ニューアルバム『光を投げていた』に映る、人と人の「対話」の姿――シンガーソングライター・小林私インタビュー

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公開日:2022/3/9

小林私

 本サイトでの連載コラム「私事ですが、」でもおなじみ、シンガーソングライター・小林私がセカンドアルバム『光を投げていた』を完成させた。アレンジ以外のすベてをほぼひとりで完結させていたこれまでとは違い、清 竜人(「どうなったっていいぜ」の作詞作曲編曲プロデュース担当)、illicit tsuboi(「生活(rearrange)」のプロデュース)、BOBO(ドラマー、「冬、頬の綻び、浮遊する祈り」に参加)、奥野真哉(キーボード/ソウル・フラワー・ユニオン、同じく「冬、頬の綻び、浮遊する祈り」に参加)などなど、名だたるミュージシャンやプロデューサーとともに楽曲を作り上げていった今作。昨年美術大学を卒業してから過ごしてきたこの1年も含めて、アーティスト・小林私にとって大きなターニングポイントとなりうる作品なのではないか……というアルバムに仕上がっている。小林が今、作品について、音楽について、表現について、人生について思うことを、たっぷり語ってもらった。連載で彼のことを知った人にもぜひ彼の音楽を味わってほしいし、その逆も然り。彼の表現すべてに通じるものがあることを、感じてもらえるはずだ。

(取材・文=小川智宏)

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小説だけじゃなくて音楽も全部、何するにしてもビビりながらやってますね

――連載「私事ですが、」のミステリ(第16回〜17回『幽霊のいる窓』)、めちゃくちゃ面白かったです。

小林:ほんとですか? よかったです。Twitterで呟くとか、たまにnoteで日記みたいなものを上げるくらいしか、文章を書くのは全然やったことなくて。だから、第1回第2回あたりは自分で読み返してもちょっと拙いなと思います。ちょっとずつブラッシュアップしている感じですね。

――そのミステリ小説を書いた次の回で、あとがき的な文章を書いていたじゃないですか(第18回『本を書くこと、本を読むこと。ミステリを書いた所感』)。あれがすごく面白くて。言葉を選ばずに言うと、すごくビビりながら小説を書いたんだなっていうのが伝わってきて。

小林:いや、そうです。小説だけじゃなくて全部、何するにしてもビビりながらやってますね。

――音楽もそうなんですか?

小林:そうですね。小林私っていう、ある種アイコニックに見られるものの中で何を提示するってなったときに、音楽で最初に注目されたぶん、音楽の方が逆にビビらずにできる部分もありますけど、そこから逆に発展してやっていくってなると……元々小説読むのが好きでってところから人生始まり、絵を描いたりもしていく中で、音楽もっていう、自分としては同じラインにあることが人にとってはそう見えないってことは、もうどうしようもなくあるから。そこはすげえビビりながらやってますね。

――今回のニューアルバム『光を投げていた』もそういう心情の中で作っていた?

小林:まさに今「ビビり」って言葉が出てきて、確かに俺ビビりかもなって思いました。今回のアルバムのリリックとかも、基本やっぱり何かに怯え、ビビリながら書いている感じはあるなと思いました。

――もしかすると、いろいろな状況の変化もあって、よりビビる必要が出てきたところもあるのかなと思ったんですよね。

小林:そうですね、まあビビってたほうがいいんでね、ビビらなさって、結局ビビってる人に対してすごく攻撃的でもあるなと思うので。ある程度必要かなとは思います。

――小林さん、大学を卒業してちょうど1年ですよね。僕、1年前の渋谷クアトロのワンマンライブを拝見したんですけど、あれが五美大展(東京の美術大学による共同の卒業制作展)のバラしの日か何かで、MCでもそれについておっしゃっていたのを覚えています。

小林:うわあ、懐かしい! あの時期はとんでもない忙しさでしたからね。基本卒業制作をやって、週末、大学入らない日とかに仕事に行きつつ、日によってはダブルブッキング、トリプルブッキングしてみたいな時期だったんで。ちょうどこないだ大学の友達と会ってて、もう1年経つよ、みたいな話をしたんです。またアトリエにみんなで戻りたいねって言ってますね。「みんなで一緒のマンションとか買って住もうよ」って(笑)。

――その大学がなくなって1年過ごしてきて、どんな心境の変化がありましたか?

