あなたの都道府県にも!? “ホンモノの名湯”100湯! 温泉の新基準「ひなびた温泉」のジワっとくる魅力

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更新日:2021/10/13

日本百ひな泉

日本百ひな泉

“温泉というものはなつかしいものだ”

 作家・田山花袋の大正7年の著書『温泉めぐり』はこんな言葉からはじまる。温泉とは100年以上前であっても懐かしい情緒あるものであった。

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 日本温泉協会が開催する「旅と温泉展」入場者へのアンケートによると、温泉を選ぶ理由では男女年齢関係なく、「自然環境、温泉情緒、温泉そのもの」という3つの要件がバブル崩壊以降ずっと上位を占めているという。

 現在、そんな情緒や風情ある温泉をマニアックに愛する人たちがいる。なかでも「ひなびた温泉」を愛する温泉マニアな人々が投票して全国100の名湯を決定した『日本ひな百泉』(岩本薫、ひなびた温泉研究員/みらいパブリッシング)という温泉のガイドブックが2021年5月に発売された。

 ひなびた温泉について多数の著書があり、本書の編集を手がけた「ひなびた温泉研究所」ショチョーである岩本薫氏に、ひなびた温泉とはなにか、そしてその魅力について話を聞いた。

(取材・文・撮影=すずきたけし)

日本百ひな泉

――岩本さんは『ひなびた温泉パラダイス』『ヘンな名湯』など、一般的なメジャー温泉地とはかけ離れた、ひとクセもふたクセもある温泉を取材、紹介されています。なかでも「ひなびた温泉」はひなびた温泉研究所を立ち上げ、ライフワークとして活動されています。まず「ひなびた温泉」とはどのような温泉のことをいうのでしょうか。

岩本薫氏(以下、岩本) 「ひなびた温泉」の定義はよく聞かれるのですが、やっぱりジワっとした味わいがジワっと感じられたらその人にとっての「ひなびた温泉」だと思います。

――ジワっと…ですか?

岩本 はい。「現在の時間の外にあるもの」がジワっと味わえる温泉ですね。時代から取り残されて、まったく流行に乗ってないジワっとした温泉が「ひなびた温泉」です。

――岩本さんがその「ひなびた温泉」のジワっとした味わいの魅力に気づいたきっかけはなんだったのでしょうか。

岩本 ふたつありまして、まずは漫画家のつげ義春さん(※)の世界観。あの世界に惹かれたのがひとつ。もうひとつは僕が初めて「ひなびた温泉」というものに出会ったことです。僕の本業はコピーライターなので、企業の依頼で会社案内や企業案内ビデオを作成しに地方の工場などへ取材に行くんですね。でも地方の工場って田舎にあるじゃないですか。そういうところに行くと、電車やバスが2、3時間に1本で、移動するまでに時間が空くんですよ。それで九州である取材のときにぽっかり時間が空いてしまったので、ウロウロしていたら地元の人が温泉を教えてくれたんです。

(※)つげ義春は、昭和40年代を中心に活躍した漫画家。温泉論を綴った『つげ義春の温泉』を刊行するなど、写真・イラスト・漫画・エッセイを通した温泉エッセイストとしての顔もあった。

――インターネットがなかった時代ですか?

岩本 30代くらいなので、まだスマホで調べられるような時代ではなかったですね。それで地元の人に教えられた温泉に行ったら、いままで自分の知ってた熱海温泉とか草津温泉のような温泉ではなくて「無人の温泉」だったんですよ。それが衝撃で、けど「これはつげ義春さんが描いていた世界そのままじゃないか!」ということに気がついて、「ひなびた温泉」のジワっとした味わいにハマってしまった。地元の人にオススメの温泉を聞くと、観光地ではない地元の人のための温泉を知ることができるんですよ。それからは仕事で取材に行くとなったら「よし温泉だ」って思うようになりました(笑)。

――そんな「ひなびた温泉」のジワっとした味わいがわかる岩本さんと温泉マニアの人たちで作ったのが『日本百ひな泉』ですが、100の温泉を投票によって選ぼうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか。

岩本 ひとつは「ひなびた温泉研究所」という、もともとは僕が温泉情報を発信していたブログマガジンがあるんですが、最初は数人の取材者でやっていたところ、「研究員にはどうやってなれるんですか」という問い合わせが来るようになって、人が集まれば面白いことができるかなとひなびた温泉研究員を集めることになりました。

