「“あなたにも傷ついた記憶があるのではないですか”と読者に問いかけたかった」上間陽子さんが『海をあげる』に込めた並々ならぬ思い

文芸・カルチャー

公開日:2021/12/14

上間陽子さん

 全国の書店員がおすすめのノンフィクション本を選ぶ「Yahoo!ニュース|本屋大賞 2021年ノンフィクション本大賞」大賞に選ばれた、上間陽子さんの『海をあげる』(筑摩書房)。取材に同席した担当編集の柴山浩紀さんはこの受賞を受け、「権威から与えられるのではなく読者に直接本を渡す立場の書店員さんに選ばれるという意味で、この賞は大きく、ほんとうに光栄」だと話す。前著『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)の発表から約3年半を経て上梓された『海をあげる』。沖縄で、未成年の少女たちの支援・調査に携わり続ける上間さんが、“自身の痛み”にも触れながら書いた本作にこめた想いとは――? お話をうかがった。

(取材・文=立花もも)

――「Yahoo! ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞」の受賞、おめでとうございます。

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上間陽子(以下、上間さん):ありがとうございます。ふだん、スポットライトを浴びる機会なんてないので、あらあらあら……っておっかなびっくりしていますが(笑)、受賞スピーチでもお伝えしたように、これは書店員の皆さまからのエールでもあるなと思っていて。『海をあげる』でいちばん伝えたかったのは、「アリエルの王国」というエッセイで、それは普天間から辺野古に基地を移すために海に土砂が投入されることになった日について書いたもの。読んでくださった皆さまが、沖縄をとりまく状況……基地のことや性暴力にさらされる少女たちのことを真剣に考えて、多くの人に知ってもらわなくてはならないと思ってくださったのであれば、とてもありがたく、心強いことだなと思っています。ちゃんと言葉にしてよかった、とも。

『海をあげる』(上間陽子/筑摩書房)

――「アリエルの王国」は、最後から2つめに収録されていますが、もともとは最初に書かれたエッセイなんですよね。

上間さん:そうです。「あとがき」にも書きましたが、青い海が赤くにごったあの日から、沖縄の暮らしや私たちの言葉のひとつひとつが踏みにじられるような無力感を味わっていて、「書く」ということができなくなっていたんです。そうしたら担当編集の柴山さんに「今の上間さんに必要なのは、SNSに書いているような、目の前の日々の記録じゃないですか」と言われ……自分の痛みを自分自身に説明するように、泣きながら一気に書きあげたのが「アリエルの王国」でした。その次に書いたのが、「ふたりの花泥棒」。

――おじいさんのお葬式のあと、シマ(今帰仁村)の風習として、ご家族のみなさんで海に入ったときの記憶を書いたものですね。

上間さん:私にとっての海、の原風景を書くことも必要だと思って……。とにかくね、どうしたら「アリエルの王国」を読んでもらえるだろうってことを考えていたんです。前の夫との離婚の経緯を書いた「美味しいごはん」を冒頭にもってきたのも、「私にはこういう傷があって、生きるのが相当めんどくさくなった時期もありました。でもどうにか今は仕事もできているし、生きています」と開示することで、「あなたにもそんなふうに傷ついた記憶があるのではないですか」と読者に問いかけたかった。傷の原因は違っていても、傷ついた痛みを共有することで、「アリエルの王国」の切実さが伝わるかもしれない、と。

――本作では、ご自身についてだけではなく、前作『裸足で逃げる』にも書かれていた、調査で出会った少女たちについても触れていますね。そのなかでも、恋人の春菜に援助交際をさせて荒稼ぎをしていたホスト・和樹について書かれた「ひとりで生きる」という章が印象的でした。

上間さん:和樹の話だけ、トランスクリプト(会話の書き起こし)の形で書いているのは、いまだ腑に落ちきらない部分があるから。調査のときはいつも、その人の立場に自分の心を寄せて話を聞いているので、理不尽に見えるようなことでも、ある程度、納得することができるんです。たとえば、和樹は本当にきれいな顔をしているんですけど、涙袋の厚さまで計算して整形していて、自分の身体的価値をよくよく理解したふるまいを私に見せる。お金を稼ぐため、営業のために必要であれば、セックスもする。自分だけ安全圏に置いているわけじゃなく、自分に対しても他人に対しても同じことをやっているんだなあと会って話を聞いて理解したんですね。……理解はしたんですけれど、それは、春菜に関係ない話じゃないですか。

