中村倫也「僕の中ではたぶん『利他』が利己なんです」【ロングインタビュー】

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更新日:2021/7/14

自分だけ楽しくても「それ、つまんない」

──中村さんが「自意識」について記す時は、内面にある「ぐちゃぐちゃ」が溢れ出る瞬間であると同時に、「利他」の精神が発動する瞬間でもあると思うんです。

 例えば、本文に初めて「自意識」の一語が現れるのは、『ダ・ヴィンチ』の連載初回に当たる一編「自意識の塊、夜の空を飛ぶ。」の中です。悩んだすえにようやく伝えたいテーマが出てきたものの、〈「しめたっ!」とばかりにキーボードを叩き始めるとすぐに厄介な“自意識”が指に絡みついてきて「なにカッコつけてるんだ俺は〜!!」と頭を掻き毟りたくなる。(中略)なぜスラスラと書けないのだろう。無駄な例えや飾りばかりちりばめて〉。

 ここで「自意識」が発動しているからこそ、読者にとって読みやすく、自分の伝えたいものが一番伝わるかたちを探せているんですよね。他の箇所を読んでみても、「自意識」が利己的な言動に対する厳しいチェッカーとなり、「利他」的な言動をするよう促しているように感じられるんです。

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 こうした「自意識」のチェッカー機能は、いつ頃手に入れたものなのでしょうか?

中村 年々少しずつ、だと思いますね。それこそ役者になって最初の頃は「売れたい」とか「いい役やりたい」とか、「芝居うまいねってちやほやされたい」といった意識が強かったかなと思うんです。それがだんだん年齢を重ねて環境も変わって、現場に年下が増えたりしてきたなかで、かつて自分が見上げていた背中に自分がならなきゃいけなくなってきた。どうやって自分の存在をうまくアピールできるかということよりも、「ここで自分に何ができるんだろう?」というふうに自分を見る視線が変わってきたんですよね。現場でも、自分の「正解」を押し付けなくなりました。

 元来の友達付き合いとか家族関係の中で培われた、性格的な部分もあるとは思います。モットーと言うほどのことじゃないですけど、人が喜んでいるのを見るのがめっちゃ楽しいんです。自分だけ楽しくてもイヤなんですよ。自分だけ楽しくても「それ、つまんない」なんです。自分のやったことによって人が笑顔になることで、自分が満たされるという感覚はどこへ行ってもあります。自分にとって居心地がいいポイントなんですよね、そのバランスが。

──この本は、そのポイントの在り処、探り方を教えてくれると思うんです。実はここ最近、コロナ禍を乗り越えるためのキーワードとして、「利他」に注目する機会が多くなってきました。ただ、中村さんはコロナ禍をきっかけに「利他」に目覚めたわけではないんですよね。本書は『ダ・ヴィンチ』2018年11月号から2020年11月号に掲載されたエッセイが、時系列順で収録されています。そのため2020年5月号以降のエッセイからは、コロナ禍の影響が如実に感じられる内容となっているんですが、その前からずっと「利他」の人だということが、この本には記録されている。

中村 確かに、去年今年と取材のたびに、質問の前に必ず「コロナ禍ですが……」という枕詞がつくんですけど、僕自身に関して言えば変わってないなぁという感覚ですね。コロナがきっかけで、改めて自分のやっていることを見つめ直したりはしましたけど、結論としてはこの何年かは変わってないなぁ、と。

 振り返ってみれば、仕事がない時期を経験したことも大きかったのかもしれないですね。その時期は、仕事をもらうに至るまでのプロセスをずっと考えていたんです。まず、自分に対する期待がなければ、何も始まらないだろうな、と。たとえ一度のチャンスをもらっても、その次を期待させる何かがそこで出せなければ、続かない。ということは、人が求めている以上のものを出さなければいけない。そんなことを考えていたら、「人が望むものを」という気持ちにどんどんとなっていった。それが、巡り巡って自分のためにもなるから。

 だから……そんなにいいもんじゃないっていうのが根底にあるとして(笑)、今までの話を総合すると、僕の中ではたぶん「利他」が利己なんですよ。行き着く先は、「自分のため」でもあるんです。

過去の自分をがっかりさせたくない

──「自意識」の話とも重なるんですが、中村さんの文章には〈あの頃の純真無垢な俺〉〈廊下側、後ろから二番目の席の僕〉など、真空パックされた過去の自分の意識がときおり現れて、現在の自分をジャッジする目線が入り込んでくる。この目線も、中村さんにとってすごく重要な役割を果たしている。こういった複数の「あの頃の自分」は、意識的に忘れずにいるものなんでしょうか。

中村 思い出すようにはしていますね。思い出さずにいると、忘れちゃうというより、昔の自分が美化されていっちゃうんです。たまには過去の自分を意識して引っ張り出して、横に置いてちゃんと見てあげなきゃね、みたいな感じです。

 定点観測的に今の自分の位置を測るには基準が必要で、それが過去の、いろんな時期の自分でもある。これは自分でもたまに本当に男臭い考え方だなと思うんですけど、生きていくうえで、過去の自分をがっかりさせたくないな、みたいな感覚もあるんです。

──連載の最終回(「やんごとなき者たちへ」)の最後の文章が大好きなんです。

〈目に見えない不安が渦巻き光が見えづらくなった時ほど、せめて自分くらい、自分のことを、たまにでいいから認めてあげて欲しいなと切に思う。そしてそれぞれの歩幅で歩いていけばいいんだと思う。比べるのは一歩前の自分の足跡だ〉

 自己愛はなぜかネガティブな言葉に捉えられがちだと思うんですが、過剰で利己的な自己愛は確かにまずいかもしれないけれども、健全な自己愛はきっと利他の精神にも繋がる。本書全体を通して、そんなことも感じ取ることができました。

中村 そうだと思いますよ。自分に誠意を持てなければ、それを人に向けることはできないと思います。

 その文章に関連して言うと、先のことを考えても無駄なんですよね。「今」の連続で今の「今」があるわけで、ということは、未来も「今」の連続でしかない。具体的に先の予定を考えて建設的に準備したりするのは大事ですけど、「今」が充実していれば後悔はしないはずなんです。そこへ無闇に未来という時間軸を持ち込むから、不安になったり悩んだりしてしまう。

 あとは、比較で物事を考えないほうがいいですよね。僕も昔そうだったからものすごく分かるんですけど、人と比較しても無駄なんですよ。そんなことに時間やらエネルギーは割かずに、自分に何ができるか、自分のストロングポイントはどこか、自分の能力の使い方を考えていったほうがいい。誰からも認められるような才能なんかなくても……ないと思うからこそ、工夫と努力次第で自分の居場所は作れるはずなんです。

──最後に一つ、お伺いします。文筆家として、また筆を執るご予定はありますか?

中村 どうでしょうねぇ。ただ、ある企画のことで編集者とは話しています。表紙は今回の本とまったく同じデザインにしたいですね。本を開いてみるとまさかの……みたいな(笑)。

ヘアメイク:Emiy
スタイリング:小林 新(UM)

衣装協力:カーディガン2万4000円、パンツ3万円(ともにウル/ともにエンケル 問03-6812-9897)、シャツ3万円(エズミ/RI Design 問03-6447-1264)※すべて税別 その他スタイリスト私物

【書評】 自意識過剰と「利他」意識──中村倫也『THE やんごとなき雑談』

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