池井戸潤最新作!『民王 シベリアの陰謀』の舞台は、パラレルワールドの日本? ウイルス禍と陰謀論の正体を見つめて《インタビュー》

小説・エッセイ

公開日:2021/10/8

池井戸潤さん

事実は小説より奇なり―そんなことわざが現実になった感のある現在。2020年春先からの新型コロナウイルス感染症拡大により、私たちの日常は大きく揺さぶられ続けている。

(取材・文=大谷道子 撮影=小嶋淑子)

 ときには現実の出来事が虚構を凌駕するような日々を送る中、小説家はどうやってフィクションを書き続けるのだろう? 代表作の「半沢直樹」シリーズ、「下町ロケット」シリーズをはじめ、現実社会に根ざした作品を数多く世に送り出してきた作家・池井戸潤さんにそうたずねると、「本当にね」と苦笑いが返ってきた。

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「毎日、新聞を読んだりテレビを見たりしていると、『これはなぜだろう』と疑問に感じることは多々ある。そういうところから小説のテーマを発見したりするんですが、何でもかんでも小説になるわけではありません。僕の場合はまず、そのテーマが新しいかどうか、僕が書く意味、つまりはオリジナリティがあるかどうか、そして豊かな物語になりうるテーマかどうか。この3つの条件が揃えば、挑戦してみようかという気持ちになります。でも最近は、新聞を読んでもテレビを見ても、頭にくるニュースばかりだから」

 ならばいっそ、その世界とがっぷり四つに組んで―と思われたのかどうか、新作はずばり、未知の感染症に翻弄される日本が舞台である。

 しかも、あの『民王』の続編だ。国会答弁で漢字が読めず頓珍漢な答弁を繰り広げた強面の総理大臣・武藤泰山と、その不肖の息子・翔が抱える秘密を巡るコメディ・サスペンスの刊行から11年、次なる騒動は、何とか首のつながった泰山総理の第二次内閣組閣から始まる。

 目玉人事として抜擢した女性閣僚が、就任パーティの席上で突如暴れ出し、その原因が未知の病原体であったと判明するパンデミック・サスペンスで描かれる世界は、まさに現代日本のパラレルワールドである。

不機嫌を取り去るには笑いの力が必要だ

「もともとの発想は、“ウイルス”“温暖化”“陰謀論”の三題噺だったんです。ウイルスは、もちろん新型コロナ。温暖化にも僕は以前から関心を持っていて、従来のCO2濃度上昇原因説などに疑義を呈した『「地球温暖化」の不都合な真実』(マーク・モラノ 日本評論社)を読んで興味深いなと思っていました」

 そして、小説を書く決定的な動機となったのが、陰謀論の興隆。アメリカのトランプ政権末期に沸騰した極右的主張「Qアノン」が記憶に新しいが、現在もウイルスの出所やワクチン効果の真偽などを巡りさまざまな説がSNS上で飛び交っている。

「最初は『遊びでやっているんだろう』くらいに思っていたんですが、今年のはじめに起こった連邦議会議事堂襲撃事件には衝撃を受けました。彼らはどうやら本気で信じているらしい、でもなぜ信じられるのか? と。陰謀論のもっとも不思議なところは、前提を疑わないこと。たとえばこの間、CS放送で宇宙人にまつわる学説を取り上げたシリーズ番組を観たんですが、そもそも宇宙人はいたのかという疑問は無視し、あくまで“いるもの”として展開していくんです。陰謀論も、最初から陰謀を“あるもの”としている。だから、得体の知れないものとして僕には映る。しかも、それなりの社会的地位を持っていて、金銭的にも満たされていそうな人たちまでが、平気でそういう発信をしていることが」

 どうやらシベリア地方に由来するらしいと判明した『民王』世界のウイルスは、瞬く間に社会に拡がり、翔も感染。総理として、そして父親として泰山は感染拡大を阻止すべく立ち上がるが、その行く手を、ある思惑を持った陰謀論者たちが阻む。

