「オール3」から国民的司会者へ。“辛いことは何度もあった”、徳光和夫さんが語る人生充実の秘訣

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公開日:2021/10/23


 テレビを通して、馴染みに思う人も多い「徳さん」こと徳光和夫さん。長年にわたってフリーアナウンサーとして活躍しているが、御年80という。この度、『徳光流生き当たりばったり』(文藝春秋)を上梓。ご本人に対面でインタビューを行った。

 柔らかな笑顔と飾らない人柄は、テレビで見たまま。「飾るところもありませんので」と、笑うとなくなる目を細めながら謙遜されたが、実際の徳光さんは年齢よりも遥かに若々しく、エネルギーに溢れていた。国民的司会者で日本を代表する名アナウンサーでありながら、まるで親戚のおじさんのような親しみやすさを漂わせる。

 順序はきっと逆だ。万人に愛される「徳さん」だからこそ、今までの成功があるのだろう。そんな軌跡がよくわかる本書も、まるで徳光さんが目の前で話しかけているかのようで、スイスイと読める。それでいて、生きるヒントや学びが詰まっているのだ。

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 そう伝えても、「いやいや、とんでもない」とどこまでも控えめ。実は、徳光さんが自身の人生経験を詳しく本にしたためたのは初めてという。どのような思いや伝えたかったことがあったのか?

(取材・文=松山ようこ)

『徳光流生き当たりばったり』(徳光和夫/文藝春秋)

――この本の思い入れを教えてください。

徳光和夫氏(以下、徳光):いや実は、最初に本のお話をいただいたとき、自分の中ではどうなのかなあと思っていたんです。本当に僕は「生き当たりばったり」で生きてきたものですから。その都度その都度、みんなその場に置いてきたといいましょうか。生放送の人生でやってきましたものですから。放送人としても、僕は本当に生放送が、ライブが大好きなんですね。でも、いざ書いてみると、たくさん出てきました。本にするというのは、こういうことなんだなと気付かされました。

 思うに仕事にかんしまして、自分自身では「こなす」のではなく、「取り組む」という姿勢できたのかなと思っております。ちょっと堅い話になりますが、「一大事とは本日ただ今の心なり」という言葉があるんですね。それで、これを若いうちに聞いたとき、これだなって思ったんです。

 僕は性格は怠惰なんでありますけども、日々のひとつひとつ、その瞬間その瞬間が「一大事」なんだなと思ったんです。それらの積み重ねなんだという風に考えますと、ライブな人生を送れるといいますか、割合と充実するんですね。捨て鉢にもならない。

――タイトルにもある「生き当たりばったり」って、いい言葉です。

徳光:実はこれ、仏教の世界では良くない言葉なんだそうです。この間、築地本願寺の宗務長の方とお話しする機会がありましてね、僕が「信条は『生き当たりばったり』です」と話したら、「それは決して良い言葉ではありませんね」と言われたんですね。そこで僕は「生き当たりばったりを“非まじめ”に生きる、つまり色々な物事に興味を持って日々を送るという気持ちなんです」と説明しましたら、「そういう意味でしたら、大変おすすめしたい。現世で生きていく上では非常に大切かもしれませんね」とおっしゃっていただきました。

本書P195より
「非まじめ」っていうのは、他人の考え方を許す。「そういう考え方もあるね」って認めるのが、私なりに考えた「非まじめ」のあり方なんです。たとえば自分の中で、「これが正義だ」と思っていたのが、もう一人の自分が「そんなことはないだろう」「そんなに固く考えることはないよ」みたいなことを言う。それが「非まじめ人間」だと思うんです。

――本書にもありましたが、“まじめ”でも“不まじめ”でもなく、“非まじめ”という考え方はしなやかですね。

徳光:生まじめだと、やっぱり見方が狭くなるだろうし、不まじめとなると、もっといけない。相手を見てないわけですからね。だから、まじめに非(あら)ず、つまり非まじめですと、いろんな角度から物事を見られるなと思うんです。

――長嶋茂雄さん、美空ひばりさん、ジャイアント馬場さんとの関係やエピソードも素敵ですが、この本で一番伝えたかったことは何でしょうか。

徳光:執筆を進めていくうちに、思い出すことが非常に多かったわけですが、やはり一番は僕のように「オール3」という本当に普通の成績であってもですね、チャンスがあったらチャレンジしてみると、実現するぞということ。つまり、思う一念巌(いわお)も通すってことはあるぞ、ということを言いたかったみたいなことはあります。


――そんな風に熱い思いを抱けない人もいます。私もそのタイプなんですが、どうしても周りが気になったり、嫌な思いをしたり、さまざまな要因もあったりして、“一念”をなかなか貫けない。そんな人はどうすれば良いのでしょうか?

