「わたしはもっと不幸になりたかったのです」――太宰治『人間失格』を下敷きに小手鞠るいが描く、絶望を貪り尽くす女の物語

文芸・カルチャー

公開日:2022/1/21

小手鞠るい

「女性であることに対する、言い知れない不安と恐怖」を抱えていた葉湖(ようこ)は、幼少時、両親を嫌悪しつつも生きるために嫌われることを恐れた。目立たない存在でありたいと、あえて醜い容姿で世間を欺きながらも、自意識、プライド、自己顕示欲に苛まれた高校時代。ある出会いからの性欲の開花。大学に進学し、家を出た葉湖はアルバイト先のスナックで好きでもない男たちと性的な共犯関係を結ぶ。その後、本当に好きになった男からプロポーズを受けるのだが――。

恋愛小説、児童文学の作家として知られる小手鞠るいさんの最新作『女性失格』。太宰治のロングセラー『人間失格』のパスティーシュ(※)として書かれた本作だが、2022年のいま『女性失格』というタイトルを目の当たりにすると、著者の他の意図も想像できる。アメリカ在住の小手鞠さんにメールインタビューで『女性失格』について訊いた。

(取材・文=konami 撮影=内海裕之)

(※)他の作家の作品から借用されたイメージやモティーフ等を使って作られた作品。作風の模倣。 小説の技法のひとつ。

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何もかも【そっくりなのに、まったく違う】という作品を目指した

女性失格
『女性失格』(小手鞠るい/文藝春秋)

――小手鞠さんにとって、太宰治とはどんな作家だったのでしょうか?

小手鞠 初めて読んだのは中学生のときでした。以後、中・高・大くらいまで(主に学生時代)、愛読してきた作家です。学生時代には、好きな作家の筆頭クラスのひとりだったように思います。しかし、教科書に出ていた『走れメロス』は大嫌いでした。反対に、溺愛するほど好きだったのは『人間失格』と『斜陽』でした。まだ恋愛をしたこともないくせに、この2作は何度も何度も読みました。が、社会人になり、その後、小説家を目指すようになってからは、それほど読むことはなかったです。理由は、他にも夢中になった作家がたくさんいたからです。

――では、溺愛するほど好きだったという『人間失格』を初めてお読みになったのはいつですか? それほど惹かれたのは、どんな点に魅力を感じたのでしょうか?

小手鞠 『人間失格』を読んだのは、中1のときです。そのときには、この小説を私がきちんと読めていた、内容をすべて理解できていたとは、到底、思えないし、主人公は自分とは似ても似つかないアルコールと薬物依存症の男であるはずなのに、「これは、私のことが書かれている小説だ」と強く思った記憶があります。心理描写、感情表現などの一部が「これって、私の内面だ」と思わせてくれたのです。このインパクトは非常に強かったと記憶しており、小説家になりたい、という動機にもつながっていたように思います。(当時、そう思っていたということではなく、現在の分析として)

――『人間失格』が国民的なロングセラーとなっているのは、「私のことが書かれている小説」と多くの読者に思わせるところが大きいですよね。『女性失格』の章立ては、「はしがき」「第一の手記」「第二の手記」「第三の手記」「あとがき」と、『人間失格』とまったく同じで、文体もストーリーの流れも似ています。また、文章そのものに『人間失格』と同等の表現をされているところも散見されます。パスティーシュといえども、ここまで『人間失格』の要素を踏襲したのはなぜですか?

小手鞠 最初からこのようにしようと決めていました! 何もかも【そっくりなのに、まったく違う】という作品を目指していたのです。文章も似ているように見えるかもしれませんが、実は大きく違う点も多々あります。それについては、読者の方々がどう感じるか、すべてをお任せしたいと思っています。

――ストーリーはどのくらい前から構想されていましたか? ストーリーを考えるにあたり、影響を与えられた出来事等はありましたか?

小手鞠 この作品の創作ノートを見てみたら、2020年5月22日に「ラストのイメージ」および「エピソード」と題して、断片的なアイディアがずらりと書き連ねてありましたので、おそらく、その頃から考え始めたのだと思います。実際に書き始めたのは、2020年11月くらいです。私はだいたい、ラストシーンから考え始めます。ストーリーを考えるにあたって、影響を与えられたのは、ずばり「私の経験」です。

――なるほど。では、ご自身の「経験」はどのようにストーリーに影響を与えたのでしょう。ご自身に寄せた部分と、あえて距離を置いたところがあれば、教えていただけませんか。

小手鞠 体験をそのまま書いても小説にはならないし、手紙や日記や独白(告白?)などにはなるかもしれませんが、そういったものと、小説(フィクション)には、はっきりとした違いがあると、私は考えています。あくまでも「私は」ということです。

