詩人と編集者がバレンタインの夜に語り合う、絵本『ぼくトリ』から学ぶ「恋愛の奥義」

文芸・カルチャー

公開日:2022/3/18

アーサー・ビナード氏、千倉真理氏

イングリ・シャベールとグリディによるスペインの絵本を、詩人のアーサー・ビナード氏が翻訳した『ぼくトリ』。恋愛にまつわるひとつの真理を、温かくちょっとシュールなイラストとユーモラスな言葉で綴ったこの絵本は、子どもだけでなく大人の心も揺らす1冊だ。2月14日のバレンタイン・デーの夜、東京・下北沢の本屋B&Bで、この出版を記念したイベント「恋するあなた、トリになれますか?」が開催。訳者のアーサー・ビナード氏と、出版社・千倉書房で編集を担当した千倉真理氏による対談が行われ、オンラインで生配信された。

イベントでは、『ぼくトリ』を発掘して出版するまでの裏話や、本書のテーマである「恋愛」、そしてアーサー・ビナード氏の妻である、詩人・木坂涼氏とのなれそめにも話題が及んだ。ラジオ番組のパーソナリティーも務めるふたりの、軽妙で、本づくりの神髄にも迫る対談をお届けする。

取材・文=川辺美希


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男女間の友情は成立する。でも相当、理性を働かせないといけない

アーサー・ビナード氏、千倉真理氏

千倉真理氏(以下、千倉):『ぼくトリ』は学校で主人公が女の子に一目惚れするところから始まりますけど、アーサーさん、初恋のことは覚えてますか?

アーサー・ビナード(以下、アーサー):ぼくはアメリカのミシガン州に生まれ育ったんだけど、初恋は幼稚園ぐらいのときですね。すごく魅力的な子で、ただ一緒に遊んでいただけだったけど、一緒に写っている証拠写真もありますよ。絵本作家のエリック・カールさんの『いちばんのなかよしさん』っていう絵本を翻訳させてもらったんだけど、その本に、エリック・カールさんが3~4歳ぐらいのとき、好きだった女の子と一緒に写っている写真が載っていたんだよね。彼が80歳過ぎで作った絵本なんだけど、それがきっかけで、その女性と会うことができたんだって。

千倉:すごい! アーサーさんは、昔好きだった人と再会したいと思うことはないの?

アーサー:ぼくは、携帯電話も持っていないしSNSもやっていないけど、同年代の友人たちの話を聞いていると、高校時代の彼女とつながったりすることもあって、また燃えるんだって(笑)。面白いよね。ぼくは昔の彼女とつながろうという努力は、してない。そんなことをしたら大変だ、収拾がつかなくなるから(笑)。でも、よくラジオでも聞かれない? 男と女の友情は成り立つのかって。

千倉:うん。きっとみんなそれは知りたいと思います。

アーサー:男女間で親友になれるかというと、ぼくは、できるんですよ。だけど相当、意志の力でコントロールしないといけない。

千倉:(笑)そうするぐらいなら、男女間の友情を育もうとしないほうがいいっていう感じ?

アーサー:いや、一線をこえずに「友情」と「信頼」を育むことが大切なら、ちゃんと理性がどこかで決定権を握ってないとダメ。自分の価値観と、最優先の大事なものがあれば成立するんですよ。ぼくの場合は、千倉真理さんをはじめとするすぐれた編集者の方や、一緒に番組を作る構成作家とか、理性が働いていなければどうなるかわからないような素敵な女性に囲まれて仕事をしているわけ。でも、ぼくは仕事がしたいんです。今回は心から惚れ込んだ『ぼくトリ』という本に関わることができたけど、素敵な本を作る経験って人生で何回もないと思うんですよ。だからぼくは、自分のエネルギーをいい本づくりに注ぎたいんです。日本語で「昇華」という言葉がありますけど、欲求とかエネルギーを次元の高いものに昇華させる。本づくりはそういうことです。言葉を掘り下げて素晴らしい作品を作るのも、相手の心を掘り下げて体も共有する恋も、もとのエネルギーは同じ。それを、どういうふうに何に活かすかっていうことなんだよね。

千倉:そのエネルギーが今回、全部この『ぼくトリ』に注がれたわけですよね。

アーサー:そう。だから真理さんとぼくの間には、愛があふれていっても、社会的にとがめられるようなことは何もありません(笑)。

千倉:(笑)。アーサーさんや関わったみんなの力をぐーっと昇華させてできたのが、この1冊なんです。私は15年ぐらい前から千倉書房で絵本を作らせてもらっているけど、自分が好きでやりたいものを形にできることってそうそうなくて。そのエネルギーといったら、どんなに強いか。『ぼくトリ』を作り上げたこと、そして今日のようなイベントを開催できたことだけで100%幸せなんですけど、そこに満足しないで、たくさんの人に読んでいただけるように、今日はたっぷり魅力を伝えたいと思ってます。

翻訳は、ただ日本語に置き換えるだけなら必ず劣化する

アーサー:この本は最初、僕ではなくて真理さんが見つけてくれたんだけど、どうやって見つけたの?

