまうんですよ。それで、読売新聞の投稿サイト「発言小町」や女性専用の掲示板「ガールズちゃんねる」なども読んでいて、その延長で『ママ友がこわい』にも興味を惹かれたのだと思います。

渡辺:ああ、わかります。発言小町的なおもしろさ、と言ってしまっていいのかわかりませんが、好奇心の発端としては似ているところがありますよね。

富永:だからこそ最初は「おもしろかったけれど、表立ってそれを言うのはちょっと憚られるな」というのが率直な感想でした。野原さんの作品に限らず、コミックエッセイというジャンルに対して私のなかに偏見めいたものもあったんですよね。わかりやすいカテゴリ――野原さんの作品でいえばママ友とか主婦とか――にあてはまる人の、わかりやすい不幸や“あるある”ネタを、おもしろがって消費してしまうことに抵抗感を覚えていたんだと思います。野原さんの作品はコミックエッセイ風のフィクションですが、私の感じている“おもしろい”が果たしてどこから生まれる感情なのか、うまく処理しきれないところもありました。

渡辺:完全なフィクションだとしたら、一般的にはもう少しわかりやすいカタルシスを描くと思うんですよね。でも野原さんの作品、とくに初期のものにはそれがなくて、つくりものとは思えない不気味さが感じられた。

――『ママ友がこわい』のラストは「えっ、そこで終わっちゃうの!?」とかなりぞっとさせられるものでした。

渡辺:いったい野原さんはどういうエネルギーをもってこれをフィクション化しているんだろう? 根底にあるのは呪詛なのか希望なのか、それとも自分からはまったく切り離して完全に俯瞰したものとして描かれているのか、判別がつかなかったというのも、惹きつけられた理由のひとつでした。ただ、『翔子の場合』を読んだときは一作目よりも物語っぽさを感じて。『消えたママ友』ではさらに、質の高いフィクションとしてスパークした印象を受けました。……などと、私が言うのもおこがましいですが。日常の反復から生まれるしんどさを、どの作品でも手をゆるめず描き続けてきたからこそ、周辺を演出する技法を一作ずつ体得していかれたんだなと、感動してしまいました。

富永:野原さんの作品は、ディテールが優れすぎているんですよね。たとえば『ママ友がこわい』の主人公は、仲良かったはずのママ友に無視されていて、夏まつりの買い出し係を押しつけられるなか、紙コップは色がついていたほうがいいのか否か、そんな些細な確認さえできない状況に追い込まれてしまう。私には親としての経験がなく、生活環境もまるで違いますが、その描写には「こういうことはきっとあるだろう」と思わされる説得力がありました。そうした些細だけど深刻な悩みは発言小町に寄せられる相談に近いものがあるので、ノンフィクションのように感じてしまったのですが、渡辺さんのおっしゃるとおり、とくに『消えたママ友』はフィクション性を高めながらそのディテールを描く技術がずば抜けていて、格段におもしろい作品になっていましたね。

『ママ友がこわい』

『ママ友がこわい』
『ママ友がこわい』(2018年刊)

渡辺:紙コップのくだりは、野原さんの作品を象徴していますよね。ちょっとした違和感や“言えない”という抑圧を、ああした小さなエピソードを執拗に積みあげていくことで野原さんは描いていかれて。でも、先ほども言ったように、たとえ似たエピソードであったとしても同じものは一つもなくて……。小さな子をもつ主婦が、夫への不満ややるせなさを抱えながら、日々を必死にととのえている。その声を拾ってもらえないことがいかにしんどいことなのか、作品を通じて追体験することで、私もようやく知れたような気がします。それこそ発言小町やSNSで似たような相談を読んだときは、「そんなにひどい状況なら別れるかないんじゃない?」などと思うにとどめてしまっていたから。

富永:渡辺さんの『1122』(講談社)や『にこたま』(講談社)に描かれる主人公も、そして私自身も、わりと言いたいことは言えるタイプですからね。働いていて、独立して生計を立てられるし、パートナーシップは平等だという意識があるから、おかしいと思ったことは話し合いにも持ち込める。

渡辺:富永さんの著書『みんなの「わがまま」入門』(左右社)には、多様性を実感するために、他人の家計簿を想像してつくってみようというワークシートがありますよね。野原さんの作品を読んで感じたものは、ワークシートの試みとも近かった気がします。働いていない、あるいはパートの収入はあるけど家計のためで、自分のために使える十分なお金が手元にない。結果、夫との力関係に上下が生まれてしまい、声をあげたところで届かないから、やがてあきらめてしまう……。「別れればいい」なんて簡単に言うことがどれほど残酷で無責任なことだったのかを、思い知りました。

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