『鉄腕アトム』と『どろろ』――手塚治虫作品のバトンを継ぐ2人のマンガ家が語る、創作の思考とは? カサハラテツロー×士貴智志対談

マンガ

公開日:2022/3/9

カサハラテツロー氏、士貴智志氏
左から、カサハラテツロー氏、士貴智志氏

 マンガの神様――手塚治虫。その彼が生み出した名作・傑作は数知れない。その作り出した作品から、新たな物語が生まれる。

 1952年から執筆された『鉄腕アトム』、そこからカサハラテツロー氏が『アトム ザ・ビギニング』を。1967年に執筆された『どろろ』から士貴智志氏が『どろろと百鬼丸伝』を描く。神様から物語を受け取った、現役のマンガ家たちは新たな切り口で、その作品世界をさらに広げていく。

 ダ・ヴィンチWebではそのカサハラテツロー氏と士貴智志氏の対談を実施。手塚治虫という偉大なマンガ家から受け取ったものと、そこから生み出したものは何なのか。初対談となるふたりが語り合う、手塚マンガの魅力とは?

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『鉄腕アトム』は手塚ワールドの入り口

――今年は「鉄腕アトム連載開始70周年」を迎えます。あらためておふたりの手塚治虫作品との出会いをお聞かせください。

カサハラ:小さいころに父の書棚にサンコミックスの『鉄腕アトム』が並んでいて、それをパラパラ読んだことが手塚治虫作品との最初の出会いでした。たぶん幼稚園に通っていたころだったと思います。その後『ブラック・ジャック』を読んで、自分で初めて単行本を買いました。

カサハラテツロー氏

士貴:僕は幼いころには、手塚作品にあまり触れていなかったんです。手塚先生の名前は知っていましたが、そのころは『週刊少年ジャンプ』や『週刊少年サンデー』が流行っていたころで。“手塚治虫”というと大人向けの雑誌で描いているマンガ家さんというイメージを持っていたんですね。手塚作品に本格的に触れたのは、高校を卒業したころです。そのときに初めて『鉄腕アトム』やさまざまな手塚作品を読みました。こんなに活き活きしたマンガがあるんだと驚きましたね。僕にとって、手塚ワールドの入り口には『鉄腕アトム』があったという感じでした。

――おふたりがそれぞれ『アトム ザ・ビギニング』や『どろろと百鬼丸伝』を手掛けることになった経緯をお聞かせください。

カサハラ:『アトム ザ・ビギニング』は『ヒーローズ』編集部から依頼があって書き始めたんです。最初に、アトムの生みの親である天馬博士とお茶の水博士の若い時を描くという企画がありまして、ふたりを主人公にしようという流れがありました。でも、自分が描くにあたり、主人公を誰にするのか悩んだんですよね。やっぱり『鉄腕アトム』を題材にしているので、ヒーローの物語を描くべきだろうなと。それでいろいろ話し合った結果、コミックス第1巻の表紙にもなっているアトムの原型となるロボット・A106(エーテンシックス)を主人公にしたんです。

 原作『鉄腕アトム』では、アトムが十万馬力を持つロボットだと言われているんですが、のちのち強いロボットがたくさん出てくる。その中で、アトムの強さとは結局「馬力ではない」ということを繰り返し描いていくんです。そこで『アトム ザ・ビギニング』でも、一千馬力の強さを持つA106を、馬力としての強さではなく、心の強さで戦っていく話にしようと思いました。そうやって原作をしっかりと解析して、『鉄腕アトム』を自分なりに継承していこうと考えています。

士貴:僕の場合は、秋田書店さんからお仕事の話をいただきまして、担当編集者の方と「まず何をやりたいか、自分たちの好きなものを挙げていこう」という打ち合わせをしたんです。そこでふたりが一致した好きなマンガが『どろろ』でした。『どろろ』は手塚作品の中でも異端の作品だと思うんです。『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』のような王道の作品とはちょっと違う。でも、僕は異端に惹かれるところがあって、中でも『どろろ』という作品は読んだときから、ずっと意識の中にあったんです。ふたりで「『どろろ』カッコイイよね」と意気投合して。そこで僕が『どろろを僕が描けないかな』とポツリと言ったんです。そうしたら、その担当さんが手塚プロダクションさんへ話を持っていってくださって。本当に、僕が『どろろ』を描くことになるとは思ってもいませんでした。描くことが決まったあとから、プレッシャーを感じていました。

