「“あなたにも傷ついた記憶があるのではないですか”と読者に問いかけたかった」上間陽子さんが『海をあげる』に込めた並々ならぬ思い

文芸・カルチャー

公開日:2021/12/14

――調査を通じて、暴力にさらされる子たちに出会ったり、上間さんご自身も、前の結婚で裏切られた経験があったりするなかで、人と人とが寄り添いあって生きていく社会を、上間さんが諦めずにいられるのは、なぜなのでしょう。

上間さん:どうしてなんでしょうね……。以前は、もうちょっと単純だったと思うんです。社会は、人間は、可変性があってしかるべきだという気持ちは今も変わらないけれど、理不尽な目に遭っている子たちに対して「そんな場所からは逃げなさい」ってためらいなく言うこともできた。でも……「そんなお母さんは捨てたほうがいい」といくら私が言ったところで、彼女たちは捨てないんですよね。「あのとき、お菓子をつくってくれて嬉しかった」みたいな思い出の一つひとつを大事にしているから、捨てられない。私からすれば、20万円奪われたかわりに500円をもらった、みたいな話なんですよ。でもその捨てられなさを聞き取っていくことが私の仕事なんだ、と今は思うようになりました。

――捨てないのが悪い、みたいな自己責任論に帰着してしまうのも怖いですよね。

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上間さん:そう……だから、やっぱり制度が変わることが必要なんだと思います。そういう捨てられなさを抱えている個々人がいま巻き込まれているトラブルって、制度が変わるだけで、相当、状況が改善されるはずなんですよ。介護も、育児も、家族間のDVも。親子でも、夫婦でも、置かれる場所が変われば関係も変わるだろうし、距離ができるのならばしなくていい喧嘩も、抱えなくていい苦しみも、たくさんあるはず。フィンランドで子育てをしている朴沙羅さんの原稿を読んでいると、よりいっそう、思います。フィンランドに比べると、日本ってどこかじっとりしているんですよね。感情が混線して磁場がつくられていく、っていうか。でもそれは人間性が異なるからではなく、フィンランドでは軋轢を減らすための社会構造が培われているからだな、と思います。

――上間さんは10月に、若年出産のシングルマザーを保護するシェルターを稼働させましたよね。

上間さん:日々、シェルターの運営に追われて、他のことがおろそかになってしまって……この間は、うっかり飛行機に乗り損ねそうになっちゃいました(笑)。でもシェルターは、本当に奇跡かと思うくらい、いいメンバーがそろっていて、安定感のある場所に育ってくれています。寮母さんのひとりが、性暴力被害者のためのワンストップ支援センターに勤務していた助産師さんで、レイプサバイバーの子たちにどう接したらいいかということをよく理解しているんです。私たちに医療の提供するようなトラウマケアはできないんですけど、そこにはトラウマがあり、トラウマケアが必要だ、ということはわかる。それだけで、打てる手はたくさん見つかりますよね。それと……厳しい状況を生き抜いてきた子たちって、そのコミュニティで大人たちがどういう関係を築いているか、ということにとても敏感なんですよ。少しでも亀裂を見つけると、その隙をついて、パワーゲームを始めてしまう。

――わざと、ひっかきまわすということですか?

上間さん:そういうことも、ありますね。ただそれは自分が生き抜くための、戦術なんだと思います。大人にとりいることで、自分を安全な場所に置こうとする。そのためには、共通の敵がいたほうがいい場合もあるでしょう。だから私たちは、全員がお互いを尊敬しあっている姿を見せるようにしています。パワーゲームを絶対に発動させない。そうするとね、彼女たちはちゃんと子どもっぽくなれるんです。そういう場所を、今は仲間たちと必死につくろうとしています。語弊があるかもしれないけれど、なんだか、文化祭の準備をしているみたいな感じ。みんなで力をあわせれば、いい“場”をつくりあげることはできるはずだ、という意味では、私が教育学をやろうとした原点である「もうちょっといい社会になってほしい」という想いも同じなんですよね。

――誰かが損をするような状況があれば、しくみを改善する。できるだけ全員が楽しく過ごせるようにする、という。

上間さん:そうです。もちろんね、汚い言葉で罵りたくなるようなひどい出来事もあるんですよ。加害をするひとって、本当に、すごいから。どうすれば相手にダメージを与えられるか、逃がさないギリギリのところまで追い詰めていけるか、を熟知していて、本当にひどいと思う。加害者も最初は被害者だった、なんてそんなこと、被害をうけたひとにとっては何も関係ないよって言いたくなる。覚せい剤に手を出して妻子に暴力をふるっている男性が、号泣しながら自分の痛みについて語っていて、それは了解できても、私は「でもその間、毎日、妻は子どもを育てていたし、彼女には逃げる場所なんてどこにもなかったんだよ」って思ってしまう。あなたが苦しいからって暴力をふるう必要はある? って腹が立ってしまう。だからどうしても、私が書くのは少女たちの話ばかりになってしまうんですが、逃げ場のない……捨てることのできない彼女たちのために今、私にできることをするしかないなと思います。

――社会全体がもっと変わっていくために、どんなことが必要だと思いますか?

上間さん:どうなんでしょうね。私は調査したり、書いたり、シェルターを運営したりするしか、今はできないけど……。この間、海で溺れかけていた猫を拾ったんですよ。たぶん生きられないだろうなと思ったけれど、海で死ぬよりはマシだと思って、連れて帰った。そうしたらね、娘がココアって名前をつけて「飼いたい」って言うんです。家の壁にも「ココアの家」って張り紙をしたりして。娘は、とてもやんちゃというか、気性の激しい子なんですけど、「猫のお母さんになるんだったら、自分のことは自分でちゃんとできないとだめですよ」と伝えて飼いはじめたら、なんかちょっと、変わったような気がするんですよね。根本的には、娘は娘のままなんだけど、でも。

――守る対象、ができたことで、芽生えた意識があるんでしょうか。

上間さん:そうかもしれません。まあ、だからみんなも誰かを守ってくださいみたいなことを言うつもりは全然ないんですけど、私ひとりが単独で少女たちのケアをするよりは、みんなで見守る場をつくっていくことが大事だなということに気づいたり、これまで調査を通じてデータを集めていたところから、もう一歩深いところにもぐることで、子どもたちを守る土台を底上げしたり、そういうことを繰り返していくしかないかなとは思っています。ああ、失敗したな、もう少しこうすればよかったな、ってことの繰り返しではあるけれど、それを仲間と共有して、知識と経験を重ねていくことで、今いる場所が、社会が、今よりいいものになっていく実感をつくらないといけないと思います。

――そんな上間さんが見聞きしたこと、感じたことを本に書いてくださることで、私たちも“知る”ことができる。それが、もしかしたらノンフィクションの役割なのかもしれませんね。知っている、というだけで、必要なときに手を差し伸べることができるかもしれないから。

上間さん:もちろん、知識によって偏向してしまうものもあるから、気をつけなきゃいけないところでもあるとは思いますが……。知る、というのは確かに、大きいことですね。社会がどういう状況にあるのか、そしてそういう痛みを抱えている人たちがいることを、知る。目を背けたくなったり、そういうもんでしょって麻痺してしまったりすることもあるかもしれないけれど、そこに「在る」んだとみんなが深い了解をすることができれば、いちばん素敵だなと思います。

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