 また、自分が体験したことをそのまま正確に言語化できるのか?というと、それもまた到底、不可能なことではないか、とも考えています。体験を言葉に置き換えた瞬間、フィクションが生まれている、とでも言えばいいのでしょうか。体験を「いつ書くのか」とも関係がありますね。きのうの体験をきょう書いているのか、10年後に書いているのか、によっても、体験そのものもおのずから、かなり違った姿形になるでしょう。

 また、そもそも記憶というのは、想像の産物です。いつ、どんなときに、どのような状況のもとで思い出すかによっても、記憶は異なってくるでしょうし、「体験=体験の記憶」であるわけなので、体験とはそもそもフィクションである、と言っても過言ではないでしょう。

 ですから、どんなに私が、私自身の体験をもとにして小説を書いたとしても、それは体験記のレベルにとどまっていなくて、常に小説の中での飛翔があり、言葉や表現の飛躍もあり、嘘(虚飾)もあり、また、それらがなくてはならず、それらが成功すれば、それこそが小説のおもしろさにつながっていくのではないかとも思います。

 だから、私にとって「体験に寄せた部分」があるとすれば、それは「そういった体験をした中で味わった感情」を徹底的に描く、「過去の体験を徹底的に分析して、その分析の結果」を、やはり徹底的に描く、ということだと思います。

 たとえば、良夫(主人公の夫)に裏切られた葉湖の内面=私が人に裏切られたときに【味わった感情】をもとにして書いた、ということです。距離を置いた部分というのは、とくにないような気がします。理由は、距離を置く必要性を感じないからです。前述の通り、体験と小説のあいだには、埋めようのない距離が存在しているものだと私は思うからです。

――葉湖と小手鞠さんの生きてこられた時代は重なるところが多いように思います。そうされた理由、また、ご執筆中にご自身の人生に関することで思い出されたこと、気づかれたことがありましたら、教えてください。

小手鞠 私自身が体験した時代(生きてきた時間)をまるごと再現したかったという意図(欲望?)からです。『女性失格』については、そういう時代設定が必要不可欠ではないかと、最初から考えていました。自分が知っていること、自分が体験したこと、自分が味わったこと【だけをもとにして】書きたい、書かなくてはならない、という強い意志がありました。これ以外の時代設定はありえない、とも思っていました。

 執筆中には、それはもう、いろんなことを思い出しました(笑)。小説とは関係なく、過去の出来事を思い出すのはとても楽しかったです。男女関係や恋愛などにとどまらず、小さなことから大きなことまでいろいろなことを思い出しながら、書きました。小説を書くのは、だからおもしろい、やめられない、などとも思いました。

寂しさを埋めるために恋をし、仕事をしてきた

――「心はひとりでいたいのに、体は誰かを求めている」――「寂しさ」という感情は、自らを「受け身のストーカー」と語る葉湖の原動力です。「寂しさ」がそうした強い感情であると思われたのは、なぜですか?

小手鞠 これは私自身、「寂しさが生きる原動力だった」と言えるような人生を生きてきたからだと思います。10代、20代、30代、40代、50代くらいまで、私はずっと「寂しさ」を埋めるために、恋愛をしたり、仕事をしたりしてきました。(60代になって、やっと、寂しさを手なずけ、いい友だちになれた感じで、今現在はまったく寂しくないです。でも、たとえば、夫に死なれたらどうなるか、それはわかりません)。

 寂しいから、それを埋めるために恋愛をし、寂しいから、それを埋めるために仕事をしてきました。寂しさなくしては、私の人生は語れないと思うし、寂しさがなかったら、小説も書かなかったと思います。寂しさを埋めるために、原稿用紙(今ですと、パソコンの画面)を文字で埋め尽くしてきた……という感じです。

「寂しさ」という言葉は、私の場合「虚しさ」「絶望」「孤独」「空洞」などと言いかえることができます。恋愛や仕事に夢中になっているときには「寂しさ」を感じないので、余計に夢中になるわけですね。……以上は私自身の体験ですが、これがそのまま葉湖に当てはまるわけではありません。葉湖の寂しさは、私の寂しさとはまた違った性質のものかもしれなくて、それを徹底的に追求したのが『女性失格』です。

――葉湖は「性」に対して貪欲であり、それによって変容し、また生きる手段として「性欲」を利用してきました。人間にとって「性」とはどんなものだと思いますか?

