やむにやまれぬ衝動が企てた一人の男の驚愕の犯罪計画
更新日:2013/12/4
“生きる”ということがラストに違って見えたら
読む者のページを繰る手を止めない怒涛のサスペンスの本領は、こよりのように場面と場面が絡み合い、謎の糸が集約されていくところにある。そこには無数の支流があったという。
「行ったり、来たり、何度も書き直して。“これは違う”と、捨てた物語は数知れません。ただ“あの人の気持ちはここで返ってくるべき”など、人の感情が芯となって重なった時、物語は自然に展開し、ひとつになろうとしていた気がします」
この壮大なストーリーを描きたかったのは、書きたい人がいたからと太田さんは言う。人から物語を広げていく、扉を開いていく。自分がイメージしたその人物を描くためには、どういう器とどういう事件が必要なのかと考えた時に、この全体像が出てきたという。書きたかった人物──それが本作のもうひとりの主人公“犯罪者”である。
「今、自分たちの周りの現実はあまりにも理不尽だらけで、そうじゃないものって何?と突きつめていくと、無菌で嘘くさいものしか残らない。そんな中で、みんなちょっとずつ我慢しながらやっている。明日、この世界で目が覚めるのが当然ではなくなったとしたら、何を望むかなと考えていた時、一人の犯罪者の姿が浮かびました。今、ここにある現実だけを眺めて、こんなものだよ、と開きなおるのではないとすれば、彼は何を思い、どんな行動を企てるのか。やむにやまれぬ衝動から、ひとつの犯罪へと動いていく人間として、彼を描きたかった」
彼の犯罪の動機。それが本作の出発点であるという。その動機を知った時、驚愕するとともに、太田さんの前述の言葉の意味が、はっきりとした姿を以て胸に迫ってくるだろう。さらに本作は、少年・修司の成長物語としての側面も持つ。
「この物語は、修司のイニシエーションとして成立していないと失敗になると思いました。この子が犯罪者を追い、彼が生きてきた過程や芯にある想いを知ることで、ラストに“生きる”ということが違って見えるようなところに連れていければと思っていました。修司は精神的なサバイバルに長けている子。3人組の中で、守られる子どもにだけはしたくなかったんです」
本作に登場する人物は、みんなタフだ。それぞれの信じる方向へひた走っていくタフさの群像劇は、読んだ人に心地よい爽快感を与えてくれる。本作を読者に手渡すにあたり、「ここにいる犯罪者と、ぜひ出会ってください」と語る太田さん。彼との衝撃的な出会いは、きっと忘れられないものになる。
取材・文=河村道子 写真=川口宗道