“本棚”から拓く人生のガイドブック『千年の読書 人生を変える本との出会い』三砂慶明インタビュー

小説・エッセイ

公開日:2022/2/5

三砂慶明さん

 一冊の本を読み終えたとき、えも言われぬ高揚感のなか、立ち往生してしまうことがある。気持ちの落ち着きどころを探していくうち、湧きあがってくるのは、この本から自分に入ってきた“知”をどこへ歩かせていったらいい?ということ。そんな思いの拠り所となり、得た“知”をつないでいく“隣の本”を、三砂さんは日々、嬉々として、悩みながら、書店の棚に並べている。大阪は梅田 蔦屋書店で。

(取材・文=河村道子 撮影=濱崎 崇)

「ビジネス書であれば、ビジネス書の棚に、というジャンルごとの並べ方をしていない書店で、書店員として働く私は、本を探しに来た方がその本の隣にある本と出会う、その出会い方をどうすれば変えられるのか、ということを日々考えています。たとえば人文書は、専門書が多いですが、“人間にとって愛とは何か”という問題提起の仕方をすれば、その本との出会いは専門書としてのものとはまた違うものになる。人生には、それぞれのステージで考えなければならないことがあります。本とのそうした出会い方をすれば、自分が向き合わなければならない問題やテーマと出会いやすくなると思うんです」

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“本への扉 人生を変える本との出会い”“新しい働き方を探す旅”“「お金」から見た世界”“「おいしい」は味なのか 現代の食卓と料理の起源”“幸福の青い鳥 瞑想と脳と自然”……。「人間とは何か?」という問題を核に、そこに様々な入口を見つけていったという1冊のなかの7つの章には、三砂さんならではの仕掛けが隠れている。

「書店の本棚って、大体7段なんです。その1段には30冊くらいの本が入るように設計されているんですね。ゆえに本棚1本に、210冊程度の本が並んでいることになるんです」

 そうなのだ。だからこれは……。

「“本棚”を書いた本なんです。7つの章のなかで紹介した本をすべて読むと、書店の棚1本分が読み終わる設計。この構成は、書店員である私ならではの、この本の独自性のひとつになったのではないかと思います」

 紹介する本と本との間に存在する“隣に置く本”という意識。それは一冊のなかの“水脈”となり、三砂さんの端正でやさしい語り口の文章のなかを滔々と流れていく。

「私はかつて工作社の『室内』という月刊誌の編集部にいたのですが、そのとき建築家の石山修武先生に、“お前は自分の好きな本しか読んでいない”とお叱りを受けたことがあったんです。“本というのは単体で存在しているのではなく、体系を持っている。その体系をわかったうえで読めるようにならないと読んだことにはならないぞ”と」

“体系”とはいかなるものか。それをこの一冊のなかに見ることができる。本のなかの言葉が呼応し合い、本と本とが綿々と連なっていく。そこからまったく違う景色が見えてくる、美しい体系が。

同じところを掘らない 書店員ならではの技術

 ブレイディみかこ著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』のなかで、数多の人が心のなかで線を引いたであろう“誰かの靴を履く”という言葉。第2章「生きづらさへの処方箋 眠れない夜に読む本」で、その言葉を受け、三砂さんが隣に並べたのは、榛野なな恵の名作少女マンガ『Papa told me』、そしてその隣には岸政彦『断片的なものの社会学』。“ぼくイエから、『Papa told me』に行くことはなかったなぁ”という驚きへ導く本の連なりは、思わぬところへと思考を連れていく。

「同じ問題意識を持ち、私なりに読者も同じと思われる本を、ここでは隣に並べました。私は学問などの専門知識を持っているわけではないので、できることと言ったら、同じ分野を掘り下げることよりも、異なるジャンルを組み合わせることです。たとえば、岸政彦さんの本は、書店でもブレイディさんの著書の隣に並んでいるかもしれません。でもそこに別のものを挟むことによって、よりつながりの広さが見えるのではないだろうかと考えて並べました」