小手鞠 この場合「性=セックス」と定義するなら、私は、コミュニケーションだと思っています(笑)。しかも、楽しいコミュニケーション、あるいは、独創的な遊び。「性=ジェンダー」と定義するなら、それはきわめて自由なもの、クリエイティブなものだと思っています。つまり、自分の性は、自分で決める、ということだと思います。

――「第一の手記」に、自分の意志にかかわらず、いわゆる「女の子」の役割をまっとうすることを求められる困惑が綴られています。こうした「肉体の性」に対する戸惑いについては現代では受け入れられ、「らしさ」を強要することはタブーとされていますが、そんな時代に『女性失格』というタイトルは、とても挑戦的であると思えました。『人間失格』のパスティーシュとしてのネーミング以外にも、本タイトルに込めたお気持ちがおありになりましたら、お聞かせください。

小手鞠 タイトルに込めた意味は、実はそれほどありません(笑)。私が意味を込めるのではなくて、この言葉にすべてを語らせたい、ということかな。このタイトルを見て、人それぞれに思うことはあるはずで、その思いがすべてだと思っています。つまり、正解はない。私の思いを込めるべきではなくて、私はこの言葉をただ読者に差し出した、という感じです。

私の恋愛小説における男性像の原型は『欲しいのは、あなただけ』の「男らしい人」と「優しい人」

――『女性失格』には多彩な人物が登場します。葉湖の本性を見破った高校時代の友人「百合絵」や、葉湖が尽くしに尽くした学生運動家上がりの文学青年「梨木睦朗」、太陽のように明るくノーテンキな夫「米田良夫」、6人の子を持つ葉湖の不倫相手「津島廣志」など。とくに思い入れのある人物を選ぶとすれば、誰でしょうか。

小手鞠 この質問はとても楽しい質問で、嬉しくなりました!(笑) 全員が好きです。作者としては、分け隔てなく、全員を愛しています。みんな、いい人たちですよね?(笑) 種明かしをすれば、私の描く恋愛小説における男性像の原型は『欲しいのは、あなただけ』の「男らしい人」と「優しい人」なんです。この2タイプ(もしくは混合)は『美しい心臓』『私たちの望むものは』などにも出てきます。もしかしたら、私の書いた恋愛小説のすべてに出てくるのかも? 梨木さん、良夫、津島。それぞれに、どこかに「男らしい人」と「優しい人」の要素を孕んでいます。しかし、長年いっしょに暮らしている夫(つきあい始めて37年目)は、上記の2タイプのどちらにも属していない、まるで違った男である、というのがおもしろいところです。事実は小説よりも奇なり?

――真っ赤な地に銀の百合のシルエットが美しく映える装幀ですね。カバーなしの上製本ですが、装幀について、要望したことはありますか?

小手鞠 できるだけシンプルな装幀。シンプルで強いものがいいですね、と編集者とは最初から合意していました。色は「赤」というのもすぐに決まりました。私はオカダミカさんのイラストの不思議な「白い丸」がすごく気に入っています。この丸はなんでしょう?というクイズをツイッターで投げかけたとき、「子宮です」と回答をツイートしてきた人がいて「すごい!」と思いました。答えは子宮ではありませんが(笑)、この発想には『女性失格』というタイトルにもつながるものがあるなぁ……と唸りました。カバーなしの装幀も、すごく気に入っています。環境問題にも貢献できているのでは?(笑)

――刊行後に多くの読者から『女性失格』の感想が届いているそうですね。その中で嬉しかったもの、驚いたものなどがありましたら、お教えいただけませんか。

小手鞠 全体を通して嬉しかったのは、男女ともに「葉湖は、私です。僕です」と自分に重ね合わせてくださっている人が多かったこと。驚いたのは、年配の男性読者からの熱い支持が多かったこと。「茫然とした」「ショックを受けた」という言葉も、嬉しかったです。感動、共感、理解、泣けた……などというような感想よりも「衝撃を受けた」という感想が、本作にとっては、嬉しいお言葉でした。勇気と希望の物語ではなくて、私が書きたかったのは、絶望の物語だからです。

「絶望の物語」を読むことで、人は生きていく力を得ることができるのだと思うし、私自身がそうだったし、私自身は、救いようのない絶望を描いた文学が子どもの頃から好きで、今もなお、そういう文学を愛しています。私は文学によって、癒されたり、慰められたり、元気になったり、したくない。むしろ、絶望の底に突き落とされ、突き放され、這い上がれなくなるほどのショックを受けたい。そこから、生きていく力をもらっています。それが文学の力だと思っています。

――ありがとうございました。

こでまり・るい●1956年、岡山県生まれ。93年「おとぎ話」で海燕新人文学賞を受賞。『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞、原作を手がけた絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん』でボローニャ国際児童図書賞、『ある晴れた夏の朝』で小学館児童出版文化賞を受賞。他に『アップルソング』『星ちりばめたる旗』『私たちの望むものは』『ラストは初めから決まっていた』など著書多数。

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