相手の語彙力を信じすぎ? ヨシタケシンスケさんに、すれ違いや分断が起きてしまう理由を聞いた!

文芸・カルチャー

更新日:2021/7/9

 2019年、『つまんない つまんない』でニューヨーク・タイムズ最優秀絵本賞を受賞したヨシタケシンスケさん。多くの人が“そういうもの”としてスルーしがちな出来事や感情を「ほんとうに?」「どうして?」と素朴に問いかけ、「こうしたっていいんじゃない?」「こういう人もいるんじゃない?」と新しい可能性を示してくれるヨシタケさんの絵本は、国境や年齢を超えて愛され続けている。絵本作家としてデビューしてから約8年。30冊以上の著作を刊行するなかで見えてきたものとは?

(取材・文=立花もも 撮影=下林彩子)

――ヨシタケさんはよく、日常の些細な出来事も感情もおもしろがりたい、とおっしゃっていますが、人のもつどうしようもない弱さやだめなところもおもしろがって肯定してくれる感じが、多くの読者を救っているんじゃないかな、と思います。

advertisement

ヨシタケ そう言っていただけるのは本当にありがたいんですけど、何よりもまず僕がだめな自分を許してほしいんですよ。あした〆切の仕事ができていないのに昼寝しちゃったよ、とかもうほんと日々後悔することばかりなので(笑)。子どものころから常識に縛られて、ぐじぐじ悩んでばかりだったからこそ「大丈夫、大丈夫!」と誰かに言ってもらいたい。あのころの自分にこんな絵本があったらよかったのになとか、こういう絵本を描いておけば未来の自分の助けになるんじゃないのかな、という気持ちで描いています。

――実際に、自分の絵本に救われた瞬間はありますか?

ヨシタケ それが、まだなんですよ。というのも、自分で描いた絵本ってなかなか冷静には読めないんですよね。あの工程が大変だったなあとか、あのとき編集者にこんなこと言われたっけなあとか、余計なことばかり呼び覚まされてしまう。最近になってようやく、初期の本を落ち着いて読めるようになりましたけど……。このあいだ仕事で『このあとどうしちゃおう』(2016年刊行)を読みかえしたときは「俺、意外といいこと言ってるじゃん」って思いました(笑)。

――死んだおじいちゃんの部屋から「このあとどうしちゃおう」ノートを見つけた男の子の話ですね。そこには死んだあとの世界に対する想像がたくさん描かれていて、おじいちゃんはいったい何を考えていたんだろうと男の子は想いを馳せる。

ヨシタケ そんなのはけっきょく本人にしかわからないでしょ、っていうね(笑)。身もふたもない結論なんだけど、わからないことも悲しいことも怖いことも全部「へ~、そうなんだ~!」っておもしろがれたらちょっとだけ選択肢が広がるんじゃない? っていうのは、どの絵本を描くときも考えていることで。10年先、自分の絵本を読んだときに「だよね~!」「あるある~!」って心がほんの少しラクになれたら最高だよなあ、と思います。読者の方にも同じように感じていただけるなら、それ以上にありがたいことはないですね。

――デビューして8年、表現方法に変化はありましたか?

ヨシタケ “これだったらいい感じにわかってもらえるだろう”という期待と“もしかしたらわからないかもしれないけど、まあいっか”という諦めのバランスを、うまくとれるようになったような気がします。僕は何かにつけ言いわけしたくなる人間で、ついつい言葉を重ねてしまうんですが、世の中には、どれだけ言葉を尽くしても想いがうまく伝わらず、むしろ誤解が大きくなっていく、みたいなこともあるじゃないですか。

――ありますね。

ヨシタケ それはきっと、相手の語彙力を信じすぎているからだと思うんです。たとえば「諦める」という言葉ひとつとっても、どの程度ネガティブな響きを孕んでいるのか、あるいはまったくてらいなく選択できる道なのか、人によって異なるでしょう。辞書をひけばわかるように、言葉にさまざまなニュアンスが含まれている。くわえて人は、個人の経験や感情も言葉に上乗せして解釈してしまう。どんなに近しい相手でも、違う人間である以上、言葉の意味を統一するなんて不可能なんです。でもほとんどの人がそれをわかっていないから、思いがけず人を傷つけたり怒らせたりしてしまう。

――〈世の中の争いごとの9割は、言い方が気に食わないっていうただそれだけが原因で起きて〉いると、以前、おっしゃっていましたね。

ヨシタケ そうなんですよ。善意があろうとなかろうと、自分の発した言葉がどう受けとられるかは相手次第。だからできるだけ肯定も否定もしない言い方を見つけたい、というのは絵本をつくるうえでも常に心がけていることですが……最近はむきだしの言葉があまりに飛びかいすぎている、と感じることが多いですね。SNS上で拾った意見をテレビ番組が流しているのをよく見かけますが、それもとても危ういことだなと。

――危うい?

