長塚圭史「優れた戯曲を現代劇として立ち上げていく。今回の『近松心中物語』はそんな僕の挑戦のひとつです」

あの人と本の話 and more

公開日:2021/8/11

長塚圭史さん

 毎月3人の旬な有名人ゲストがこだわりのある一冊を選んで紹介する、ダ・ヴィンチ本誌の巻頭人気連載『あの人と本の話』。今回登場してくれたのは、演出を手掛ける舞台『近松心中物語』の開幕を9月に控える長塚圭史さん。おすすめしてくれた尾崎放哉の句と、『近松心中物語』の作者・秋元松代との共通点、そしてこの舞台で目指す新たな挑戦についてお話をうかがいました。

(取材・文=倉田モトキ 撮影=細野晋司)

「僕の中で今、尾崎放哉がブームなんですよね」

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 と長塚圭史さん。自由律俳句を代表する俳人・尾崎放哉との出会いは意外にも最近のことだったそうだ。

「不勉強だったので、名前は存じ上げていても、それが《咳をしても一人》の句を書いた方だということがなんとなく分かっていたぐらいで。でも、あるラジオ番組の企画で本を手にし、魅了されてしまいました」

 長塚さんを虜にしたのは、一句一句に込められた情緒の豊かさだ。

「瞬間的に、風景が頭に浮かんでくるんです。シンプルな言葉なのに、圧倒的な情報量が盛り込まれていて、こちら側の想像を超える世界をたった一行で、まざまざと見せてくれる。また、風景だけでなく、季節や時間も内包している。例えば、《何も忘れた気で夏帽をかぶつて》という句。最初は“何だろうな?”と思うのですが、でも、日々の苦々しい時間であったり、夏の描写が一気に頭の中に広がっていくんです。穏やかな日常の中にも、きっと日々、くさくさしたことがあって、そんな感情で少し暑い晴れた日に、土の匂いがするところを歩いているような。ほかにも、《月夜戻り来て長い手紙を書き出す》では、そこにいる人物――それは放哉自身なのかもしれませんが、登場人物の心情に深く迫っている。そうした風景や時間、心情が強く香ってくる感じが、気持ちいいんです」

 短い言葉の中にさまざまな感情や情景を詰め込み、読み手や聞き手のイマジネーションを喚起させる。それは演劇でも重要な要素のひとつだ。

「そうですね。簡潔な文章の中に込める情報量の多さは極めて大事だと思います。一年半ほど前に秋元松代さんの『常陸坊海尊』を演出しましたが、秋元さんの戯曲も、簡潔な台詞の中に情報量が多い。れでいて説明的ではなく、胸に迫ってくる。僕が大好きな三好十郎さんとはまた違った趣を感じました」

 

 そんな長塚さんが、再び秋元作品に挑む。演目は秋元さんの代表作である『近松心中物語』。演出家として一度は挑戦したかった作品……かと思いきや。

「全然なかったですね(笑)。むしろ、蜷川幸雄さんやいのうえひでのりさんが演出された舞台を見て、あまりに絢爛豪華な世界観に、自分とは縁がないタイプの作品だろうなと思っていました(笑)」

 『近松心中物語』は儚い2組の男女を描いた悲恋の物語だ。舞台となっているのは元禄時代。飛脚宿の養子・忠兵衛は大坂新町の遊女・梅川と出会い、恋に落ちる。一方、忠兵衛の幼馴染・与兵衛は女房のお亀に溺愛されながらも、婿養子である自身の身の置きどころのなさに悩みを募らせていた……。

「非常に難しい作品だなと思います。忠兵衛と梅川には恋に落ちる動機のようなものも明確に書かれているわけではないから、ちょっとややこしい(苦笑)。ただ、“一目惚れっていいな”と感じました(笑)。非常に人間的だし、肉体的で、エネルギーもケタ違い。しかも彼らは、今ほど多くの情報がなかった社会の中で、がんじがらめの中、“運命だ”と思った人と恋をするわけですから。一方、与兵衛も与兵衛で、豊かとはいえ特殊な環境の中で、生きること、己の人生を考えていく。婿入りという自分自身が切り開く道とは違うレールを眼前に煩悶する。どちらも現代社会にも通ずるところなのかなと思ったんです。ですから、彼らの生活を色濃く描きだすことで、現代を生きる我々に近しい作品になるかもしれない。今回はそうした部分に迫っていきたいなと考えています」