小林:いや、でも大学を引きずるじゃないですけど、何でしょうね、同じテンション感で、同じ場で、作品をずっと作り続けてきた友達たちは、小学校とか高校の同級生とはまた全然違う感覚なんです。いまだに会ったり、友達の展示もたまに見に行くんですけど、なんか、みんな頑張ってるわっていうところはありますね。自分もやることやらないとな、というか、やるだけだなという。別に作品作るだけじゃなくて、就職したり、無職もいますけど、みんないろいろなことをやることで頑張ったり、やらないことで頑張ったりしていて、1年経ってまたいろいろな選択肢ができて広がっている感じなので……なんか、そうですね、みんな健やかに生きてくれよっていう(笑)。

――小林さん自身も健やかに?

小林:そうですね、健やかになりたい……いや、これは何かに対するあれとかじゃなく(笑)、その、「幸せって何か」ってことを考えないときが一番幸せだと思っているんですよ、僕は。だから結局「健やかになりたい」「幸せになっていきたい」っていうのは、いつか完結するものというよりは掲げている以上は永遠のテーマになっていく。そしてそれを忘れたときに、本当のところが見えてくるのかなって思うんで。別に変な意味じゃなく、みなも健やかに、己も健やかになっていければ素晴らしいなという。

他人がやってくれたやつに乗っかってる状態だと、いい意味での責任転嫁ができるのがすごい楽しいなと思う

――今回1曲目に「生活」という曲が入っていて、これはデビュー曲でもあるし、その『健康を患う』にも最後の曲として入っていた曲なんですが、それがリアレンジされて、違う形にリニューアルされているという。非常に面白い試みだと感じたんですが。

小林:そうですね。アルバムを作ろうってなってから、どういう曲を入れようかを考えつつ、竜人さんとやっていただいた「どうなったっていいぜ」という曲ありきで、そこからどういう曲を入れていこうかと。でも最終的な決め手は、これのアレンジメントを聞いてみたいなみたいなところが、一番大きくはあるんで、「生活」とかも新しくリアレンジがまた入ったら面白いんじゃないかなとか。

――「どうなったっていいぜ」は歌詞も曲もプロデュースも、全部清 竜人さんが手がけていますよね。つまり形としては楽曲提供を受けたのに近い。そこまでいくと、歌っていてどういう感覚になるんですか?

小林:なんか、自分の曲を、自分が考えて作詞作曲しました、自分の曲ですと、ドンと載せるときはまさにビビりじゃないですけど、この人がこういうことを考えて、こういうことを書いて、こういうふうな作品にしてるんだって思われるところに対して慎重にやる面があるんですけど、ある種他人がやってくれたやつに乗っかってる状態だと、いい意味で無責任にやれるというか。もちろん自分で書いてないからこその難しさもあるんですけど、何かいい意味での責任転嫁ができるのがすごい楽しいなと思います。

――『健康を患う』はすごく小林私という人と近いところで生まれて作られた音楽という感じがしましたけど、今作の印象はもっと広い世界に飛び出している感じがしますよ。

小林:でも逆に『健康を患う』のときは、本当にほぼ口出ししてなくて。アレンジメントの方にほぼ全任せ、もう曲だけ投げてあとは好きにやってください、ぐらいの感じでお願いしたものに対して、また僕が歌ってる、というやり方で。今回の『光を投げていた』に関しては、楽曲にもよりけりですけど割と口出しした曲も多くて。だから僕的には結構今回のほうが僕の近くで作った感覚があるので、そこの反転は聞いていてちょっと面白いです。

――今「口出し」という言葉を使いましたけど、自分の曲のアレンジに意見をして意図を伝えるというのは、むしろ音楽家として自然なことだと思うんですよね。

小林:本当はたぶんそうなんですよね。

――でも前はもうおまかせだった、それでいいと思ったわけですよね。

小林:そうですね。人に任せることによって、自分がびっくりしたかったというか。自分の作品なんだけど、一端を全部任せてしまうことで自分の思ってない範囲のことが起きて欲しいっていう。自分で指示であったり、リファレンスとか口出しをしちゃうと、もちろん自分の求めてたところに近づく部分もあるけど、驚きとは遠ざかるというか。最終自分の作品で驚きたいっていうのが大きいので。だから『健康を患う』のときはすげえ面白かったんですよ。こういうふうになるんだ!って。

――「冬、頬の綻び、浮遊する祈り」とかも驚きましたけどね。あれ、面白い曲ですね。

小林:これは僕も書きながら、書いたことないタイプの曲だったので……毎回曲を書くときは今まで書いたフォーマットを多少は崩しながら書かないといけないなと思いながら書くんですけど、「冬」に関してはだいぶそこを崩し崩しで書いたんで、これは結構書いて面白かったですね。

