「人は対話することによってほんの少し近づくことはできる」――芦沢央さんが最新作『神の悪手』に込めた将棋と人への想い《インタビュー》

文芸・カルチャー

公開日:2021/7/10

神の悪手
『神の悪手』(芦沢央/新潮社)

 悪人とは言い切れない人たちの、ちょっとした心の弱さや狡さが、坂道を転がり落ちるようにふくらんで取り返しのつかない罪につながっていく――。第164回直木賞候補作『汚れた手をそこで拭かない』をはじめ、そのぞわぞわした読み心地と最後の1行まで気の抜けない構成で人気をあつめる芦沢央さん。最新作『神の悪手』(新潮社)は、将棋に関わる者たちを描いたミステリ短編集だ。“「棋は対話なり」を連想させる作品集です”と羽生善治九段も推薦する作品の裏側を、うかがった。

(取材・文=立花もも)


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芦沢央
撮影=藤岡雅樹

――もともと将棋に興味をお持ちだったんですか?

芦沢央さん(以下、芦沢) 最初は、奨励会というシステムに惹かれたんです。所属する人たちの多くは、10代の頃から将棋だけにすべてをささげ、学校を辞めることもあれば、友だちと遊ぶ時間ももたず、プロ棋士になることだけをめざす。だけど26歳までにプロになれなければ退会しなくてはならず、学歴も社会経験もないまま社会に放り出される。あと一歩で手が届く場所にいたとしても関係なく、夢を諦めなくてはいけないその世界に身を置く人たちは、いったいどんな想いで生きているのだろうかと。というのも私は、夢を追うことや、夢に押しつぶされることに対する関心が、もともと強くて。

――夢におしつぶされる?

芦沢 よく「諦めなければいつかは叶う」っていいますけど、実際、どこまでも諦めることができないというのはとても苦しいことだと思うんです。私自身、高校生のときにはじめて小説家になりたいと思ってから、デビューするまでには12年かかり、夢の諦め方がわからなくて苦しんだ時期もありました。その体感から、「夢を追う」ってポジティブに表現されることが多いけれど、実はとっても怖いことなんじゃないかなという想いがあるんです。

――それが奨励会というシステムに重なった。

芦沢 はい。でも、奨励会どころか将棋の駒の動かし方もわからない初心者だったので、まずは将棋教室に通って基本的なルールを教えてもらいました。それから定跡について書かれた本を大量に読み込み、対局を観戦しながら棋譜を並べ、自分でも家族や友人、あとネット対局で指すようになって……。それがもう、ほんとに楽しくて。将棋って、なんてアツいゲームなんだ! とすっかりのめりこんじゃいました。

――どんなところにアツさを感じたのでしょう。

芦沢 対局中って、みんなひとりなんですよね。勝つために研究を重ね、戦略を練って、一手一手を積みあげていく。だけどどれほど緻密に積みあげた道も、次の一手ですべて台無しになってしまう可能性がある。相手が自分の想定をはるかに上回る手を指してくるかもしれないし、ほんの少しの見落としで間違えてしまうかもしれない。それでも自分がこれだと思う一手を信じて、指し続ける……。その姿にもう、過剰なほど打たれてしまったんですよね。

――積み重ねてきたものが一気に崩れ落ちる、というのは芦沢さんがこれまで描いてきた作品と通じるものがあります。ふとした気のゆるみや不運によって思わぬ罪を犯してしまい、転がり落ちていく人たちを、これまでも描いてこられました。

芦沢 そうですね……。私はこれまで、運命に導かれるようにして罪を犯してしまった人たちを書いてきました。本書の表題作「神の悪手」の主人公・啓一も、不運が重なって罪を犯してしまうんですけれど、逃げおおせるための条件もまた、導かれるようにしてそろってしまう。そんなとき、人はきっと“神が味方している”と感じるんじゃないかと思ったんですよね。でも、そんな神さまに愛されたところでいったい何になるのか? 神に導かれた一手ではなくて、自分の信じる一手を選ぶほうが、たとえそれが悪手だったとしても尊いんじゃないか、と。

――奨励会で結果を出せず、焦りを抱える啓一が、対局を通じて自分の矜持と戦う姿は、読み応えがありました。

芦沢 「神の悪手」を書いていた時期は、私自身、いろいろあって小説を書くことが嫌いになりかけていたんです。思うように結果を出せないもがきのなか、自分はもうだめなんじゃないかと絶望しながら、やめて放り出すこともできず、どうしたらいいのかわからなくなってしまう……。その葛藤は、啓一と重なったような気もします。だからこそ、ラストで彼が辿りついた結論は、私自身をも救ってくれました。誰になんと言われたっていい、どんなに無様でみっともなくても、私は私の小説を書いていきたい、もっともっと書きたいんだと、啓一が将棋を指す姿に重ねて思うことができた。デビューして10年目になりますが、誰にも書けと言われていないのに書いたのはこの小説が初めてで、私にとって特別な作品になりました。

――物語の鍵となってくるのが“棋譜”というのもよかったです。

芦沢 夢を追うことだけがテーマなら、将棋小説である必要はない。何か、将棋でなければいけないアイディアはないものか? と考えたとき思いついたんですよね。棋譜って、歴史上に何万と存在しているのに、ひとつとして同じものはないんですよ。その唯一無二性を活かした小説を書いてみたかった。そんなふうに、将棋をテーマに扱うからこそのアイディアが次々と浮かんだのは、取材でお話を聞かせてくださった方々のおかげです。

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