士貴智志氏

カサハラ:僕は『どろろ』を小さいころに手塚治虫全集で読んだんだと思うんです。ただ、実はこの作品には、ずっと不思議な点があって。それを、士貴先生に伺いたいと思っていたんですよ。それは「なんでタイトルが『どろろ』なのだろう」ということ。本編を読むと、どろろよりも、ともに旅をする百鬼丸のほうがたくさんのドラマがあって主人公っぽいんですよね。いろいろな説があるのは存じているのですが、『ブラック・ジャック』にせよ『三つ目がとおる』にせよ、手塚先生は主人公をタイトルにしていることが多い。『どろろ』というタイトルにはきっと何かの意図があるんだろうなと思っていました。

士貴:その点で言えば、『どろろ』は、時代にほんろうされる子どもたちの物語だと僕は思っているんです。父親のエゴによって身体を奪われた百鬼丸と、戦の中で生きている子ども・どろろ、そういう子どもたちが、芯になっている物語。だから、僕は『どろろ』というタイトルにピントは合っているように感じています。今回リメイクするにあたり『どろろと百鬼丸伝』というタイトルを付けたのは、どろろの物語といっしょに百鬼丸も描きたいという想いがあったからなんです。

カサハラ:私もその考えには近い考えをしていますね。私は、手塚先生が百鬼丸の目を通して、どろろを描こうとしたのではないかと解釈しているんです。戦闘兵器のような百鬼丸を見せつつも、自分を隠しているどろろの起伏の激しい感情表現を描いていこうとしたのかなと。どろろは百鬼丸と旅をする中で、悲しいときに笑ったり、大声で叫んだりする。でも、自分の本性をなかなか語らない人物ですよね。そこは『ブラック・ジャック』と構造的に似ていると思います。百鬼丸の物語から始まる構成も『ブラック・ジャック』に似ている。ブラック・ジャックと名乗る間黒男は、自分の素性を明かさないですよね。ピノコを通して、ブラック・ジャックの感情が見えたりする。それと同じように、『どろろ』も、どろろを掘り下げるために百鬼丸がいるんだろうなと。

カサハラテツロー氏、士貴智志氏

士貴:そうですね。『どろろ』はどのエピソードにおいても、行き先を決めるのはどろろなんです。

カサハラ:そうですね、はい。

士貴:『どろろ』の最初のアニメ(1969年4月放送)のオープニング映像は、百姓一揆の絵があって。農民の背中にどろろが乗っているんです。戦の中に生きる農民たちを描いていて、その庶民の代表こそが、どろろだと見せているように思います。「子どもたちの代表としてのどろろ」という描き方は、『どろろと百鬼丸伝』でも力を入れているところです。

カサハラ:百鬼丸という魅力あるキャラクターを、あえて語り部にするという無茶(笑)。その無茶を手塚先生はなんとかやり抜けようとしているんです。そこがすごいですよね。

士貴:手塚先生のインタビューでは、最後までどろろを主人公として描きたいとおっしゃっていましたけど、なかなか葛藤があったんでしょうね。

――士貴先生は、百鬼丸のどんなところを描きたいと思ったのですか。

士貴:百鬼丸はカラクリの身体を持っているので最初は強いんですが、48の死霊をひとつずつ倒して、ひとつずつ自分の本当の肉体を取り戻すたびに、弱くなっていくのだと思うんですね。たとえば暑さ寒さも感じていなかったのに、その苦しみがわかっていく。もっともっと人間らしく描いてあげたいなと思っています。

カサハラ:百鬼丸が人間性を取り戻していくというテーマは、手塚先生の『ピノキオ』の原体験がモチーフになっているんですよね。「作りものの人形が人間性を帯びて、最終的に人間になる物語」ですよね。これは手塚先生が『ブラック・ジャック』(間黒男、ピノコ)でも描いているモチーフで、『鉄腕アトム』でもそこが描かれている。『どろろ』でも百鬼丸を通じて、そのモチーフを使っているんだと思います。

手塚治虫先生がご存命だったら……「会いたくない」!?

