『テスカトリポカ』が直木賞&山本周五郎賞受賞! 佐藤究さんが今年夢中になった一冊とは?【インタビュー】

文芸・カルチャー

公開日:2021/9/11

佐藤 究

『ダ・ヴィンチ』の年末恒例大特集「BOOK OF THE YEAR」の投票がいよいよスタート! 12月の発表を前に、2021年を代表する“あの人”に今年イチオシの本について訊いてみた。

 登場してくれたのは、『テスカトリポカ』(KADOKAWA)で山本周五郎賞と直木賞をダブル受賞した佐藤究さん。受賞後、取材対応に忙殺される佐藤さんが「この夏いちばん良い時間を過ごした」と語る読書体験について語ってくれた。

取材・文=野本由起 写真=山口宏之

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作品そのものが道を切り拓き、ダブル受賞を達成

 メキシコの麻薬カルテルに君臨する男が、ジャカルタを経てカワサキへ──。『テスカトリポカ』は、古代アステカの暗黒神話と現代の臓器売買ビジネスが交錯するクライムノベル。3年半の歳月をかけたこの大作で、佐藤さんは今年、山本周五郎賞と直木賞のダブル受賞を果たした。だが、その後待ち受けていたのは、思いもよらない怒涛の日々だったそうで……?

「直木賞の選考会の前に、まったくの別件でご連絡した京極夏彦さんから『受賞したら忙しくなるよ』という感じで、サラっと忠告されていたんです。処理能力の高いあの京極さんが、そんなことをおっしゃるなんてよっぽどのこと。マジでキツいんだろうなと思っていて、でも本当に受賞してしまったら、現実は想像をはるかに超えていました。ものすごい数のエッセイを書いて、取材を受けて、ひとつこなすとふたつ新たな仕事が入ってきて。もう、ワンオペでテンパってるコンビニ店員みたいな状態。しかも一発勝負の動画やラジオでは、ちょっとした失言で一気にすべてを失う危険性もあります。受賞は大変ありがたいことですが、怠け者の僕には罰ゲームのような日程ですね(笑)」

 そもそも佐藤さんにとっても、このたびのダブル受賞は想定外だったそう。

「バイオレンス描写が度を超えているので、受賞は無理だろうと思っていました。最初から賞を狙うなら、広大な砂漠に木を植える男の話を書きたかった(笑)。でも、これはこれで新しい流れなのかなとも思っています」

 奇しくも、この取材を行ったのは2021年8月25日。一説によると翌26日は、アステカ王国が滅亡してからちょうど500年後にあたる。作中の時間軸に、ようやく現実が追い付いたことになる。

「世の中が無風状態の時に『テスカトリポカ』を出しても、“500年前の今日、アステカ王国が滅びたんだな”と遠い目で思うだけだったかもしれません。でも、我々は今、社会の土台が崩れるとはどういうことか、身に沁みてわかっているじゃないですか。新型コロナウイルスの問題だけでなく、アフガニスタンの情勢だってそう。押井守監督は、総監督を務めた『THE NEXT GENERATION パトレイバー 』で“論理的に瑕疵のない平和は存在しない”というメッセージを伝えていますが、平和は自然な状態ではないんですよね。さまざまな力関係によって、世界が一気に崩壊することだって十分あり得る。こうした大きな流れに嵌まったからこそ、『テスカトリポカ』が受賞できたのかもしれません。これは、作品自体が切り拓いた道。やっぱり僕らは、アステカの奴隷なのかもしれないですね」

イギリス人作家ならではの視点で描く、占領下の日本

 そんな佐藤さんが、この夏、時間を忘れて読み耽ったのが『TOKYO REDUX 下山迷宮』(文藝春秋)。戦後最大の謎「下山事件」に、イギリス生まれの作家デイヴィッド・ピースが斬り込むミステリー大作だ。「今年の1冊どころか、10年輝き続ける作品」だと、佐藤さんは激賞する。

「『テスカトリポカ』は〈鏡三部作〉の完結作でしたが、こちらは〈東京三部作〉の掉尾を飾る作品です。一作目の『TOKYO YEAR ZERO』(文藝春秋)を読んだ時、“占領下の東京をこんな風に描くイギリス人がいるのか”と衝撃を受けました。帝銀事件を描いた『占領都市 TOKYO YEAR ZERO II』(文藝春秋)も『TOKYO REDUX 下山迷宮』も素晴らしく、同時代にこうした作品に出合えたことを幸せに思いました。日本人は、ぜひとも彼に賞を授けるべきですよ」

 特に惹かれたのは、時代の空気。散文詩のような独特のうねりを感じる文体も、佐藤さんの心を捉えたという。

「日本の作家が“占領下の東京”を描こうとすると、どうも歴史小説っぽくなったり、ノスタルジーが漂ったりします。僕もGHQの時代について短編を書きましたが、長編に挑もうとして失敗しているんですね。実際に書こうとしてわかったのですが、占領下の禍々しい空気をデイヴィッド・ピースのように捉えられないんです。しかも彼はイギリス人なので、日本やアメリカとの距離感もちょうどいい。フォリナーの視線で、アメリカの押しつけがましさ、マッカーサーやウィロビー(GHQの情報参謀)の恐ろしさ、そして日本人が微笑みの裏に隠した冷たさを捉えています。独特の文体も、彼ならではのマジックです。舞踏家の土方巽は、芸術に必要なものとして舞踏性を挙げていますが、デイヴィッド・ピースの文章は詩と舞踏性に満ち満ちている。この両方が揃った作家は、稀有だと思います」

〈東京三部作〉のサブテクストとして、佐藤さんが薦めるのは太宰治の短編「トカトントン」。「これを先に読んでおくと、デイヴィッド・ピースが何を探そうとしているのかわかると思います」と話す。

「この短編が、〈東京三部作〉が生まれる最初の火花だったのではないでしょうか。占領された東洋の国というのもインパクトがあったでしょうし、最後には聖書の言葉が引用されています。もちろん占領下の光景や、敗戦後の人間の心がいかに荒れ果てていったかも克明に描かれた作品です。デイヴィッド・ピースは『TOKYO REDUX』の前に『Xと云う患者 龍之介幻想』(文藝春秋)を執筆していますが、ここでは明治天皇の崩御についても描いています。『TOKYO REDUX』は、日本人と天皇問題を描いた集大成とも言えるでしょう。タイトルにある“REDUX”というラテン語には、“帰ってきた~”という意味があるそうです。今の時代に読むと、“あの敗戦の夏が帰ってきた”という感慨が込み上げてきます。『テスカトリポカ』がアステカ王国滅亡から500年後に書かれたように、この小説も2021年に刊行されることが運命づけられていたのかもしれません」

【プロフィール】
さとう・きわむ●1977年、福岡県生まれ。2004年、佐藤憲胤名義の「サージウスの死神」が第47回群像新人文学賞優秀作となりデビュー。16年、『QJKJQ』で第62回江戸川乱歩賞を受賞。18年、『Ank:a mirroring ape』で第20回大藪春彦賞、第39回吉川英治文学新人賞を受賞。