“本のガイドブック”ではなく、“読書エッセイ”として著された本書には、三砂さんの人生も重ねられる。たとえば勤めていた会社が解散、再就職できずに不安で眠れない夜がつづくなか読んだニヒリズムの思想家、エミール・シオランの『告白と呪詛』のある一節から気付いたこと。第7章「本から死を考える 死の想像力」では、ひとりの客との印象的なエピソードが描かれる。

「“子どもを事故で亡くし、1年近くも外出ができなくなった親友を励ましてくれるような本はありませんか?”。書店員として働き始めた1年目、お客様からそんな相談を受けたんです。これは難しいな、どうしたらいいんだろうと悩んでしまって……。その方のお友だちのことを考え、気持ちを想像しながら様々な本を読み、それをお客様にお伝えし、対話を重ねていったのですが、結局、私は何もできなかったのです」

 子どもの頃、阪神・淡路大震災に遭い、同級生の死も、目前の人の死も経験したという三砂さん。“死とは何か?”は自身にとっての命題でもあった。7章で紹介される本は、死を真っ向から、かつ客観的に捉えた精神科医、エリザベス・キューブラー・ロス著『死ぬ瞬間』から始まる。だが本の連なりは予想外の方向へと進んでいく。“本棚”の先の方に並んでいくのは、たとえば死と腐敗は、生き物を循環させている核であると説く藤原辰史著『分解の哲学』。

「分解して、その理由を考えれば、死は忌むだけのものではないんだ、それがないと私たちは生きていけないんだ、ということを教えてくれる素晴らしい本です。だからといって死ぬことがいいことだとは言えないのですが、私たちは間違いなく皆、死ぬ。だから正しく迎えられるものというか、そういう視点で紹介できたらといろいろな本を探しました」

 その終着点で紹介される一冊、中島らものある作品から三砂さんが紹介する言葉は、“ここまで連れてきてくれたなんて……”という感慨とともに、これから先も自分に寄り添い、新鮮な視点を与えてくれる言葉になるという思いが湧きあがる。

ずっと残っていくのは“問いかけ”がある本

「本を売っていると痛烈に感じることがあるんです。それは残る本と消えていく本があるということ。数千年以上にもわたって残る本もあれば、1年でなくなってしまう本もある。その間にあるものとは何なのだろう?と自分なりに考えたとき、残る本には“答え”ではなく、“問いかけ”があるということでした。答えのある本というのは売れる本でもある。けれど、その時点で役割を終えてしまうことが多い気がするんです」

 本書は“問いかけ”のある本を並べていった本棚でもある。

「たとえば“死とは何か”という問いに対し、そこに答えはないはずなんです。ただ、その著者なりの向き合い方というか、拓き方があり、その拓き方をちゃんと言語化できている人は正しい問いかけの仕方をしているような気がするんです」

 三砂さんというひとりの人が時代や社会背景のなかで、どこから見ているかという“視座”と、書店員として各々のテーマ、本、読書をどの角度から見るかという“視点”が織りなす一冊は、きっと読書を豊かなものにしてくれる。

「本は人のことを選ばない。“お前には読まれない”みたいなことはないわけで。だから最高の友達だと思うんですね。立場も年齢も性別もまったく関係ない、一生の友達なのではないかと。本書を通じ、その友達を探すお手伝いができたら、私としてはこれ以上の幸せはありません」

 

三砂慶明
みさご・よしあき●1982年、兵庫県生まれ。梅田 蔦屋書店人文コンシェルジュ。NHK文化センター京都教室にて読書講座「人生に効く!極上のブック ガイド」を担当。「WEB本がすき。」(光文社)などで読書エッセイを連載。本と人をつなぐ「読書室」主宰。世界思想社から編著書『本屋は焚き火である(仮)』を刊行予定。

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