『アイドルマスター』を育てた「ガミP」の哲学とは――坂上陽三『主人公思考』インタビュー

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公開日:2021/11/10

 市場規模600億円、昨年には15周年を迎えたアイドル育成ゲーム『アイドルマスター』シリーズを手掛ける坂上陽三総合プロデューサーが、その仕事術と思考術をついに明かす――。坂上氏の初の著書『主人公思考』が、10月28日に刊行された。

 この書籍では、『アイドルマスター』が多くのファンに支持されている理由や、ヒットに至った軌跡などのポイントが、当事者の言葉で語られている。いまや『アイドルマスター』シリーズは家庭用ゲームソフト、スマートフォンゲーム、音楽CD、ライブコンサート、アニメなど数多くのメディアで展開されているが、本書で記されている本質は、どの作品においても守られている。まさに「なぜ『アイドルマスター』がここまで愛される作品になったのか」がわかる、貴重な内容だ。

『アイドルマスター』をビッグタイトルに育て上げ、ファンの間では「ガミP」と呼ばれ愛されている坂上プロデューサーとは、どんな人物なのだろうか。彼の経歴と『アイドルマスター』に出会うまでを中心にお話を伺った。

坂上陽三

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世界に通じる映像を求めて、映像業界からゲーム業界へ

――初の著書『主人公思考』をお作りになって、どんな手ごたえを感じていらっしゃいますか。

坂上:最初に「本を書きませんか?」とお話をいただいたときは、正直大丈夫かなと思っていたんです。いわゆるビジネス書は成功した経営者が書くものだと思っていたので、自分は普通の会社員だから……と。でも、そのときに「いち会社員が経験したことを、多くの会社員に伝える本は面白いんじゃないか」という話を担当者さんからいただいて。とくに昨今はコロナ禍でみんなが頑張っていて、そういう頑張っているみんなに同じ目線で言葉をかけることができれば、きっと共感してもらえるんじゃないかと。じゃあ、そこから本を作ってみようということで、担当編集さんたちとチームを組んで本を作っていきました。僕の拙い言葉をうまくまとめていただいて、とても良いチームワークに助けられたと思います。

――今回の著書は、坂上さんがバンダイナムコエンターテインメント(当時ナムコ)でゲーム『アイドルマスター』の家庭用ゲーム機版のプロデューサーに任命されたところから始まり、この作品の魅力を掘り下げていく過程が描かれています。今回のインタビューでは、その坂上さんが『アイドルマスター』に出会うまでを伺いたいと思います。本書にも書かれていますが、ナムコに入社される前は映像制作会社にいらしたそうですね。

坂上:学生時代は大阪芸術大学の映像学科に通っていて、いずれは映画業界に行きたいと思っていたんです。僕が学生のころは、日活のロマンポルノが映画監督の登竜門として隆盛を極めているころで、そこから森田芳光監督をはじめとする様々な才能が巣立っていました。僕も自主映画を撮っていたので、映画監督になるためには、そういうジャンルも挑戦しないといけないと考えていました。でも当時の映像業界は縦割り社会のような印象があって、カメラマンは「ピン送り10年」(一人前のカメラマンになるまでには、ピント調整の技量を積むのに10年かかるという警句)なんて言葉があるくらいでした。そういう話を学校の先生から聞いていたので、ハリウッドの娯楽映画に憧れて映画業界を目指す自分としては、なかなか厳しい世界だなと感じていたんです。その中で、世界で注目を集めている日本発の映像は何だろうと見回すと、コンピュータゲームがありました。たとえば『パックマン』というゲームは、海外での知名度が高くて、日本よりも知られています。ゲームだって映像業界じゃん、という考え方で、ゲーム業界に来たんです。

――それでゲーム開発の現場に。当時の坂上さんはどれくらいゲームの知識をお持ちだったのでしょうか。

坂上:僕が学生のころはアーケードゲームが流行っていたので、みんなが遊んでいたゲームはやっていました。そのあとは大学の寮にゲーム機を持っている学生の部屋があって、そこにみんなで集まって『ファミスタ』をプレイしていましたね。ナムコに入社して最初に受けた研修はドット絵でした。自社ツールを使ってドット絵の研修を受けたのですが、ドット(点)をだけで絵(キャラクター)を構成するってすごいなと。しかも、色数も16色とか32色しかない。最初は、先輩が作った上手なドット絵を見様見真似で描くことしかできませんでした。そうやって研修を受けていたんですが、最初に参加することになったプロジェクトがドット絵の2Dゲームではなく、3DCGを使った3Dゲームで、習ったことと違う、とショックを受けましたね。3DCGなんて、つくったこともなければ、機材に触ったこともない。

当時の開発チームは、3DCG開発用に海外のワークステーションを使っていたんですが、起動するだけでも10分くらいかかる(笑)。そこで、UNIXのプログラムの本をポンと渡されて、「坂上さん、これを作っておいて」と、いきなり3Dモデル作りを発注されたんです。さすがにこれは無理だと思って、先輩に「2D(ドット絵)の研修しか受けていないんです」と言ったところ、先輩がすごくムッとして、どこかへ行ってしまった(笑)。たぶん、上司と話し合ってくれたんだと思うんですけど、その日から先輩が3Dモデルの作り方を教えてくれるようになりました。当時は、3DCGでの開発はまだ手探りだったこともあり、ひとつずつ丁寧に教えられました。じっくりと時間をかけて、戦闘機の3Dモデルを作ったら、先輩から意見をもらって、手直ししていく。そうやって現場でいろいろなことを学んでいくことができたんです。

現場で感じた、ゲーム作りのだいご味

――最初にお作りになったゲームはアーケードゲームの『エアーコンバット』だそうですね。映像業界から転職してみて、ゲーム業界はどんな印象がありましたか?

