誰にも見せない、“仮面”の内側……人間心理に斬り込むクライムサスペンス《伊岡瞬インタビュー》

小説・エッセイ

公開日:2021/7/6

伊岡瞬さん

 人は誰しも、仮面をつけて生きている。他人には見せない素顔、心の奥の触れられたくない領域。伊岡瞬さんの新作は、そんな仮面の内側に迫るクライムサスペンスだ。

(取材・文=野本由起 撮影=干川 修)

「凶悪事件の裁判が結審すると、情報番組のコメンテーターが『心の闇は明かされないまま終わりました』などと言いますね。でも、心の闇なんて誰が覗けるでしょうか。たとえ家族といえども、心の内側までは絶対に覗けない。それを仮面というのであれば、人はみな仮面を被っていることになります。前作『本性』からつながるテーマではありますが、別の角度から人間の仮面について描いてみようと思いました」

advertisement

 登場人物の中でも、もっとも謎に満ちた存在が三条公彦だ。彼は、読字障害というハンディキャップを抱えながらも、アメリカの名門大学に留学した経歴を持つ作家・評論家。帰国後に出版した自叙伝がベストセラーとなり、現在テレビ番組のコメンテーターとして人気を集めている。

「読字障害は、文字を認識するのが苦手という特徴を持ちます。“障害”という名称がついていますが、例えば歌が下手な人を障害とは呼ばないように、単に文字が読み書きしづらい“特性”と捉える考え方が、現在では主流になっているようです。読字障害に限らず、誰でも程度の差はあれ、それぞれ〝特性〟は持っているのではないでしょうか。僕自身、この作品を書き始めてから気づいたのですが、自分もかつては一種の学習障害だったのではないかと。具体的には、日常生活や学習態度がほかの児童とはあきらかに違っていました。担任教師からも『この子は普通とは違う(能力が落ちる)』という扱いを受けていました。やや特殊な家庭環境に育ちましたが、それが原因なのか、もとからの特性なのかはわかりません。

 とはいえ、この作品を通じて『あなたも障害や特性を抱えていませんか』と問いかけようという意図はありません。あくまで物語としての完成度─平たく言えば“面白さ”を追い求めています。ただ、そのために障害や特性を題材として扱うという点については、熟考し細心の注意を払い、資料をあたるなど、敬意をもって執筆したつもりです。

 描きたかったのは、恵まれない環境に育ちハンディキャップ(本人はそう考えていませんが)を抱えた三条が、どうやって名を売り地位を築いていくのか、その過程と結末です」

 整った顔立ち、落ち着いた物腰、そして波乱万丈な生い立ちを武器に、三条はマネージャーの久保川克典と二人三脚でスターに成り上がっていく。だが、秘書の菊井早紀から見ても、三条はミステリアスでとらえどころがない。明白な理由はないが、ただ何かが匂うのだ。仮面を被っているのではないか──。

 経歴や私生活を偽ったり詐称したりする著名人の話題はこれまでにもあった。例えば、数年前に情報番組の司会を降板したある人物なども思い浮かぶ。

「確かに念頭にはありました。でも、詐称というほど大げさでないものの、作為的なイメージを売りにしているタレントや、炎上狙いの発言を重ねるコメンテーターなどいろいろいそうです。さらに政治家ともなれば、むしろ素顔など決して出さない。誰しも仮面をつけたり外したりするうちに、自分でもどれが本当の顔なのかわからなくなってしまう」

 三条は、仮面の下にどんな素顔を隠しているのか。何を偽りどこを目指しているのか。物語が進むにつれて、彼の実像が浮き彫りにされていく。

「マイケル・サンデルさんは『実力も運のうち』と言い、上野千鶴子さんは東京大学入学式の祝辞で、東大に入れたのは『環境のおかげ』と述べています。それに対して『いや、自分の努力の成果だ』という反論もありましたが、努力できる環境にあったこと自体、運が良かったからなんですよね。では、運に恵まれなかった人はどうすればいいのか。持たざる者も、その人なりに生きていくしかありません。それも、この小説で伝えたいことでした」

