間近で見てきたからこそ感じた、「富野由悠季らしさ」――『ブレンパワード』設定デスク・河口佳高氏×文芸・高橋哲子氏インタビュー

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更新日:2022/2/10

ブレンパワード
『ブレンパワード』 ©サンライズ

 心の絆が力となる――。1998年、富野由悠季監督が手掛けたTVシリーズ『ブレンパワード』は、放送当時大きな衝撃を与えた。近未来、地球の海溝に沈んでいた遺跡で発見された生命体をめぐり、人類は分裂。地殻変動により地球の都市が次々と破壊される中、人々は謎の円盤状物質「オーガニック・プレート」から生まれる巨大な生体マシン「ブレンパワード」に乗り、世界の破滅に向けて動き始める――。『機動戦士ガンダム』を手掛けた富野由悠季監督のオリジナル作品にして、脱「ガンダム」を目指した意欲作。さまざまな作品を手掛けてきた富野監督のターニングポイントとなった一作である。

 その『ブレンパワード』が、「Blu-ray Revival Box」として3月にリリースされることになった。また、2月には富野由悠季監督の軌跡を記録した展覧会「富野由悠季の世界」の映像作品「富野由悠季の世界 ~Film works entrusted to the future~」も発売される。この2作品の発売にあわせて、富野由悠季監督の作品づくりを間近で見てきたスタッフの方々に、お話を伺った。

 今回お話を聞かせてもらったのは、サンライズの河口佳高さん(『ブレンパワード』当時の設定デスク)と高橋哲子さん(『ブレンパワード』文芸)。おふたりはともに、『ブレンパワード』以降も富野作品に参加している重要なスタッフである。ふたりから見た富野作品の思い出や、富野監督の印象を伺った。「アニメーション映画監督・富野由悠季」のクリエイションのあり方を示す、貴重なテキストになったと思う。

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縁がないと思っていた、富野由悠季監督との出会い

――富野由悠季監督作『ブレンパワード』に、河口さんは当時、制作デスク、高橋さんは文芸・脚本として関わられています。そもそもおふたりはどんなかたちで富野作品に参加されたのでしょうか。

河口:私は『機動戦士Vガンダム』で初めて設定制作をやっていました。もう一度、富野監督と仕事をしたいと思っていたので、次に『ブレンパワード』の企画に参加することになったんです。

高橋:富野監督はそばにいる人を選ぶから……。

河口:私はたぶん大丈夫だったんですよ。

高橋:怒られたことないですよね?

河口:いや、ありますよ。さんざん怒鳴られました。でも何度か監督が謝ってくれたことがあったんです。それで「やっていけるな」って思った(笑)。

高橋:『ブレンパワード』で1スタ(第1スタジオ)に入ってこられたころは、かなり穏やかでしたけど。

河口:若い制作進行さんたちともフランクに話していましたよね。

――おふたりは『ブレンパワード』にどんなタイミングで参加されたのでしょうか。

河口:最初は劇場映画の企画だったんです。そこで監督が『ブレンパワード』というタイトルのメモを出してきて。そこからシナリオライターさんの提案をいただいて、半年くらいかけていろいろな話をしていたんですが、それが上手くまとまらなくて一度企画を閉じたんですね。でも、監督は『ブレンパワード』のメモをまた書き直して、私のところに持ってきたわけです。

高橋:それは1996年くらいですね? 私が参加をしたのは、企画がTVアニメになってからですから。

河口:そうですね。映画のときのメモには、主人公の伊佐未勇や(姉の伊佐未)依衣子とか、オルファンの設定はあったんです。主人公が奥多摩で生活していて、ヘルスセンターに合気道の道場があって。そこに勇が通っていて、その道場の地下で「気」で動くロボットが開発されている。そこに依衣子が迎えに来るんです。ところが勇はお姉ちゃんと戦うことになっちゃって、最後にお姉ちゃんがやっつけられちゃう。そして、お姉ちゃんはいまわの際に「両親を殺して」と言い残して、死んでいくという。

高橋:映画の話はそこで終わっていたんですか?

河口:そう、そこで終わってしまうんですけど、お話が面白くなるのはここから先でしょうと。じゃあ、TVシリーズのほうがストーリーをいっぱい描けるから、そちらはどうですか? という話をしたんです。当時、サンライズの1スタはちょうど『機動新世紀ガンダムX』が終わったころでしたよね。

高橋:そうです。96年の仕事がまるまる終わったあとです。それで次はどうしようかと言っているときに、WOWOWさんがTVアニメを初めてやるということで、その企画がこちらに来たんです。

河口:僕が『ブレンパワード』の企画を、富岡秀行プロデューサーのもとへ持って行ったんです。そうしたら、富岡プロデューサーが「もうできるじゃないか! じゃあやろう」と言うことになって。

高橋:1スタに急に富野監督の企画が入ってきたので、これは大変なことになりそうだぞと。

河口:当時の1スタにとっては、富野監督は違う文化の人ですからね。

高橋:そのときまでにやっていた作品とはアクションの描き方が違うので、当時『機動新世紀ガンダムX』や『新機動戦記ガンダムW』をやっていた作画さんや演出さんはきっと、『ブレンパワード』で違うことを要求されていたと思うんですよね。

河口:アニメ的な見栄えの良いことをやろうとすると、富野監督から「それは違う」と言われてしまう。

高橋:そうです。富野監督のアクションは、ロボットが見得を切ったりしないので。

河口:監督的には、アクションの理屈がちゃんとあるんですけど、初めての人がそれを理解するのが大変なんです。

――では、『ブレンパワード』をサンライズの第1スタジオで制作することになって、高橋さんも参加したというわけなんですね。

高橋:そうです。伝え聞くところで、富野監督は怖い人だと聞いていましたし、それまではサンライズにいても富野監督と仕事をすることはないと思っていたんです。

河口:でも、それまでも同じ建物の1階と2階で仕事していたわけでしょう?