坂上:当時のゲーム開発の現場にはディレクターもプロデューサーもいなかったんです。わずか数人で一本のゲームを作っていたので、みんなで「こんなふうにすると面白いんじゃない?」とわいわいと意見を出し合って、かたちにしていく感じでした。今のゲーム開発はディレクターと企画のスタッフが仕様書という設計図のようなものをしっかりと作り込んで、プログラマーやビジュアルのスタッフはその仕様書をもとにゲームを作っていくという流れがあるんですが、当時は仕様書がなくて。「こんな感じにしよう」と書き出したペラ一枚の紙に、みんなが口頭でアイデアを出していって、プログラマーが「じゃあこんな感じでどう?」と作っていくんです。ビジュアルの担当者が「ここのプログラムはこのほうがいいんじゃない?」と意見を言うときもあるし、プログラマーから「ここの絵はこうしてほしい」というリクエストが来るときもある。立場の上下もなく、先輩も後輩もなくフラットなチームワークでものを作る楽しさを味わえた現場でした。すごく良い経験だったと思います。

――坂上さんのゲーム開発の原体験がそこにあったんですね。

坂上:もちろん楽ではありませんでしたが、自分が作ったものをプログラマーが動かしてくれるのが、すごく楽しかったんです。僕が「こんな感じで動かしてほしいんです」というと、その場でプログラマーが作り直してくれる。自分が作った戦闘機を自分で操作できると、すごく大きな達成感を得ることができました。もちろん技術的には拙いモノだったかもしれませんが、コントローラで自分が作ったものを動かすことができて、ミサイルを発射して……とできると楽しい。そうやって「ゲーム作りの面白さ」を実感することができました。

――現場でゲームを作りながら「面白さ」を味わっていかれたわけですね。プロデューサー、ディレクターといった制度が導入されたのはいつ頃でしたか。

坂上:一部のタイトルでは開発スタッフが、宣伝用にディレクターやプロデューサーの肩書きを名乗ることもあったと思いますが、ナムコではPlayStation 2(2000年に発売された家庭用ゲーム機/以下、PS2)が登場するくらいから、プロデューサー制度を導入するタイトルが増えてきたと思います。このころから1タイトルに関わるスタッフの人数が100人とか、一気に増えたんですね。

――坂上さんはPS2用ソフト『デス・バイ・ディグリーズ』で、プロデューサーという立場で開発に関わられていますね。

坂上:そうですね。当時は社内、社外を含めると最終的には120名規模で開発をしていました。当時は、プロデューサーでありながらも、気が付いたらイベントシーンのシナリオを書いたり、絵コンテを描いたりしていて、かなり幅広く作品に関わっていました。自分で細かいところまで調整しようと、社内に簡易ベッドを持ち込んで作業に没頭しましたが、もう自分ひとりだけじゃどうしようもなくなるんですよね。このタイトルを最後に、開発には自分が直接タッチしないようにしています。現場の開発スタッフでありたいと思う気持ちもありましたけど、そういう気持ちを「わりきる」タイミングはどこだったかというと、たぶんそこだったと思います。

坂上陽三

プロデューサーとして臨んだ『アイドルマスター』

――出会ったときの『アイドルマスター』は未知の世界だったと、本書の第4章で語られています。当時の心境をあらためてお聞かせください。

坂上:ここまでお話したように、戦闘機のゲーム(『エアーコンバット』)、レースゲーム(『リッジレーサー』)、アクションアドベンチャー(『デス・バイ・ディグリーズ 鉄拳:ニーナ・ウイリアムズ』)と敵と戦うゲームばかりを作ってきて、しかも、どのタイトルもワールドワイドで販売することを意識していたんです。そんな僕にとって『アイドルマスター』は、自分の知っているノウハウが役に立たない分野でしたし、ターゲットは完全にドメスティック(国内)。育成シミュレーションゲームをプレイしたことはありましたけど、自分で作ったことはありませんでした。最初に僕が『アイドルマスター』を担当することになったときに、正直、あちこちから「坂上じゃ無理だろう」という声も聞こえてましたよ。

――ある意味、逆境の中でXbox360版『アイドルマスター』をお作りになっていたわけですね。

坂上:まわりから期待をされていないというのは、ひしひしとわかるわけです(笑)。だからこそ、僕の中ではこの状況で黒字になったら気持ちいいだろうな、という思いもありましたね。実は1作前の『デス・バイ・ディグリーズ 鉄拳:ニーナ・ウイリアムズ』はセールス的には海外で100万本販売という成果があったんですが、かなり時間をかけて作ったゲームだったので、会社に迷惑をかけてしまった反省があったんです。そのときの借りをいつか返したいという思いもあって、それはもはや作り手というよりも、サラリーマンとしての意地ですよね。

――その状況で、どうやって活路を見出していったのでしょう?