――とてもポップな曲だけど、とても暗い曲だなと。

小林:そうですよね……いや、なんかこの曲どっちに取られるんだろうって思いながら書いたんですよ。僕は暗い曲だと思ってるんですけど、こないだ別のインタビューされたときとかは、すごく明るく感じましたっていうふうに言っていただいて。今なんか暗い曲だって言ってもらって、なんか嬉しいです。両方の感想を聞けたのが。

――歌詞で言うと、「このままずっとこうしてどうしようもないまま生きていくことが/嫌ではないのがたまらないほど恐ろしいんだ」っていう、ここですよね。暗い(笑)。

小林:暗いですね(笑)。ここに暗さを感じる人はたぶん、嫌なんでしょうね。恐ろしさがなんとなくある人なんじゃないかなと思う。でも、なんでこう書いたのかはまったく覚えていないんです。書いたときを覚えてる曲と、1個も覚えてない曲があって。昔書いた「後付」って曲はまったく覚えてないけど、今回の「日暮れは窓辺に」とかは全部覚えてるんです。「飛日」とかも。「光を投げれば」は全然覚えてない。それは何が違うのかっていったら僕はわかんないんですけど。

――でも確かに聴いていると、「日暮れは窓辺に」とか「飛日」とかと、「光を投げれば」とか「冬、頬の綻び、浮遊する祈り」とかはタイプが違う気がします。「飛日」とかはわりと描写も具体的な曲ですけど、「光を投げれば」とかはより抽象的な、内省的な曲で。

小林:これはめちゃくちゃ内省的な曲ですよね。僕は後から自分で自分の歌詞を見返して「いい曲だな」と思うんですけど、「光を投げれば」は結構「面白いこと言いますね、僕は」って思いますね(笑)。そこで自分でもう1回考えるんですよ。何を思ってこいつはこれを書いたんだろうみたいな。それをまた考えるのが結構楽しいですね。

――「軽い冗談を交えて貴方が好きだと言ってみることの/暴力性を否定出来ずにいるからどうも落ち着かない」っていう。

小林:いい歌詞ですよね(笑)。これこそまさにビビりです。自分のスタンスが、その2行にすごく出ている気がします。

――アルバムタイトルの『光を投げていた』も、この曲が由来なんですか?

小林:「光を投げる」っていうのは、何かものを見るときに、何かの反射光を見ているわけじゃないですか。だから見ること自体が、光を投げることなんですよ。で、何か見たり聞いたり、関わったり、他者であったり社会であったり、ただのものであったり、何かに対してのスタンス? めちゃくちゃミクロ的に言うと、何か物を見て知覚したときに、自分が発している光がその対象に当たることによって、位置関係がちょっと変わるらしいんですよ。本当にもう、どうしようもない範囲でちょっと動いちゃってるみたいな。なんかただ見る動作ひとつとっても何かしらを動かしてしまう、その暴力性であったり、そこに対する――それもビビりか――があって。で、後から思い返してみると、たまたまな気がするんですけど、全体として結構他者であったりものであったり社会であったりに、何かしらの形で関わっていたり、関わろうとしたりしている楽曲が多いなって思ったんです。それで、総括じゃないですけど『光を投げていた』っていうタイトルにしたような気がします。

作ってる過程は自分の中でぐるぐる回してるけど、それを出してみて、そこで生まれたリアクションが対話になればって思っています

――連載でも爆弾の話をお書きになっていましたけど(第8回『爆弾』)、人と関わったり、何かに関わることによって、それが相手にも作用するし、自分自身に作用してしまうっていう、その恐怖がずっと小林さんの中にはあるわけですよね。それが今回たまたまアルバムを貫くものとして浮上してきたのはどうしてなんでしょう?