――そうですね。

上間さん:2人にとってはそれが恋愛の形だったとはいえ、逃げられない日々を送っていた春菜の苦しみを知っている以上、和樹の事情を理解はできても完全に受け入れることはできない。だから、ほかの少女たちと同じように、私の言葉で語ることもできなかった。だけど、近所でも怖いと有名なお父さんに育てられた彼が、「自分のお金で自分のタバコに火をつけろ」と教えられたことを大事そうに話してくれて、とてもきれいな所作でタバコを吸う彼が、どんなふうにひとりで沖縄から東京に出てきて、歌舞伎町で働くに至ったのか、そういうことは書き残しておきたいなと思いました。

――和樹さんが、春菜さんと別れるとなってはじめて「あ、俺って春菜のこと好きなんだ」と実感し、どうやって生きていこうかと思った、というところを読んで、なんともいえない気持ちになりました。

上間さん:こんなふうに愛を語るんだ、って私も思いました。たぶん、自分のために春菜に援助交際をさせることと、一生一緒に生きていこうと思うほど大切に想っていることは、彼にとって全然矛盾していないんですよ。彼は彼で、屈強なお父さんを愛しながら、逃げられない場所で生きてきたし、自分や他人を無限に資源化していく生き方を学ばざるを得なかった。でも……だからといって彼を正当化する書きようは、やっぱりできなかった。ただ、そういうわりきれなさを描くのも、社会調査の役割かなという気はしています。彼のような子どもが守られるための制度が整っていれば、手を差し伸べてくれる場所があれば、そんなふうにはならなかったかもしれないし、もうちょっとみんなが幸せに生きられる世界になるよう、政治や制度が変わっていってくれないかなと思うので。

――「アリエルの王国」はもちろん、本作を読んでいるあいだずっと、上間さんの静かだけれど強い怒りを感じていたんですが、それは、和樹さんのような個人や、男性という属性への怒りというより、暴力が存在しているというそのやりきれない現実に対して、という気もしました。

上間さん:そう……ですね。私の怒りは基本的に、人ではなく政治や制度に向けられていると思います。幼くして暴行された少女がいる。それをそばで見ているしかなかった子もいる。そんな理不尽は、おかしいんじゃないか。子どもが当たり前に守られて、安心して外を歩ける社会になることは、みんなにとっても幸せであるはずなのに、どうしてその現実に目を向けてもらえないのか、という怒り。基地問題に対しても、同じですね。基地が存在するよりも跡地を活用したほうが経済効果も高いことはすでに試算されているのに、いまだに基地はあったほうがいいことになっている。沖縄の人たちはこんなに苦しんでいるのに、本土の意向で存続させて、どうして見て見ぬふりをするのかという怒りを、常に抱いています。だけどそれをね……感情的にぶつけたところで、受け取ってもらえないのはわかっているから。だから私は、怒りを微分するように、この本を書いたのだと思います。

――それは、激しく怒らなくても、伝わるはずだと信じているから?

上間さん:というよりも、誰もが切実に暮らしているのだということを、信じているのだと思います。私とあなたとでは、大事にしているものも守りたいものも全然違うかもしれない。だけど、大事なものが壊されたら困る、傷つけられたら苦しい、という気持ちはわかるでしょう? あなたの大事なものが、私にとっては全然、価値を感じられないものだったとしても、決してそれを侵してはいけないのと同じように、誰もが大事なものを守りながら生きていっていいはずだし、その切実さは同じであるはずだ、と信じているんです。そういう意味で、私は社会に対する信頼感が、けっこう高いのかもしれません。たとえば春菜は、千人くらいお客さんをとってきた結果、男性には絶対に裏があるに決まっていると信用できなくなったと私に話すけど、世の中にいるのは、春菜から何かを奪おうとして近づいてくる人ばかりじゃない。一緒にいて安心できる、とか、そういう人との関わり方はきっとあるはずだよ、と私は伝え続けていきたいなと思っています。傷は傷であって、治ったとしても決して消えることはないけれど。私もあなたも、同じ傷はなくても痛みは共有していけるはずだと、そう思いながら書いています。

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