――手塚先生がご存命だったら、士貴先生やカサハラ先生はどんなことをお話ししてみたいですか。

士貴:自分がマンガを描いているときに、要素をカットするのは勇気がいるなと思っているんです。手塚先生は物語や登場人物のためにばっさりとカットされている印象がある。手塚先生は、どのキャラクターが気に入っていたのか。キャラクターの展開の構想はどれくらいあって、それはカットしたのか、描こうとしていたのか。手塚先生がご存命だったら、聞いてみたかったですね。

カサハラ:私は手塚先生がご存命でなくて助かったなと思っています(笑)。手塚先生には何も聞きたくないですね。怖くって。絶対に怒られる(笑)。先生に「褒めてもらおう」と思って描いていないので、ご感想を伺いたいとも思わなくて、怖くて。お墓参りに何度も行こうと思うんですけどまだ行けていない。ビビッてます。

カサハラテツロー氏

――ゴールは『鉄腕アトム』につながるように描いていらっしゃると思うのですが、そこにたどり着く道筋はカサハラ先生が選んでいる道筋ということなんですね。

カサハラ:そうですね。もちろん『アトム ザ・ビギニング』は『鉄腕アトム』につながる物語にしようと考えていますし、『鉄腕アトム』で手塚先生が何を考えて、何を描こうとしていたのかを解析して継承していきますけど、漫画としては自分が面白いと思うものを描きたいし、テーマは自分で決めるべきだと思っているので。

――士貴先生は、手塚先生が『どろろと百鬼丸伝』をお読みになったら……と考えることはありませんか?

士貴:僕は『どろろと百鬼丸伝』を手塚先生に読んでほしかったなと思います。読んだうえで、僕はこうなんだよぐらいのことを言ってほしかった。僕が手塚先生のマンガを興味を持って読み始めたころには、すでに先生はお亡くなりになっていたので。そういう意味で「最初から会えない人」というイメージがすごく強かったんです。だからカサハラさんほど怖いという印象がないので、「本当は『どろろ』はこんな考えがあったんだよ」というヒントをいただきたかったです。

士貴智志氏

手塚治虫作品に関わることのプレッシャー

――お互いの作品をご覧になって、どんな感想をお持ちでしたか。

士貴:僕は『アトム ザ・ビギニング』を読んだときに、イチから描かれていることに驚いたんです。アトムの歴史を踏まえながら、イチから描いていくのは苦労されているんだろうなと。

カサハラ:そこは苦労もしていますけど、考えれば考えるほど面白くなるところでもあるんです。

カサハラ:(手塚)眞さん(手塚治虫氏の息子、ヴィジュアリスト、株式会社手塚プロダクション取締役)は原作に囚われず書いてほしいとおっしゃっていたんです。お茶の水博士の若かりしころは『アトム今昔物語』で手塚先生自らの筆ですでに描かれているので、お茶の水博士の若い時代を近未来を舞台に描くという時点で、手塚先生のオリジナルとは違うわけです。自分としては「困ったぞ」と思っていて……。まわりから自由にしてもいいと言われれば言われるほど、逆に自分としては原作にどうにかつなげたいと思ってしまう。難しい問題があって、それをなんとか解いてやろうと試行錯誤するような感じですよね(笑)。ムチャクチャな課題に延々と取り組んでいる感じがあります。この『アトム ザ・ビギニング』は文字通り「エピソード・ゼロ」のため、アトムの歴史に関わる状態になるので、あまり間違ったことはしたくないんです。

――カサハラ先生は、『どろろと百鬼丸伝』をお読みになっていかがでしたか。

カサハラ:すごく繊細で綺麗な絵だなと思って、女性の方が描いていらっしゃるのかな? と思っていたんです。過激なスプラッター描写も比較的抑えていらっしゃいますよね。

士貴:そういう表現をした作品も描いているんですが、今回は題材が『どろろ』なので、キャラクターを見せる方向性に寄せています。ただし、アクションは見せ場のひとつでもあると思いますし、僕の作家としての武器のひとつでもあるので、百鬼丸のアクションは積極的に描こうと思っています。カサハラ先生もアクション大好きですよね?