 ウイルスとの戦い、そして陰謀論者たちとの攻防――と書くといかにも事態は深刻だが、そこは『民王』。泰山と官房長官・狩屋孝司(通称・カリヤン)、派閥の領袖である城山和彦が繰り広げる純度100パーセントのオヤジトークに、〈現実をヤカンに入れて煮出したような〉冷静な公設秘書・貝原茂平(2015年放送のドラマでは高橋一生が好演)のツッコミなどふんだんなユーモアとドタバタが盛り込まれている。

 しかし、混乱を極める現実社会の一住人でもある作者の心中は、穏やかならざるときもあったらしい。

「昨年の秋から書き始めて、本当は年内に終わる予定だったんですが、次第に小説よりも現実の政治や世の中のほうが迷走し始め、追いかけようとすると頭が混乱する。ついにはアメリカでの一件が起こって、完全についていけなくなりました。書いた小説にガンガン赤を入れているうちに、『こんなバカバカしい小説、出す意味なし!』と、一度はすべてをボツにしかけたくらいです」

 何だか妙に不機嫌だった、と池井戸さん。その思念を掘り下げていくと、ひとつの地点に行き当たった。

「ずっと遡っていくと、僕の父親が死んだところにたどり着いたんです。もう4、5年も前の話ですが、寝たきりの父に会うため毎月実家に通って、亡くなった後もしばらく『そろそろ行かないと』という思いが浮かんでいました。その後も、小説を書きながらずっと心のどこかに引っかかっていた、というか……。でも、今年の2月頃のあるとき、突然、『最近、笑ってないな』と思ったんです。その瞬間、それまであった憑き物が落ちたような感じがしました。そして、その状態で赤字だらけの原稿を見直したら、『こんなバカバカしい小説にも、もしかしたらいいところがあるのかもしれない』と思えてきて。それで何とか、最後まで仕上げることができました」

小学生にもお年寄りにも楽しんでもらえるように

 作者の内なる葛藤を受けてか、登場人物たちも奮闘する。遊び人のバカ息子から一転、社会人となった翔は職業意識に目覚め、貝原、そして今作で新たに登場する若きウイルス学者・眉村紗英とともに、変貌を続けるウイルスの正体に迫っていく。

 そして誰より、泰山である。〈日本を守れるのはオレしかいない〉と自らの言葉で国民に語りかける姿のすがすがしいことときたら! 『民王』の世界がうらやましくなる。

「本当はこんな立派な人じゃないはずなんですけどね(笑)。僕の小説に設計図はなく、悪く言えば行き当たりばったりで書いているんだけれども、泰山やカリヤン、翔や貝原が物語の中で自然に動いて、彼らが納得するような筋運びになっているかどうかが重要。そうなっていれば、きっと読者の方々にも納得していただけるんじゃないかと思うんです」

 ウイルスに苛まれる未曾有(泰山はこの字を読めるようになっただろうか?)の事態は、残念ながらまだしばらく続きそうだ。執筆のきっかけになった陰謀論への疑問も「相変わらず僕の中ではさっぱり理解できない」と池井戸さん。しかし、泰山が国民に語りかけるように、作家も、読者に向けて物語を届け続ける。たとえどんな社会情勢にあっても、その営みとつながりは揺らがない。

「僕の小説は、小学生から80代のお年寄りまで幅広い世代の方が読んでくださっている。だから、会社のことや政治の仕組みを知らなくても読んで楽しんでもらえることが第一だと考えています。思えば、作家になったばかりの頃は、小説をすごく難しく書いていた。読者が少なかったので反応がよくわからず、反省すらできなかったんです。でも、ありがたいことに多くの方に作品を手に取っていただけるようになってからは、読者のことも、自分の小説の改善点もどんどん見えてきた。そのぶん、とんがったことは書けなくなったかもしれないけれども、それでも、自分の作品世界の裾野が日々、広がっていることを実感しています」

 

池井戸 潤
いけいど・じゅん●作家。1963年岐阜県生まれ。98年、『果つる底なき』で江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。2010年、『鉄の骨』で吉川英治文学新人賞、11年に『下町ロケット』で直木賞、20年に野間出版文化賞を受賞。「半沢直樹」シリーズ、「花咲舞」シリーズ、「下町ロケット」シリーズをはじめ、『空飛ぶタイヤ』『七つの会議』『陸王』『アキラとあきら』『ノーサイド・ゲーム』など作品多数。

 

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