坂上:まあ、逆境ではありつつも、開発スタッフはすごく熱心でしたし、支援してくれるまわりのスタッフもいたので、『アイドルマスター』の開発チーム自体はすごく良い状態だったんです。しかも、まわりから期待されていないぶん、何も言われなかったから、かなり自由にやれました(笑)。誰からも何も言われなかったので、ある意味で気は楽でしたよ。

――『アイドルマスター』が登場した2005年ごろは女性グループアイドルブーム前夜。坂上さんはアイドルを研究されたのでしょうか?

坂上:『アイドルマスター』をプレイしてすぐに気が付いたのですが、本物のアイドルを真似ているわけではないんですよね。あくまでアイドルを応援するゲームで、プレイヤーは「プロデューサー」と呼ばれていますが、実際の芸能プロデューサーとは立ち位置が違うんです。だから、アイドル文化を積極的に研究するというよりも、どちらかというと少年マンガや少女マンガのような「少年、少女が頑張る話」のほうが重なるところが多いという感じがありましたね。

――プロデューサーとして、『アイドルマスター』の本質をそうとらえているわけですね。

坂上:実在のアイドルは女の子や男の子ですから、みんな年齢を重ねたり、立場が変わっていったりするものだと思うんです。でも、『アイドルマスター』のアイドルはずっと年齢が変わらない。出会ったときの輝いてる瞬間をずっと体験できる。そういう感覚はかなり大事だと思っています。

――いわゆる最新のアイドルのトレンド、みたいなものを追っているわけではないんですね。

坂上:もちろんスタッフの中には、アイドル好きがいて、彼らがアイドルに感じている魅力などはゲームの中にも入れていますし、実在するアイドルを参考にしている部分はあります。それ以外のスタッフも世代は違えど何かしらのアイドルの知識やイメージは持っていたので、参考になる部分は取り入れています。ただし、アイドルを深く追いかけていくというわけではないんです。

――プロデューサーが本質をつかみ、開発スタッフがディティールを盛り込んでいくという役割分担ですね。

坂上:そうですね。すでに軸はできているので、どちらかと言えば、みんながアイデアをかたちにしていく際に、軸がぶれていかないかを確認していく感じです。

――Xbox360版はソフトだけでなく、ダウンロードコンテンツも高い評価を受けて大ヒットタイトルとなりました。そこから、2020年で15周年を迎えた『アイドルマスター』シリーズは、600億円市場を生んだと言われています。

坂上:そうですね。とてもうれしいことですが、「たまたま」という言葉がまずは浮かびますね。というのも、当初からこうなることを予想して展開していたわけではなくて。どちらかといえば、まずは一年間持てばと思ってがんばって、それが過ぎたら次の一年を、という感じで積み上げていって、みんなでがんばっていたら気がつけば、というのが実際のところです。

――本書では、坂上さんが考える、今後への仕事のスタンスについても語られていますね。

坂上:そうですね。今の仕事は趣味と実益を兼ねていて、それ以外のことをあまり考えてなかったな、と。そういう意味では、この本を作ることで、自分の棚卸しをしたような感じがありました。自分が気づいていなかったことも、本書を作る中で気づくことができました。

――坂上さんはご自身の本をどんな方に読んでほしいと思っていますか。

坂上:やはり僕が会社員なので、会社員の方たち、マネジメントを担当されている中間層の方々、そしてこれから会社に勤めるだろう人たちに読んでいただきたいです。おそらくそういう方々は、悩むことはみんな同じだろうなと思います。最近は、ひとりで独立してお仕事することがもてはやされる傾向にあるかと思うのですが、僕は会社員の生活を30年続けてきて、やはり組織の力は強いと感じているんです。すごい力を持つ個人がいたとしても、その人ひとりだけでできることは限界がある。優れた製品を作ることができるのは、集団の力だと思います。この本を通じて、会社員の可能性を感じてもらえると嬉しいです。

取材・文=志田英邦

▼プロフィール
●坂上 陽三:1967年生まれ、兵庫県出身。人気育成シミュレーションゲーム『アイドルマスター(通称:アイマス)』シリーズ総合プロデューサー。「ガミP」の愛称で知られる。大阪芸術大学卒業後、映像プロダクションに入社。1991年にナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)に入社し、ビジュアルデザイナー、プロデューサーなどを歴任。アーケードゲームから始まった『アイマス』を、家庭用ゲームやスマホゲーム、アニメ、ライブなど幅広く展開。2020年に15周年を迎えた同コンテンツを、全体で600億円もの市場規模に成長させた立役者。

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