ヨシタケ 言葉って、本来はとても取り扱いの難しいものだと思うんです。一人ひとり、言葉の定義が異なるからこそ、多くの人に情報を伝えるような場では、構成の組み立て方や言葉の選び方など、専門的な技術が必要になってくる。でもSNSで発言する人たちのほとんどは匿名で、言葉に責任をもつ必要もなく、言いたいことをただ言っているだけでしょう。それ自体は個人の自由だし当たり前のことなんだけど、自分の発言がどんなふうに受けとられる可能性があって、どういう影響を及ぼしかねないかということを、考えていない人たちの言葉を、プロのメディアが安易にとりあげるべきではないと思うんですよね。さまざまな意見を紹介することで議論を発展させたいのかもしれないけれど、むしろすれ違いや分断を増やすだけのような気もしてしまう。

――なかには、議論をまぜっかえすことが目的で発言している人も、意図的に誰かを傷つけるための言葉を選んでいる人もいるでしょうしね。

ヨシタケ 言葉って、低コストで楽しめるエンタメでもありますからね。正論を言うのは気持ちがいいし、誰かを攻撃することで憂さを晴らす気持ちはわからないでもない。でも、言葉だけでコミュニケーションをとるのって、実はそうとうにハードルが高くて。SNS上でも論争は起りやすいですが、メールだけでやりとりを重ねていたら、いつのまにか齟齬が生じて揉め事に発展していた、みたいなこと、ありません?

――ありますね。逆にメールの文面だけだと失礼だなと思っていた人が、会ってみたらすごく感じがよかった、ということも。

ヨシタケ それもね、コミュニケーションで適切と思われる言いまわしや言葉の選び方が人によって違う、ということだと思うんですけども。面と向かって話していればまだ、話し方や表情で補えるものが、言葉だけのやりとりだと足りないまま、誤解を招いてしまう。その点、絵本は、絵を添えることで言葉に幅をもたせられるので、ありがたいですけどね。言葉を扱うことの難しさは肝に銘じたうえで、できるだけ読者が心地よい表現を選んでいきたいなと思っています。

――どんなに近しい相手でも言葉の意味を統一することはできない、とおっしゃっていましたが、ご家族に対してはいかがでしょう。2人の息子さんに父親として何かを伝えるとき、意識していることはありますか?

ヨシタケ 言葉の選び方、という意味では誰に対しても同じですけど、父親としては武勇伝を語らないようにしています。ついつい、自分のことを棚に上げて立派なことを言いたくなってしまうけど、僕はできるだけ失敗談を伝えたいと思っていて。「あのときお父さんパンツが破れて大変だったんだよ……」みたいなしょうもないことをたくさん話すようにしています(笑)。

――パンツ(笑)。

ヨシタケ しょうもないでしょう?(笑) でも、それだけしょうもない失敗を重ねても大人にはなれるし、お父さんにもなれるんだよ、っていうことを知れたほうが、子どもとしては安心できるし、未来に希望がもてるんじゃないかと思うんですよね。「もっとこうしたほうがいい」とか「こうすれば間違えずに済む」とアドバイスしたくなるのは子どものことを心配しているからだけど、親子とはいえ違う人間なんだから、同じことをしても同じ結果になるとは限らない。だったら、失敗だらけでもだらしなくても、軸がブレブレのまま生きていても、意外と人生は大丈夫だぜってことを伝えたい。伝えすぎて最近ではナメられるようになってきちゃいましたが……(笑)。まあ、子どもに馬鹿にされるようになったら、むしろ親としては一人前ですよね。

――馬鹿にされて、一人前?

ヨシタケ 子どもはいずれ肉体的にも精神的にも親を追い越すもの。でもそうなったとき、親に対するイメージが立派であるほど、ショックを受けると思うんです。僕自身、父親に対して「あれ、意外といろんなことをわかってないな」とか「いつのまにこんなに老いてしまったんだろう?」と思ってしまった瞬間のダメージがけっこう大きかったんですよね。だから僕、3割の尊敬と7割の軽蔑を抱いてもらえるお父さんでありたいと思っているんです。子どものショックを和らげるためにも、最初から「お父さんは大したことないよ」と言っておきたい。「でもこんな僕でもお父さんになれるし、3割くらいは尊敬できるところもあるだろう?」「だから君も、7割は大したことなくたって大丈夫だよ」って。

――そう思えること自体が、すでにかなり立派なお父さんだと思いますが……。

ヨシタケ いやいや(笑)。でも親子に限らず、人間関係ってけっこうそんなものじゃないですか? 7割は人に助けられながら生きているけど、自分も3割の大丈夫な部分で誰かを助けることができる。そんなふうに人は、欠けたところを補いあいながら群れのなかで暮らしていくものなんだよ、だから自分ひとりで完璧になろうとしなくていいんだよ、ってことを子どもたちに伝えることができたら、親としては十分かなって思います。

あわせて読みたい