ジェーン・スー「誰かを傷つけたくないとおそれるあまり自分を見失うのは本末転倒」『ひとまず上出来』インタビュー

小説・エッセイ

更新日:2022/2/12

ジェーン・スーさん

〈四十路よ、いつでも来い!! ジェーンがついている!〉と柳原可奈子さんがコメントを寄せた『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』が刊行されたのは2014年。初書籍を刊行したのはその前年だが、一貫して「歳をとるって楽しいよ!」という希望を、スーさんは後進に見せ続けてくれている。

(取材・文=立花もも 撮影=山口宏之)

「『貴様〜』はいまだに重版がかかりますし、著作のなかで一番売れているので、おそらく私の代表作になっていくんだろうなと思うのですが、あんなふうにアツアツの餡をぶっかけるみたいな文章はもう書けないだろうなと、半分諦めていました。というのも、デビュー作の『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』もそうですが、東京生まれ・東京育ちで私立の大学に通っていた私の特性ありきで書かれたものでもありますし、届く読者の範囲もずいぶん狭かっただろうと思うんです。

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 その後、ラジオのパーソナリティを本格的に始めたことで、ありがたいことに読者層は広がったのですが、比例して当たり障りのないことを言い始めてしまったのを自覚していて。2014年ごろに比べ、圧倒的に配慮の時代になってきたこともあり、真意を伝えるために誰かを傷つけないよう、誤解されないよう、細心の注意を払うようになりました。これじゃいかん、と思いなおしたのが2021年の第4クオーター。極力誰も傷つけないように生きていきたいと思いつつ、傷つけないために自分の言いたいことややりたいことを見失ってしまうのは本末転倒だと仕切り直しているところです」

ジャッジメンタルな人々にふりまわされないために

 その表明のように、最新エッセイ『ひとまず上出来』でスーさんが書き下ろしたのが〈頑張れたっていいじゃない〉という書き下ろし。

「頑張ることを無理強いしない、頑張れなくても大丈夫、という流れはもともと、誰かを肯定することでそれができない誰かが割を食うことがないようにという願いから生まれたはず。けれど今は逆に、頑張れない人を肯定するために、頑張る人を否定しかねない流れが生まれているように感じるんです。

 本書にも書いた〈頑張れることが、まるで卑しいことのように言われる日が来るなんて、思ってもみなかった〉という女友達の言葉で、私もそれそれー! となったのですが、頑張れる人っていうのは、環境や運に恵まれていて自分の努力だけでどうにかできているわけではないケースも多いし、それを自覚しているので、おおっぴらには何も言えないんですよね。もちろんブラック企業マインドや頑張りの押し売りはよくないけれど、自分の意志で頑張れる人のことは素直に応援したらいいじゃない。あなたは頑張れるからいいわね、なんてくささなくても。

……ということをもうちょっとマイルドにラジオで話したら、『頑張れる奴がマウントとってきてびっくりした』と番組のハッシュタグつきでつぶやかれてしまった。ああ、やっぱり頑張れることは一種のマウントになってしまうんだな、と痛感しましたが、その状態を生きづらいとも表現したくなくて。今、生きづらいという言葉があまりに便利に使われているのを感じるからこそ、他者への過剰な配慮で自分を見失うことがないようにしなくてはならないと思いなおしたんです。書くのはわりと勇気がいりましたけど、でも、書いてよかったと思っています」

〈曖昧にしておけば、周囲に好感は持たれるかもしれない。しかし、あなたに好感を持った人が、あなたを幸せにしてくれるわけではないのですよ〉と別の章でもスーさんは綴る。

「人の理性なんてものは本当に信用ならないんですよ。誰かに嫌われる、叩かれるというのはつまりジャッジされるということ。そしてジャッジする側は、自分はバイアスのかかっていない状態で冷静に一貫性のある審判がくだせると信じている。大間違いだと思います。

