創刊75年の長寿雑誌! 井伏鱒二の“釣りの師匠”が創った、釣りの総合誌『つり人』が求められ続ける理由

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更新日:2021/6/25

つり人

 1946年、終戦直後、ある一冊の釣り雑誌が創刊された。その名も『つり人』。現在も刊行され続けている月刊『つり人』(つり人社)は今年75周年となる長寿雑誌だ。

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『つり人』2021年8月号(つり人社)

 なぜ『つり人』は創刊から75年の長きにわたり読者に支持されてきたのか。今年4月から新たな編集長となった佐藤俊輔氏に、雑誌『つり人』の歴史と日本の釣りについて、そして、2021年の今だからこそ、屋外で密を避けながら手軽に楽しめるアウトドアとして、注目を集めている「釣り」の現状を聞いた。また、「取材中、ファインダーを覗きながら涙が流れた」と佐藤編集長が語ったそのドラマとは――?

(取材・撮影 すずきたけし)

戦後日本の釣り

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――『つり人』が今年で75周年ということで、まずは創刊時のことからお話を聞かせてください。

佐藤俊輔氏(以下、佐藤) 戦後間もない1946年に、井伏鱒二さんの釣りの師匠といわれ随筆家としてその名を知られた佐藤垢石(さとうこうせき)が、立ち上げたのが『つり人』です。佐藤垢石は戦時中から満州など様々なところで釣りをしてきた人で、当時の『つり人』は、文人墨客がライターをしていた文人的趣味の強い雑誌でした。もちろん、ただの文人雑誌としてではなく、当時から川と海の両面で幅広い釣りものが網羅されています。

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 戦後で人々の暮らしも逼迫していた中で、最初のレジャーとして一番身近にできたのが釣りだったんじゃないかと思います。貧しくてもできる趣味というのが釣りの素晴らしさであって、当時から多くの人がちょっとした水辺に行って釣りをしていたんじゃないでしょうか。

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 ただ、この創刊号は今見るとかなりとんがっていて、まずページをめくるとアマゾン川で釣りをする「密林の女釣り人」というグラビアが出てくる(笑)

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 その次のページのグラビアでは、筋骨隆々とした米兵とガリガリの日本人の少年が一緒に映っているグラビアがあるんですけれど、戦後の釣りを象徴するコントラストになっていると思います。

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 創刊号からの雑誌の理念というものは佐藤垢石の「創刊之詞」に書いてあります。これは現在のわが社のポリシーでもあり、現在の『つり人』の巻末にも毎号掲載しています。趣味というか釣りというレジャーは人間の生活に必要なものであり、また釣りは原始時代より楽しまれてきたものです。日本人は戦後、身も心もボロボロになりました。国破れて山河在りといいますが、自然は人々の営みと関係なくあります。「釣らう、無心の姿で」という言葉に象徴されているように、心の安寧を得られる釣り、自然の中に没入できるこの趣味を広めようと佐藤垢石が文人墨客に呼び掛けて作り上げた。それが『つり人』の発端だと思います。

――「創刊之詞」には、釣りの指導も案内も満足にできないけれど、相談相手にはなれるよと、釣り人と同じ目線で語っているのが印象的です。

佐藤 読者すなわち釣り人目線というのは今でもすごく大事にしています。やっぱり先人たちが釣り人目線で続けてきた誌面作りのおかげで、75年目を迎えられたというのがあります。

釣り場と読者と共に変化していった誌面作り

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――創刊当時と現在の『つり人』を比べて、変わっていないことや、逆に大きく変わったことはありますか?

佐藤 無心で釣ろう、という佐藤垢石の「創刊之詞」にあるポリシーは変わってないですね。変わったことは、読者目線のその読者である釣り人と自然の変化です。70年前の『つり人』には東京湾にまだ干潟がいっぱいあって、その干潟に脚立を立ててアオギスを狙う「脚立釣り」の記事があるんですが、その10年後の昭和36年にはアオギスの記事がまったくなくなった。浦安あたりの湾内の開発で東京湾の干潟がなくなったんですね。ほかにもお台場の沖にあった導流(どうりゅう)杭まわりでクロダイを釣るのも東京湾の昔の風物詩だったんですけれど、それもなくなってしまった。そうやって江戸前の釣りといわれているものがどんどんなくなっていった。こうして失われた釣りもあれば、新たに生まれる釣りものや、注目される釣り場も出てきます。

 それで70年代の高度経済成長期に入ると、雑誌が300ページとかものすごく分厚くなっていくんですよ(現在は170ページ前後)。

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――広告が増えた?