 三条をもてはやす大衆に対しても、伊岡さんは鋭い目を向ける。ドラマティックな事情を抱える人を持ちあげ、消費し、見捨てる。そうした風潮があることは否めない。

「テレビの視聴者やネットユーザーは、『こっちだ』と言えばワーッと行き、『あっちだ』と言えば今度は逆方向にワーッと行く。自分が見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞く傾向にある」

“超”売れっ子のタレントでも、ただ一度の浮気や失態で芸能人生命を絶たれてしまう。作中では、それを“モラルストーム”─道徳の嵐の時代と称している。

「これは、僕の造語なんです。普段は礼儀正しい人も、匿名のインターネットではひどく攻撃的になるじゃないですか。そういった二面性も、仮面といえば仮面。『モニターを見ているあなたは仮面をつけてはいませんか?』と問いかけています」

「あなたならどうする?」と問いを投げかけたい

 三条の動向と並行して、複数の事件も描かれていく。パン店経営者の妻・宮崎璃名子が白骨遺体で発見されると、続いて彼女の学生時代からの友人・新田文菜も行方不明に。三条はふたつの事件と関わりがあるのか。章ごとに視点人物を変えながら、事件の深奥に迫っていく。しかも興味深いのは、被害者たちも仮面をまとっていることだ。夫に隠れて複数の男性と浮気する璃名子、夫以外の男性との妊娠を望む文菜。彼女たちの心の内側もあぶりだされていく。

「当初は、作中では“仮面”という言葉を使わないつもりでした。でも、読者が当然抱くであろう『結局、誰のことを指しているのか』という疑問に答えるため、主要人物のほぼ全員に“仮面”という言葉を使いました。つまり〝全員が仮面を被っている〟が答えです」

 三条の周囲の人物も、徐々に仮面が剥がれていく。ジャーナリスト志望で、当初はテレビ業界の浮ついた空気になじめなかった秘書の菊井も、別の一面を見せるようになる。

「人は、自分自身の仮面にも気づかないことがあります。菊井もそう。彼女は三条とともにテレビの仕事をするうちに人が変わっていったわけではなく、もともとそういう気質を持っていたのでしょう。仮面が剥がれることで、隠された素顔があらわになったのだと思います。意志の力で言動は変えられても、人の本質は変わりませんから」

 一方、事件を追う刑事として登場するのが、伊岡ファンにはおなじみ、前作『本性』でも活躍した宮下だ。

「宮下は『本性』のラストで転勤しますが、その異動先で『仮面』の事件に遭遇します。彼は狂言回しのような役回り。昔の映画に時々いましたが、何かトラブルが起きるとやってきて、解決するといつのまにかいなくなっている存在なんです」

 誰もが仮面をつけているように、誰もが犯罪者になる可能性を秘めている。伊岡さんは、彼らを理解できない怪物やサイコパスとして遠ざけるのではなく、自分もそうなりかねない存在として描く。だから、怖い。

「真の悪党もいなければ、完全な善人もいない。みんなグレーで、その濃淡が違うというイメージでしょうか。そのうえで『あなたも同じだけど、気づいてる?』という問題提起をしています。さらにいえば、僕の小説はどれも『これが正義だ』と押し付けるのではなく、いろいろな考えを示したうえで『さて、あなたならどうする?』と問いを投げかけているつもりです。有名になりたい、スポットライトを浴びたいと考えている人は、ぜひ読んでいただけたらうれしいです。テレビ局関係の方にもぜひ読んでいただきたいです(笑)」

 

伊岡 瞬
いおか・しゅん●1960年、東京都生まれ。広告会社勤務を経て、2005年『いつか、虹の向こうへ』で第25回横溝正史ミステリ大賞とテレビ東京賞をW受賞しデビュー。16年『代償』で啓文堂書店文庫大賞を獲得し、同書は52万部を超えるベストセラーとなる。近著に『本性』『冷たい檻』『不審者』『赤い砂』など。

 

あわせて読みたい