〈正義と仲間は相性が悪い〉という章でも書きましたが、どんなに公正であろうとしたって好き嫌いや立場によって判断は変わる。それが前提だからこそ社会の罪は司法によって裁かれるんです。だからこそ、俗人的なジャッジにふりまわされないようにしたいということを、本書でも書きました。以前は、ジャッジメンタルな世の中をうまくかいくぐれるようになった自分を誇らしく思っていたんですけどね。それはちょっと違うよな、と」

私が私であり続けるために選択し、決断していく

 エッセイを書き続けるということは、自分の変化を―俗人的な価値観に染まっていることも含めて、常に突きつけられ続けるということだ。そのうえで自分の意見を表明していくことに、恐怖はないのだろうか。

「私自身、絶対にバイアスがかかりまくっていますからね。それはやっぱり怖いですよ。でも、だから私は書く仕事をしているんです。いっつも前進しているわけじゃなく、ときに後退している自分にも気づかされる。ゆらゆら揺れながら、それでも自分の芯みたいなものをかためていく確認作業でもありますし、単純に、ライフログとしてもおもしろい。私は、文章を通じて誰かに何かを訴えたいとか啓蒙したいとかって気持ちは全然、ないんですよ。あくまで私はこう考えていますという記録でしかないものに、思いのほか共感してくださる方がたくさんいたので、仕事として成り立っているというだけ。だから、ネット用語的になりますが、主語が大きくならないようにということだけは気をつけています」

 その想いは、タイトルにも表れている気がする。前進したり、後退したり、ときには偏見にまみれたりしながら、どうにか自分の矜持を貫きたい。いつでも、ひとまず上出来のハンコを、自分に押せるように。

「タイトルは、コロナ禍でみんな疲れ切っているからということでつけたんですけどね。いろいろあったけど、どうにか生きてる。それでひとまず良しとしませんか、って。そうじゃないと、あまりにつらすぎるじゃないですか。

 私自身は、コロナ禍の自粛に関しては全然つらくなかったし、むしろ友達とオンライン筋トレしたり、誰もいない銀座をひたすら歩きまくったり、わりと快適に過ごしてはいたんですけど、人間って心地いいものばかりに触れているとなんの化学反応も起きないんですよね。脳の発達にはある程度の負荷をかけられることが必要なんだと思うので、今年はもう少し人付き合いが再開できるといいですね。ただまあ、それは私がしたいと思うからするだけのことで、基本的にはみんなが、自分にとってラクなことを選択していけばいいと思います。

〈自分を不幸せなところに置いたままにしない。自分で選択したことの責任を取る。大人の責務って、この二つくらい〉と書きましたけど、それさえできていればどんな状態だってひとまず上出来なんじゃないでしょうか」

〈弱っちい自分を鍛えて鍛えて、中年になる頃には軍人のような仕上がりになっていた私。それがどうでしょう、まるで二度目の十四歳です〉とあとがきには綴られている。更年期障害の影響で再びメンタルがブレることが多くなり、思春期に引き戻されたかのような自分を、けれどスーさんは嘆いたりしない。ブレすら娯楽として受け止め、楽しもうとする貪欲さこそが加齢の醍醐味なのだと、同書を読んでいると勇気が湧く。

「これも本書に書きましたが、めちゃくちゃ悩んで泣いた末、長年連れ添ったパートナーとお別れしました。けれどそれは、私が私であり続けるための決断。しょんぼりはしていても絶望はしていません。私が私を幸せにしないでどうする!の思いで、今年も頑張っていきたいですね」

 

ジェーン・スー
じぇーん・すー●1973年、東京生まれ。コラムニスト、作詞家。TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』などでパーソナリティとしても活躍。2021年、『生きるとか死ぬとか父親とか』がドラマ化。蔑称として使われる他者からの“おばさん“という言葉をとりあげ、みずから軽やかに“おばさん“と使えるようにしていきたい。

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