小林:なんでなんですかね。何か無意識にあったのか、もしくはここに入ってない曲を入れてみたら意外とそうじゃないのかもしれないし、ある種こじつけなのかもしれない。そこはこうなっちゃった以上わからないところはありますね。でも、大学卒業して寂しくなってるだけの気もしてきました(笑)。

――ははは! まあ寂しいとは思うんですが、その寂しさとはどこかで折り合いをつけていくんですかね。

小林:つかないですよ。全然つかない(笑)。だからもう時々友達と会うしかないですよね。もう折り合いつかないまま我慢して、時々友達とかと会って喋って、ちょっとごまかして生きていく、そのまま死んでいくしかない気がします。中学生のときも寂しかったし、高校生のときも寂しかったですけど、大学時代にいた周りの友人はそれまでと違って全員作家だから、普通のクラスメイトとまたちょっと違うんですよね。それぞれに作家として何か喋ることがあって、それを大学の講評会とか批評会とかで、みんな普通に生きてたら絶対言わないようなこともそこで言って、それをみんな聞いて、そこからまた密なコミュニケーションを取る。それがなくなった寂寥感はあるような気がします。講評会の日になると、みんなお腹痛くなるんですよね。ずっと胃がキリキリしながら受けてました。でもあれを経験しないことには付かない体力とか筋肉もすごくあると思うし。僕は良かったんじゃないかなと思いますけどね。

――そういう意味では今や、作品を作っても講評してくれる人はいないわけじゃないですか。

小林:そうですね。ちょうど昨日かな、最新の『美術手帖』を読んでいて、批評家というのが今どんどんいなくなっていると。僕の大学の非常勤講師の福住さんって方がインタビューに答えていて、その人も批評家をやりながらいろんな大学の非常勤講師をしているんですけど、批評家は厳密には職業ではない、みたいなことを言ったりしていて。批評家やってもらえるお金で食ってくのはよっぽど実家が太くないと無理だ、みたいな。そういう現状に関しては僕は懐疑的なので、そこは何か自分を見てくれてる人たち含めて、変えていかないといけない感覚かなとは思いますね。それが健全な状態だと思います。作家自身も自分が何か出すってことは誰かに対して向けているものだから、何が返ってきてもある程度受け止めないといけないなと思うし、見る側も自分たちが主体であることの加害性みたいなものをちゃんと意識した上で、ものを投げかけないといけないのかなと。今、すげえ大それたこと言ってますね(笑)。

――ポップアーティストとしての「小林私」というものに対する世の中の評価については今どういうふうに捉えていますか?

小林:まだあれじゃないですか。ちょっと話題性があるだけの、なんか顔はいいけど「なんだこいつ」って思われてる、いけ好かないネットのキモオタ(笑)。

――言い過ぎじゃないですか?

小林:いや、でもちょうどこのぐらいだと思います。だから僕のこと嫌いな人はめちゃくちゃ嫌いだと思います。なんとなくいけ好かないでそのままずっと嫌いみたいな人はめっちゃいると思いますね。僕はもう本当にあまのじゃくだから、そういうやつはめちゃくちゃ好きなんです。僕がその立場だったら絶対そっちだと思いますし。だから、そういうやつらにこそ配信でコメントしてほしい(笑)。1回「鼻につく」ってコメントされたことがあって、すっげえ嬉しかったんです。それは「あの曲がいい」って言われるのとまったく同じラインで嬉しかったですね。またコメントしてくれないかな、と思ってます。

――それ、さっきの批評がないっていう話と――。

小林:そう、近いかもしれない。だから荒らしとかもありがたいなと思うんです。手打ちの荒らしがいましたからね。ずっと「うるさい、うるさい」顔文字付きで連投してるやつがいたんですけど、何十個目とかで1個その絵文字がちゃんと変換されないで投稿されちゃって。「お前、これ全部手で打ってんの?」っていう(笑)。人間がそこにいるなって感じて、えもいわれぬ嬉しさがありますよね。音楽もそうなんですよ。どうしても作ってる過程は自分の中でぐるぐる回してるんですけど、そこもちゃんと自分との対話であるし、それを出してみて、そこで生まれたリアクションとかがある程度対話になればっていう。結局だから、これめちゃかっこいいですねっていうのも、批判的で良くないって言ってるものであっても、同じだけの嬉しさはありますよね。

こばやし・わたし
1999年1月18日、東京都あきる野市生まれ。
多摩美術大学在学時より、本格的に音楽活動をスタート。
シンガーソングライターとして、自身のYouTubeチャンネルを中心に、オリジナル曲やカバー曲を配信。チャンネル登録者数は14万人を超える。
2021年には1stアルバム「健康を患う」がタワレコメン年間アワードを受賞。
2022年3月に、自らが立ち上げたレーベルであるYUTAKANI RECORDSより、2ndアルバム「光を投げていた」をリリース。

Twitter:https://linktr.ee/kobayashiwatashi
Instagram:https://www.instagram.com/yutakani_records/
YouTube:小林私watashi kobayashi
YouTube:YUTAKANI RECORDS
HP:小林私オフィシャルHP

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