 同じ時期に山と渓谷社さんから『ひなびた温泉パラダイス』という本を出したんですが、その本で取材した箱根のとある共同浴場から、「廃業になりそうでどうしたらいいのか」と連絡があったんです。その時の僕は広告業の悪い癖で、ネットを絡めたり、自治体を巻き込んで予算を取ってとか、そういう発想だったんですよ。町長に直訴しに行ったりといろいろやってみたんですが、結局その温泉は廃業してしまった。行政で予算をつけるなんて現実的に厳しいし、自分の認識が間違ってたなと思ったんです。そこで「ひなびた温泉研究所」の研究員も200名を超えていたので、だったら温泉の利用者からムーブメントを起こすのが一番じゃないかと気づいて、みんなでなんかやろうと。それで、日本百名山のようになにか目的が生まれるようなものがいいなと考えて、日本の百ひな泉をみんなで決めちゃおうと思いつきました。

ひなびた温泉パラダイス

――日本全国のひなびた温泉を100位まで決めるのは大変だと思いますが、選定方法や基準などはどうやって決めたのですか?

岩本 とある自治体の面白動画のコンペに参加していたときに、映画の『ラ・ラ・ランド』が流行っていたので地元の人が歌って踊るミュージカルをやろうと思って、そこで参考にしたのが、AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」のミュージックビデオ。あのミュージックビデオを改めて観たら、気持ちが明るくなるし、元気が出てくるんですよ。で、AKBといえば選挙でしょ(笑)。みんなで選挙して温泉を決めようと。

 なんならみんなで決めるだけじゃなくて、執筆もみんなでしようとなって、ひなびた温泉研究所の研究員みんなでオススメの温泉の記事を書いたのが『日本百ひな泉』です。

―― 200名以上の温泉マニアの投票で決まった1位の温泉には驚きました。ビジュアルや雰囲気はほかのひなびた温泉と比べてでも地味だった島根県の千原温泉が1位です。この千原温泉がマニアから支持された理由とはなんでしょうか?

岩本 この1位の千原温泉は僕も初めて入ったときにビックリしたんですよ。「ああ、ありがたい液体に浸かっているなぁ」みたいな。ここの温泉行くときに乗ったタクシーの運転手と話したら、千原温泉の湯を一升瓶に入れて常備してるっていうんですよ。「足湯かなんかに使うんですか?」って聞いたら「いや傷薬なんだ」って。千原温泉はつい最近まで湯治客じゃなくちゃ入れなかったんですよ。

 島根県にはほかにも小屋原温泉や温泉津(ゆのつ)温泉という素晴らしい温泉もあって、『日本百ひな泉』に5つもランクインしている島根県は名湯ぞろいなんです。あと、この本のすごいところは、100湯も温泉が載っているのに日本一の常連である草津温泉が入ってないんです。

日本百ひな泉

――多くの研究員の方が温泉取材や執筆までされている本書ですが、編集などで大変だったことはありますか。

岩本 投票と執筆に200人ほど参加してくれたんですけど、一番心配だったのは記事の内容と写真の出来だったんです。ところが蓋を開けたら、写真も文章もみんな温泉への愛に溢れていて、本の宣伝文句の「三度のメシより温泉が好きなマニア作った本」通りの本になりました。

 あとは、ランキングを集計している最中に豪雨災害で温泉が被害に遭われたり、超インパクトのある温泉なんかが廃業したり、火事に遭ったり、ランキングに載ったものの営業が終わってしまった温泉などがあって、それぞれの温泉のことが心配でしたね。

日本百ひな泉

――なかなか温泉初心者にはハードルの高そうなひなびた温泉ですが、どんなところを楽しめばいいのですか?

岩本 ひなびた温泉というのは、時代に取り残されたジワっとした味わいがあるんだけど、でもそれだけ地元の人に長く愛されてきたわけですよ。やっぱり良い温泉じゃないと愛されないですよね。だからひなびた温泉として今でも残っているのはほぼハズレがない。みなほとんどかけ流しで、とにかくお湯が良い。

 この『日本百ひな泉』に載っている温泉の3つくらいを連続で入ったら、もう、舌が肥えてくるように肌が肥えてきますよ。

――肌が肥えてくる?