佐藤 釣りが多様化して、そのたくさんの釣りモノの記事が載るようになったからです。あと日本の釣り人口も増えていきました。

 このころからルアーフィッシング、とくにブラックバスの釣りが台頭してくるんですね。80年代に入り、1986年に我が国初のバスフィッシング専門誌となる『Basser』がつり人の別冊として誕生しました。「フナに始まりフナに終わる」という釣りの言葉があります。それはフナが身近にいる自然があったからで都市化が進み、身近な水辺が埋め立てられて釣り場がなくなった。「春の小川」という童謡がありますが、この歌で歌われているのは渋谷区代々木を流れていた河骨川という小川です。その川も現在は地下を流れ、下水道に転用されています。このようにフナの泳ぐ小川がどんどんなくなってしまった。代わりに増えてきたのがブラックバスのいる水辺で「バスに始まりバスに終わる」といってもいいくらい、ブラックバスにのめりこむ子どもたちが多くなっていくんです。

――身近な釣りがブラックバスになっていく。

佐藤 バス釣りはかっこいいというイメージがあります。オモチャみたいなルアーで魚を釣るのも、ウェアもカジュアルでファッショナブルだし、90年代半ばには木村拓哉さんとか糸井重里さんのような有名人もやり始めて、バスブームがどんどん大きくなっていきました。そのピークは1997年くらいといわれていて、レジャー白書を見ると当時の釣り人口は約2000万人もいた。ちなみに今は650万人から700万人くらいといわれていますが、釣り人口が増えた一因にバス人気があったことは間違いありません。

 そんなブームのピークから10年経ってバスは釣れにくくなりました。ブームというのは反面叩かれる要素もあるんですね。バスは外来魚なので外来種問題というのも出てきて、場所によってはリリースが禁止され、肩身の狭い釣りになってしまった。各地でバスが釣れなくなってきた現代は、海のルアーフィッシングが盛り上がっています。

 このように釣り場や釣り人の変化に合わせて雑誌を作っていくのが基本で、つり人で取り上げた新しい釣りものが、新たな専門誌として刊行されていくようにもなりました。

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――コロナ禍という特殊な状況下で、『つり人』でもコロナの影響はあったのでしょうか。

佐藤 withコロナのなかで、釣りを始めたいという人がとても増えました。『つり人』は入門的な視点も大切にしています。かつ夢のある記事ももちろんあって、売れ行きはまずまず好調です。

――さきほどの「創刊之詞」を読んだときに、戦後の言葉ながら、コロナ禍の今に通じる言葉だと思いました。

佐藤 そうなんです。今ステイホームが正義という風潮があるんですけれど、家に閉じこもっているだけで良いわけがない。適度な運動とか、適度に紫外線を浴びるとか、外の空気を吸うことも大事だし、家に閉じこもってばかりでは心の健康にもよくない。釣りは密を避けられて釣り場でクラスターが発生することもないので、そういう意味ではwithコロナの時代は、釣りが救うという信念を持ってやっています。

取材機材の進化が雑誌の制作体制を変える。

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――今の『つり人』について聞かせてください。雑誌が読まれるために誌面作りの中で工夫していることなどはありますか。

佐藤 今はすべてが検索の時代だと思います。知りたいと思ったらまず検索して、その情報を読んで、とりあえずやってみる。そこで壁にぶつかって、必要な道具がわかって釣り道具屋に行くようになると。そういった入り方が普通になりつつある中で、そこで『つり人』を見つけて手に取ってもらったときに、入門のABCのAの部分だけが載っていても買ってくれないと思います。そこからさらに釣果を伸ばすためにどうするかみたいな、ちょっと上の部分の記事まで作るように意識はしていますね。

――つり人社では以前からDVDをリリースしていて、動画コンテンツにも注目されていましたが、最近では水中カメラやドローンなどが登場しています。機材の変化についてはどうですか。

佐藤 昔は水中を撮影するのは特殊技能だったんです。ダイビングのライセンスを持っている人や高価な水中カメラ、ハウジング機材がなければできなかった。けれど今はGoProのようなアクションカムがありますよね。ルアーの動きを追っていけば水中の様子が撮れ、誰でも水中撮影ができるようになりました。

 ほかにも水中ドローンというのをすでに購入して運用しています。道具の進化を上手く利用すれば、編集部員が3人の『つり人』でも、以前は特殊な撮影だったものができるようになりました。

――水中カメラで魚がかかるシーンなんですが、それまで釣り人の頭の中で想像できていた、ある意味釣りの楽しさでもあった部分が、水中カメラで詳らかにされてしまうのは、釣り人としては大丈夫なんでしょうか?

 そこはもどかしいところで、想像の世界にしておいたほうが良かったという釣り人もたくさんいます。15年前にカワハギ釣りの水中と船上をリンクさせたDVD、その名も『カワハギ地獄』というのを出したんですが。

――カワハギ地獄(笑)。

佐藤 カワハギは「エサ泥棒」と呼ばれるほど、エサだけを取るのが上手いんです。多くの魚はハリ(エサ)をくわえて引っ張ります。それがサオに伝って釣り人にもアタリ(魚がハリに掛かる)がわかる。それがカワハギは水中でホバリングして静止をしながらエサをついばみます。仕掛けを引っ張ってくれないので釣り人にアタリがわかりにくい。釣るのが難しい魚なんです。DVDでは名人がどんどん釣っていくんですけれど、実際カワハギがどんなふうにエサを取っているのかを見たら、名人でも実際はエサを取られていて、カワハギのほうが2枚も3枚も上手だったんですね。名人も途中でショックを受けていましたけれど、そこから釣りのやり方を変えていくんです。水中動画を見たことでガッカリする反面、この誘いじゃダメなんだ、というのがわかってきて、そこから釣りが進化していったんですね。そうやって新しいメソッドが生まれたりするんです。

