「きっと残酷に描くことの必然性がある」『神様の御用人』の経験があったからこそ、成し得たこととは?

文芸・カルチャー

更新日:2022/2/4

 累計200万部を超える大ベストセラー『神様の御用人』(KADOKAWA)シリーズの浅葉なつさんの、長年あたためていた作品『神と王』(文藝春秋)の第1巻がこのほど刊行された。「古事記」の世界観にインスピレーションを得た壮大なスケールで展開される神話ファンタジーとなる本作のことから、アイデアの見つけ方やプロットの作り方など、浅葉さんの小説創作に関して伺った。

(取材・文=皆川ちか 撮影=内海裕之)

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神と王
『神と王』(浅葉なつ/文藝春秋)

――『神と王』には、戦闘や暴力描写もあますところなく出てきます。とりわけ前半の、弓可留の宮殿で王族が沈寧の兵士たちに殺戮される場面。そして後半、主人公・慈空が沈寧側に囚われて拷問を受けるくだり。非常に生々しくて、痛みと恐怖が伝わってきました。

浅葉: そこは手加減しないで書こうと決めていました。実は私、『鬼滅の刃』が大好きなのですが、あの作品も相当に残酷な描写がありますよね。だけど多くの読者に受け入れられています。それはきっと残酷に描くことの必然性があって、その必然性が読み手にちゃんと伝わっているからなんです。そういう残酷さの必然性というものを、この作品では意識しています。国盗りの話で血が流れないなんて、なかなか難しいですからね。

――舞台となる世界には、ふしぎな生きものがたくさん登場します。日樹(ひつき)の飼いならす“種”や、甲羅をもつ巨大な生物“不知魚(いさな)”など。世界を一から創るにあたって大切にされた点はどこでしょうか。

浅葉:言葉の言いまわしや表現には注意しました。具体的にはカタカナ、つまり外来語を使わないこと。たとえば「リハビリ」という言葉は世界観にそぐわないので、「機能回復訓練」と書いています。動物の名前にも頭をかかえました。私たちが使っている呼び名を、そのまま使うわけにはいかないなあ、と。作品世界に“鳥”という動物自体はいても、“鷲”や“鳶”といった名前の鳥はいないわけなので。

――“犬”はいても、“柴犬”や“秋田犬”はいないという。

浅葉:そうです。そうして書いていったら、思った以上に大変なことが分かってきました。日樹の髪の色を最初は「鳶色」と書いたのですが、この世界に鳶はいないのだから、その表現はできないんです。なので「明るい茶色」と直しました。イメージを喚起しやすい名称を一切使わずに、どのようにイメージを伝えるか――それが目下の課題ですね。

――世界を創るというのは、そういうことなんですね。

浅葉:ある意味、神の気分を味わっています(笑) その他、時間や貨幣、暦の単位も作ってエクセルシートに入力してまとめています。物語が進んでいくにつれ、そういった部分も少しずつ出していきたいですね。

――インタビューの前編で、『神と王』は“種”というアイテムを発見するまでに時間がかかったとおっしゃっていましたが、浅葉さんは普段、創作のアイデアをどのように見つけますか?

浅葉:アンテナは常に張っています。興味のあることはもちろんですが、たとえそのときは関心がなくとも、とりあえず目についたらメモしたり、調べておきます。そうしてある日ふと、そういえばあのときのアイデア使えるぞ、と頭のなかから引っ張り出すことが多いかな。私の場合、アイデアを見つけようと意識すると、かえって見つからないんです。

――常日頃からインプットを心がけているのですね。

浅葉:インプットは大事ですね。数年前、『神様の御用人』と『カカノムモノ』(新潮社)と『どうかこの声が、あなたに届きますように』(文藝春秋)を同時進行していた時期があったのですが、アウトプットばかりしているうちにアイデアが尽きてしまい、インプットの大切さを思い知りました。

――プロットはどのように作りますか? 結末まで詳細に決めてから執筆に取りかかりますか? それともざっくりと……。

浅葉:オチは前もって決めておきます。こういう締めくくり方をしよう、というのは。そこに至るまでの展開は、それほど細かくは決めておきません。書いているうちに、この設定をつけ加えたい、このキャラを出したい、となることが多いので、敢えて余白を作っておきます。今回は最初の巻なのでけっこうきっちりと作りましたが、やっぱり予期せぬキャラクターが生まれました。後半で慈空が遭遇する砂里(さり)という女性なんですが。

――沈寧国を追放された人物ですね。慈空たちが沈寧国へ潜入しようとする終盤の展開で、とても重要な役割を果たします。

浅葉:プロットの段階で彼女はいなかったんです。書き進めていくうちに、砂里のような子は絶対に必要だと気がついて。結果的にいい流れになったように感じます。

――『神様の御用人』のほかに、『カカノムモノ』『どうかこの声が、あなたに届きますように』という作品も書かれています。それぞれの作品から、『神と王』に生かされた点はありますか?

浅葉:『神様の御用人』でいうと、まずは『古事記』や『日本書紀』などの資料を新たに揃えなくてすんでいる、というのがあります(笑)。土台がもう随分できていますので。『神と王』は、『神様の御用人』を書いてきた自分だからこそ書けるし、書かなければならないとも感じています。『カカノムモノ』ではキャラクターの重要性と、読者の求めるものというのを改めて考えました。ラジオ放送を題材にした『どうかこの声が、あなたに届きますように』では、普段ラジオを聴かない人にも楽しんで読んでもらうためにはどうしたらいいだろうかと悩んだ記憶があります。

――『どうかこの声が、あなたに届きますように』は、一般公募によって選ばれる「読者による文学賞」第一回受賞作に輝きました。

浅葉:読む人にとってなじみが薄いかもしれない世界を分かりやすく伝え、かつ親しみを感じてもらうには、やはりキャラクターの魅力によるところが大きいというのを再確認しました。その気づきは『神と王』にも生かされていると思います。

――『神様の御用人』で築いた土台と実績、『カカノムモノ』『どうかこの声が、あなたに届きますように』で鍛えた読者の求めるものへの感覚と、キャラクターの作り方。それらが本作品で結実しているように思えます。最後に、『神と王』は作家・浅葉なつにとってどんな存在となっていきそうですか?

浅葉:実は2021年の2月で、作家デビュー10周年を迎えました。11年目に突入した一作目は『神様の御用人10』(3月発売)だったのですが、この原稿は2020年内に書き上げていたので10年目の方に入れ込むとして(笑)、作家生活11年目に初めて書き上げたのが『神と王』ということです。これからの10年を、この作品と一緒に走っていけたらと思っています。