カサハラテツロー氏、士貴智志氏

カサハラ:僕が描いているのはロボットなので、派手なアクションをして、メカが破壊するところをたっぷりと描いています(笑)。執筆前はアトムのような小さいマスコット的なロボットを考えていたんです。でも、ガンガン戦って、ボディを欠損していく前提で描こうとすると、子どものようなマスコットロボットはかわいそうかなと。そうやって表現を抑えようと考えた時期もありましたが、実際に執筆をしてみると、ユウラン(A107)という可愛らしいロボットもガンガンにアクションしている状態で、今ではあまり抑える必要はなかったなと思っています。

士貴:最初に『どろろ』をリメイクできることになったときに、どういうかたちにすればいいのかと悩んでいたんです。そのままなぞるほうがいいのか、自分なりの肉付けしたほうがいいのか。秋田書店の編集さんと話し合ったのですが、手塚作品にどこまで干渉していいのかと。手塚プロダクションさんに挨拶に伺ったときに「『どろろと百鬼丸伝』が続いたときに、ぜひ士貴さんのオリジナルの妖怪を出してくださいよ」と言われたんですね。その一言ですごく肩の荷が下りたんです。オリジナルを出してもいいんですか? とすごく楽になりましたね。心の底にあった葛藤やプレッシャーがとても取り除かれた感じがあって、それはこの作品にとって大きかったです。

――おふたりが執筆していて筆が乗るところはどんなところでしょうか。

カサハラ:『アトム ザ・ビギニング』のA106には宿敵的なロボットがいて、それがマルスというんです。マルスが出てくると、僕の心の中の盛り上がりが大きいんですよ(笑)。マルスをカッコよく描きたくなっちゃいます。ただ、マルスの登場シーンはそれほど多くないんですよね。サイン会を行ったときに「マルスを描いてください」という人がいると、心の中で「やった!」という気持ちになります。ライバルキャラをちゃんと魅力的に描けるかどうかが、作品のポイントかなと思いますね。

――ライバルキャラの魅力は大事ということですね。『どろろと百鬼丸伝』にも多宝丸というライバルキャラが出てきますが、どんな印象がありますか。

士貴:多宝丸は造形が難しいので、描くのは大変だなって思ってます。ただ、女性アシスタントはトーンを貼っているときにテンションがあがっているみたいです(笑)。

――士貴先生が『どろろと百鬼丸』を描いていて、筆の乗るシーンは?

士貴:実をいうと、連載を始める前は、百鬼丸のカッコよさや、どろろのしたたかさの中にある可憐さがポイントだろうなと思っていたんです。でも、実際に描いてみると、ふたりの日常会話のやり取りを描くのが楽しいんですよね。ふたりが話をするときの何気ないセリフや表情、ふたりのシーンは描いていてテンションがあがります。

カサハラ:(お茶の水)博志と(天馬)午太郎の会話はもっと描きたいなって思いますね。ひとつの大きなエピソードが終わるごとに、楽しいエピソードを描きたいと思っていたんですが、だんだんひとつひとつの事件が長いものになってしまって、なかなか博志と午太郎のエピソードにたどり着かないんですよね。読者の方々には、妄想で楽しんでくださいとお願いするしかないんです。

――『アトム ザ・ビギニング』も『どろろと百鬼丸伝』も現在、連載中です。まだまだ物語は続きそうですが、最後に作品の展望や今後についてお聞かせいただけますか?

カサハラ:『鉄腕アトム』のアトムが誕生するまでを描かなきゃいけないと思っていて、実はだいたいの流れはいちおう考えてある。担当編集さんにも話をしているんですが、まだ怖くて眞さんにちゃんとお話しできていないという状況。もうちょっと自分の中で整理してお話ししていかないといけないなと思っています。

士貴:原作の『どろろ』の結末が決まっているのですが、その結末に至るまでどろろと百鬼丸がいっしょにいる時間をもっと描きたいと思っているんです。ふたりを描きたくて、この作品を描いているので。最後までふたりを描いてあげたいと思っています。いつまで描けるかは、体力的なことや年齢的なものもあるとは思うんですけど、できるかぎり描き続けたいなと思っています。

カサハラテツロー氏、士貴智志氏

カサハラテツロー
1967年生まれ。1993年、3年の科学(学習研究社・当時)掲載の『メカキッド大作戦』でデビュー。メカニカルなロボットの描写に定評がある。著作に『RIDEBACK』『ザッドランナー』『フルメタル・パニック! 0』など。

士貴智志
愛知県出身。代表作に「神・風」「光と水のダフネ」「XBLADE」「進撃の巨人-Before the fall-」など。現在、チャンピオンRED(秋田書店)にて「どろろと百鬼丸伝」(原作・手塚治虫)を連載中。

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