徳光:嫌な思いをするというのは、周りが見えるということなんでしょう。もちろん、僕もこの仕事をしておりますと、例えば対談や座談の司会なんかをする場合には、周りを見なければいけません。でも、自分自身が何かをやって行こうと思ったときは、周りを見ずに突き進む。そういう一直線になっていくんですね。それが私の場合は、ちょっと道が拓けたのかなというのはあります。僕自身、足元を見つめてみると、確かに普通の人ですから。

 ただ、(本書にもあるように)大学受験や入社試験なんか、自分でも何百万人に一人ぐらいのツキを持っているんじゃないかなというのはあります。まあ、その分、競馬の運は全くつかないんですけどもね。

 競馬や競艇ですと、見事にすり抜けていくわけですよ(笑)。あと一点買えば当たってたのにとか。自分に言い聞かせているのは、これだけ人生の運がついてるわけだから、仕方ないかなと。それでも(ギャンブルを)続けているってのが現状なんですけどね。

――運だけではなく、やはり努力と実力に思えます。日本テレビ入社後の新人時代は、通勤の電車の中で窓から映る景色をひたすら実況していたとか、週末は草野球を見ながら実況の練習されたとエピソードにもありますから。

徳光:努力や実力ではないですよ。実況中継は動くものを即座に描写できなきゃならない。そのため、日頃からトレーニングをしなさいと優秀な先輩方に言われたからです。アナウンサーには、徒弟制度の社会みたいなのがありましたから、先輩に言われた以上はモノにしなければいけないわけです。

 本当に優秀な人たちばかりで、僕だけ普通なんです。先輩たちの話にも入っていけないレベル。難しいニュースの話をされるんですね。僕は当時、あんまり興味なかったんですが、少しは会話ができるようにしないといけないので勉強するようになりました。

――劣等感に苛まれたことは?

徳光:それはないですね。もしかすると、劣等感がなかったから、この仕事をある程度、ここまで長く続けていられているのかもしれません。知らないことを聞いては、先輩方に「お前そんなことも知らないのか」と当時は散々に言われましたけれどもね。

 でも知らないことに興味を示すことも、非まじめ。まあ当時は非まじめとは考えていませんでしたが、そうするといろんな質問が出てくるわけです。


――大変な思いもたくさん経験されています。

徳光:辛いことは何度もあるわけですね。でも何が一番辛いかと言うと、仕事がきついとか、いろんな人にいろんなことを言われたとかではないんです。キザかもしれませんが、やはり夢がないのが一番辛いのだと思います。

 だから、この歳でも、やっぱりちょっとした小さな夢があればと思うんですよ。

 僕の場合はというと、今は2つ。まずは、本にも書いたんだけど、家内が初期の認知症なんです。まあ今までは、少しでもいいから、僕が先に逝きたいなと思ってたんでありますけども、今はやっぱり彼女を見届けてから、僕が逝かないと心配だなと。そんな風に思っているんです。

 もう一つは、女房より長生きするために健康になること。これまでは「健康の秘訣は?」なんて聞かれると、「その質問自体が不健康だ!」なんて言ってましたが、もうそう言っていられない。健康のため、あと6、7キロほど体重を落とそうと取り組んでいます。

 と言いますのも、50代の時の声に戻りたいんです。思う通りの音を出したい。喋る音にも音階みたいなものがあるわけですけれども、たとえて言うと、以前は1オクターブが楽に出たのに、今はドからソまでしか出ないという感覚。ドレミファソラシドが出ないんですね。あと、声のスタミナもなくなった。これも、肥満によって声帯に贅肉がついたからだろうと考えているわけです。

――本にも書かれていますが、リタイアしたアナウンサーに声をかけて、認知症の方と対話して話を聞き出すという、新しい仕事をつくりたいのだとか。

徳光:そうなんです。医師の先生方と相談して、やってみたいなと思っているんです。だから、そのためにも声のスタミナをつけないといけないんです。それに、50代の声が戻ったら、また歌のナレーションもやりたいなと考えています。

――夢が広がります。楽しみですね。

徳光:そうなんですよね。ただね、僕はなかなか根気がない。持続性がないので、ちゃんと継続して取り組めるかが一番問題です。本当に「生き当たりばったり」で生きてきましたので(笑)。

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