高橋:縁がないと思っていたんです。そうしたら、富野監督が1スタに入ることになって。結果的に「富野番」をすることになりました。

――富野番とは、どんなお仕事をされるんですか。

高橋:富野監督はアニメ以外の仕事も精力的に行っています。アニメだけではなく、小説も執筆されている。その窓口や交通整理をしたり、取材の打ち合わせをしたり。それを3~4年やっていたんです。それでわかったのは、監督は「人の3倍仕事をする」ということでした――シャアじゃないけど(笑)。

河口:富野監督は締め切りを追いかけなくても、どんどん仕事をこなしてこっちを追いかけてくるんです。

高橋:『∀ガンダム』までごいっしょしていたんですけど、富野番と自分の仕事が両立できなくなって、残念ながら降りることにしたんですが、富野監督は本当に仕事量がすごいんです。そういう方とご一緒するだけで、すごく大きな経験になりました。

『ブレンパワード』設定資料 P2

『ブレンパワード』設定資料 P5

『ブレンパワード』設定資料 P7

『ブレンパワード』設定資料 P12

取材とリサーチを重ねた『ブレンパワード』

――『ブレンパワード』の制作について伺います。先ほど富野監督のメモがあったというお話がありましたが、そのメモから作業を始められたということでしょうか。

河口:そうですね。富野メモをもとに打ち合わせを始めました。TVシリーズにするにあたって、キャラクターを増やしたり、あとはロボットの設定を変えたりしています。もととなった映画版のストーリーが親子もので、富野監督の作品は『機動戦士ガンダム』も、その時の直近の『機動戦士ガンダムF91』も親子ものだったので、もっと徹底的に親子ものにしよう、ロボットにも親子関係を作ろうと、卵から生まれるロボットはどうですかと提案しました。富野監督に「それでも良いよ」といってもらえたので、永野護さん(デザイナー、マンガ家。『ブレンパワード』ではメインデザインを担当)に考えていただいたんです。

高橋:(資料を見ながら)永野さんからは、1996年の3月21日に設定メモをいただいていますね。そのメモにはもうブレンパワードが生まれるオーガニック・プレートの設定が描かれています。

河口:監督が永野さんに電話して、卵から生まれるロボットの説明をしてくれたので、どうでした?と聞いたら、「永野くんがプレートにすると言っている」という返事でした。その後、オーガニック・プレートの設定があがってきたんです。それを見て、「なるほど、プレートってCDみたいな光ディスクのイメージなのか」と。そうやってブレンパワードの設定ができていきました。

――永野護さんは『重戦機エルガイム』『機動戦士Zガンダム』で活躍されていたデザイナーさんです。どんな経緯で彼の参加が決まったのでしょうか。

河口:永野さんに声をかけたのは、富野監督なんです。そのころゲームの『バーチャロン』が流行っていて、永野さんが「最近の3DCGではこういう表現ができるんだ」と、ゲーム機を持ってサンライズに遊びに来たことがあり、サンライズの会議室でゲーム機をつないで、監督に見せたんです(笑)。僕は、富野監督から「永野くんが来るから『ブレンパワード』の話をするかもしれない。だから、お前も来い」と呼ばれて、その場にいました。富野監督が「こんなアニメの企画があるから参加してくれないか」と切り出したら、永野さんは「いいっすよ」とふたつ返事で引き受けてもらえました。当時は、すでにいのまたむつみさん(イラストレーター/『ブレンパワード』ではメインデザインを担当)にも富野監督がお声がけをしていて、永野さんといのまたさんは友人だったので、「いのまたさんも参加しているならやる」ということだったと思います。

――いのまたむつみさんも、富野監督からお声がけしていたんですね。

河口:そうです。いのまたさんにお声がけをしたのは富野監督です。最初のうちは監督が自分でいのまたさんのご自宅にキャラクターデザインの回収に行ってましたね。

――『ブレンパワード』の制作では、富野監督ご自身が手足を動かされていたんですね。

高橋:取材もリサーチもすごく積極的でした。

河口:映画企画の段階で、大久保の合気道の道場にもふたりで見学に行ったりしました。師範が稽古をつけるところを道場の隅で見せてらえることになったんですが、監督は勉強熱心だから正座しながらも体を動かして同じ動きをするんです。そんなひと他にいないから、案の定「そこ、静かに見学してください」と注意されたりして(笑)。

高橋:監督がアフリカの宗教のことを知りたいと言って、青山の国際連合大学に先生がいらっしゃるからお話を聞きに行く、というので通訳を同行し、ナイジェリアの先生に会いに行ったこともあります。ほかにも当時最新の深海生物の映像を取り寄せたり……監督はいろいろな本を読まれていて、リサーチをすごくされているんですが、その裏付けを取りたいという方なんです。こちらで調べなくてはいけないこともたくさんありました。

河口:大変ですよね。

高橋:取材がしたいんですよね。それで取れるものは取っておきたい。潜水艦も乗ったことがありましたね。

河口:潜水艦は別の作品で見学の機会をもらえて、せっかくだから監督も行きませんかと誘ったら、「行く」となって。

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