 日本の釣り人は探求心が強くて、釣りに関する技術やテクノロジーでは間違いなく世界一だと思います。

取材中、ファインダーを覗きながら涙が流れた

――大変だったことや、思い出に残っている取材はありますか。

佐藤 魚が釣れないというのは自然を相手にしているのでよくあるんですよ。だからなるべく上手い人と、実績のある場所で、釣れそうな時間帯を選んでやるなど工夫はしています。それでも釣れないことは良くあります。

 僕が一番辛かったのは船酔いですね。『つり人』は総合誌なので船釣りの取材も当然やります。駿河湾の石花海(せのうみ)でのヤリイカ釣りは冬の厳寒期で一番海が荒れやすいときがハイシーズンです。その取材で頭の上くらいまで波が来ていて、船がサーフィンで波の上を横滑りしているようなことになっているのに、そんな中みんなイカ釣りをしている(笑)。

 もともと船には弱くなかったんですが、ほぼ徹夜で船に乗ったのと、カメラを持ってファインダーを覗きながら取材していたので船酔いしてしまって、もう、シャッターを押しては吐いて、吐いてはシャッターを押してみたいな、そんな取材がありました。

 月刊つり人のほかにも『別冊鮎釣り』と『鮎マスターズ』という鮎釣りの専門誌の担当もしています。夏になると釣具メーカーが主催する鮎釣り大会の取材をします。その中で印象深い大会があります。

 全国各地の川で予選が開催されて3000人くらいが参加する大きなアユ釣りの大会なんですけれど、決勝に残ったのは、ほかの大会で軒並み優勝している凄腕のアユ釣り名人と、やはり名人級の腕前の人が残っていて、もうひとりが65歳の大ベテランという3人。各選手は3エリアを40分毎に3ラウンド回って釣ります。どう考えても優勝は実績のある2人だろうという下馬評だったんですが、そのベテランの男性がものすごいアグレッシブで、どんどんアユを釣っていったんですね。最終の3ラウンド目には釣るたびに観客からスタンディングオベーションが始まって、最後にダメ押しのアユを釣りあげたときに、太陽の光が斜めにその男性を照らして、笑顔の表情に汗が飛び散って、抜き取ったアユに光がかかってすごく綺麗な写真が撮れたんです。自分の後ろでも観客がスタンディングオベーションしていて、シャッターを押しながら涙が流れてきて、なんだこれはと。

 大会には賞金があるわけでもなく、ただアユをいかに掛けられるかというプライドのために競っているんです。そのなかにドラマがあるんですよ。

つり人

――『つり人』の今後の展望や課題などをお聞かせください。

佐藤 雑誌から情報を得ずに、SNSやYouTubeなど個人で発信しているメディアで学んで釣りを始めた人がかなり多くなっていて、特にコロナ禍の現在は釣り人口が増えているんですが、釣り場でゴミを捨てたり、無断駐車したりとマナーが問題になっています。

 そうした釣り人の一部の人のマナーが悪いために立ち入り禁止になる釣り場が増えています。釣りのできる場所がどんどん減っていくような状況を防ぐためにも、雑誌はもちろん「つり人チャンネル」というYouTubeチャンネルではマナー動画を作って、マナーの啓蒙にも意識的に取り組んでいます。

つり人チャンネル

 あとは環境問題ですね。日ごろから自然に関心を持っている釣り人は「水辺の番人」といわれています。長年にわたって釣りの雑誌を作り続けてきた中で、環境問題は誌面にかならず入れています。

 多くの人に釣り場をめぐる自然環境についても考えてもらいたい。その姿勢はこれからの『つり人』でも継続していきます。

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――最後に、これから釣りを始めてみたいと思っている読者の方へ。

 身近で釣れるターゲットにより注目が集まっていると感じています。例えば都心でも、ビルの真下の川でクロダイが釣れます。荒川や江戸川、多摩川といった都市部の川では梅雨から夏にテナガエビ釣りが人気で、休日には多くの家族連れがサオを並べています。実はテナガエビは75年前の『つり人』創刊当時から取り上げている釣りなんです。

 コロナ禍の今、ぜひ身近な水辺の魚釣りから始めてほしいですね。

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佐藤俊輔

佐藤俊輔編集長

1980年神奈川県生まれ。小学校高学年から川遊びに夢中になり、授業中に釣りの仕掛け図を書くことに熱中するほど釣りに夢中になる。その後映画製作の助監督などを経験するが、再び釣りへの夢を思い出し、2006年につり人社にアルバイトで入社。以降、月刊『つり人』の編集に関わり、2021年4月より月刊『つり人』編集長に就任。