 過去に多くの演劇人が演出を手掛けてきた本作。しかし「自由に臨もうと思っています」と長塚さん。

「正直、大変な名作に手を出しちゃったなという思いもあるのですが(笑)、やっぱり秋元松代さんのセリフって豊かなんで、それを味わっていただきたいのが一つ。そして2組の生々しい恋模様は、いつも金が物言う冷酷な側面がへ厳然と社会にあること、同時に燃えるような炎のような若い肉体がそこにあるということが浮かび上がるのではないかと。人間って変わらない。それは美しくも儚くもあります。生と死のコントラストは雄弁です」

 また、『近松』は登場人物の多さでも知られている。これまでは50人規模のキャストで上演されることが多かったこの戯曲を、今回は19人で挑むのも挑戦のひとつだ。

「三好十郎さんの『浮標(ブイ)』を上演した時もそうでしたが、優れた戯曲を現代劇として立ち上げていく技法や可能性を模索していきたいと考えているんです。今回は、お客様のイメージを喚起する演劇的アプローチで戯曲の魅力を増幅したいと思っています」

 そして、そんな挑戦の舞台を支えるのが、長塚さんが全幅の信頼を置く4人だ。

「哲さん(田中哲司)とはずっと一緒に『浮標(ブイ)』などを作り続けてきていて、僕にとって欠かせない役者さんの1人です。忠兵衛は、ケレン味や時代劇的な所作を押さえつつ、役を現代劇に落とし込む作業はとても難しいと思います。でも、哲さんの経験とエネルギーは、忠兵衛の泥臭い人間味を増幅してくれると期待しています。対して与兵衛役の松田龍平さんは、驚くべきユーモアを持つ俳優です。でも同時に、頑として譲れない芯の強さと鋭さをお持ちなので、劇の土台をしっかりと支えてくれると思います」

 一方、彼らと恋に落ちる梅川役には笹本玲奈、お亀役には石橋静河を起用。

「笹本さんはストレートプレイの経験は少ないものの、ミュージカルで数多くの大役を勤め上げた方。梅川役は舞台と長く向き合ってきている方に演じていただけたらいいなと思っていまして。最近の笹本さんの活躍を見ても、さまざまな役に挑戦されているので、そうした積み重ねがきっと梅川役にもにじみ出てくると思っています。石橋静河さんは、少し前までKAATの『未練の幽霊と怪物』(作・演出:岡田利規)にも出演されていました。ダンサーとして活躍されていた伸びやかさがあり、身体を通したお亀へのアプローチもあるんじゃないかとワクワクしています。こうして見ても、4人ともそれぞれ異なる大きな個性にあふれていますし、とっても新鮮な2組のカップルになりそうで、僕も楽しみにしています」

ながつか・けいし●1975年、東京都生まれ。劇作家・演出家・俳優。96年、阿佐ヶ谷スパイダースを旗揚げし、作・演出を手掛ける。2008年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間のロンドン留学後、11年にソロプロジェクト・葛河思潮社を始動。21年度よりKAAT 神奈川芸術劇場芸術監督に就任。

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舞台『近松心中物語』

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作:秋元松代 演出:長塚圭史 音楽:スチャダラパー 出演:田中哲司/松田龍平、笹本玲奈/石橋静河ほか 9月4日よりKAAT神奈川芸術劇場ほか、北九州、豊橋、兵庫、枚方、松本にて公演 
●元禄時代の大阪・新町。飛脚宿の養子・忠兵衛と遊女・梅川は互いに一目惚れで恋に落ちる。思いが止まらない忠兵衛は、幼馴染の与兵衛に梅川の身請けのための金を借りる。一方、与兵衛は妻のお亀に愛されながらも、婿養子であることで、身の置きどころのなさに苦しんでいた……。