岩本 そう、肌でお湯の良さがわかってくる。そればかりではなく、ひなびた温泉の場所は観光地でなく辺鄙なところにあるんですね。そうすると、そこのひなびた温泉への旅っていうのが温泉への目的以外ないわけです。そんななかで温泉にひたすら入っていると、その素朴さに感謝するようになります。

 体を湯に全部任せて無になる。温泉に浸かったらその温泉のありがたさってのを感じるんですね。九州の天ヶ瀬温泉に行ったときに、雪が降ってすごく寒い中で川の土手沿いですっぽんぽんになってパっと入ったら、あっという間に体があったまってそれはそれは極上の湯でした。温泉にはいくつも入っていたのにそのときに改めて温泉のありがたさがわかった。大げさでなくてお湯と一体化してた。この感覚を知るようになると温泉の楽しさがわかってくるんですよ。

 観光旅行だと疲れて帰ってくるだけだけど、ひなびた温泉から帰ってくるときは心がとてもさっぱりと洗濯されて疲れもないんですよね。

日本百ひな泉

――温泉に慣れていない人や、これから温泉を巡りたいと考えている人に、岩本さんオススメのジワっとくるひなびた温泉を入門・中級・上級で3つ教えてください。

岩本 ひなびた温泉入門には栃木県の北温泉ですね。

 ここはひなびた雰囲気もあるし、ビジュアルもいい。そしてお湯も新鮮。那須湯元の近くなんですけど、あそこらへんは火山系の白濁した酸性湯が多いのですが、北温泉は透明なお温で、湯量がめちゃくちゃ豊富。宿の暖房も温泉の蒸気を使っているくらい。湯量が豊富ということはお湯が新鮮なんですよ。そのお湯の鮮度を知れば、またハマる。どこで新鮮さがわかるかというと肌でわかっちゃう。まずは北温泉で新鮮な湯を知ってほしいですね。

 北温泉は江戸時代から大正、昭和に建てられた部屋まであるので、いきなりひなびた古い部屋でなくても宿泊できるので、ひなびた温泉の入門にオススメの温泉です。

日本百ひな泉

 中級は奥蓼科渋御殿湯(長野県)。

 ここの源泉は冷たいんです。26度と31度と43度。銭湯とかで熱い湯と冷たい湯に交互に入る交互浴というのがありますよね。僕もあれが好きでいつも5セットくらいやるんだけど、ここは硫黄泉で交互浴ができる全国でも珍しい珍しい温泉です。しかも26度に入って、31度に入って、43度に入るトリプル浴ができる。温泉の入り方を覚えられる温泉です。

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 そして上級は新潟県の新津温泉です。

 ここはなんてったって油臭い。日本で1、2を争う油臭い温泉。地質的に秋田と新潟のあたりは油田がたくさんあって、ひだ状に圧縮された地層から温泉と石油が両方出ちゃう場所なんですよ。新津温泉は油臭いけど、湯冷めはしないし、保湿力が抜群。お風呂からあがっても「行ってきたね」ってニオイでわかるくらいの油臭さ(笑)。

 温泉マニアの中では油湯の聖地で、「ガソリン入れてくるわ」って入りに行きます。ここに入っちゃったら、しばらくスーパー銭湯はお湯が薄くて入れなくなりますよ。

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――最後に、ひなびた温泉に興味を持たれた人へ一言。

岩本 温泉は自然の恵み。ひなびた温泉というのは過剰に演出されてなくて、素朴でそのままのピュアな湯を楽しめます。これから温泉シーズンがはじまりますが、温泉を知らなかった人でも、ひなびた温泉のジワっとした味わいを感じ取ってほしいですね。心を無にして温泉に浸かれば、一発でその魅力がわかると思います。

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岩本薫(いわもと・かおる)
ひなびた温泉研究所ショチョー
1963年東京生まれ。本業のコピーライターのかたわら、WEBマガジン「ひなびた温泉研究所」を運営しながら、日本全国のひなびた温泉を巡って取材し、執筆活動を続けている。普通の温泉に飽きたらなくなってしまい、マニアックな温泉ばかりを巡っているので、珍場、奇湯、迷湯など、ユニークな温泉ネタに事欠かない。著書に『ひなびた温泉パラダイス』(山と渓谷社)、『戦国武将が愛した名湯・秘湯』(マイナビ出版)、『ヘンな名湯』『もっとヘンな名湯』(共にみらいパブリッシング)

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※取材場所
蒲田温泉
昭和12年創業の東京都大田区にある天然温泉。大田区で1、2を争う濃厚な黒湯はファンが多い。

東京都大田区蒲田本町2-23-2
03-3732-1126(みなさんに‐いいふろ)
【営業時間】午前10時~深夜1時 年中無休

参考
『温泉の日本史』石川理夫/中公新書
『温泉めぐり』田山花袋/岩波文庫

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