千倉:私がどういう本を作っているか知っている人が教えてくれたの。これはスペインの絵本なんです。原著のサイズはもっと大きいんだけど、日本版では大人も想定して、小さめにしました。
千倉書房の絵本は全部私が作っているんですけど、一番最初に私がパリの本屋さんで見つけて刊行した『まってる。』っていう本も、児童書というより大人が大人にプレゼントする本だったので、それ以来、誰かにプレゼントしたくなる本ということで「千倉書房のプレゼントブック」として絵本を出してます。この「ぼくトリ」は、世界14か国で出版されているんですけど、日本版が一番小さいと思います。アーサーさんにも一緒に考えてもらって、OKしてくださって。タイトルも、原題の直訳ではないんですよね。

アーサー:原題はスペイン語で、“EL DÍA EN QUE ME CONVERTÍ EN PÁJARO”。つまり、自分自身を鳥に変えた日。でも読んでみるとこれは1日に起きた話じゃないし、流れがあるんですよ。本人が鳥になるんだって決めて、そこから長いこと鳥として存在することを究めるわけです。だから直訳だと日本語と内容がかみ合わなくて。『ぼくというトリ』とか『トリにになったぼく』とか50種類ぐらい案を作ったのかな。でもね、この主人公は鳥であることを徹底してるんですよ。

「学校では、みんなじろじろぼくみる。
くすくすわらうクラスメートもいる。
まるで気にしない。
ぼくはトリなんだから。」

って、ずっと通してる。サッカーをするときもトイレに行くときもずっとこの姿。もう、ぼくは鳥になったとかっていうレベルじゃない。だって、ニワトリが「ぼくはトリになった」とは言わないでしょ? だから、ぼくというトリということで、『ぼくトリ』にしたんです。

千倉:アーサーさんから『ぼくトリ』って言われたとき、天才!思って(笑)。イントネーションも『ぼく、トリ』じゃなくて、ニワトリみたいに『ぼくトリ』なんですよね。絵と文章の組み立てからしても、アーサーさんは、この絵本はただものじゃないって思ったんでしょ?

アーサー:この絵本は、言葉で言ってることと絵で伝えてることが違うんですよ。多くの絵本は絵と言葉が同じことを伝えていて、そういう本は、かなりの確率でつまらない。絵と文章が重ならないけど、響き合っていると面白いんです。『ぼくトリ』は、学校が始まった日からストーリーが始まるんだけど、絵は学校が始まった日じゃなくて、主人公が鳥になると決めて着ぐるみを作り始めたところから始まって、しばらく、それを作る過程が続くんですよ。普通、こんなことはやらないけど、見事に成功してる。読者は最初、何が起きているのかわからないけど、物語が進むにつれて、ああ、そういうことだったんだって、ガツンとくるわけ。ジョージアやソ連の昔の映画でこういう手法はあったけど、それを絵本で、しかもこんなにさわやかに心に沁みる形で描いていた本を、僕は初めて読みましたよ。

千倉:でもね、やっぱりアーサーさんの訳がすごくいいんですよ。アーサーさんも作っている中で言っていたけど、原作をただ訳すだけだったら、それは絶対に原作より弱くなってしまうって。

アーサー:誰かが作ったものをただ受けただけだと、二番煎じの域を出ないんですよね。翻訳はただ日本語に置き換えるという姿勢でやったら、必ず劣化したものになります。原作はゼロから作り出されたもので、すごい力がある。それを別言語に置き換えるのは、楠の大木を掘り起こして違うところに植え替えるような作業で、そうしたら必ず弱っちゃうでしょ? 金閣寺を解体してデトロイトに移したら絶対にガタガタになる。根付いているものは、そこに根付いているすごさがあるから。ただ単に翻訳したら、翻訳本を読む人は、原作のすごさに出会えないんです。でも、原作者と同じ覚悟で、この絵本を日本語の本としてゼロから生み出すつもりで作って、原作と同じぐらい根っこが広がるように、日本語として一番良い表現を掘り下げていくと、うまくいけば原作に近いものになる。原作を超えることはできないですよ。でも、超えるつもりで作れば、原作と並ぶくらいの力を持てて、日本語の読者に原作のすごさが伝わるんです。その奇跡が起きたら、日本語で読む人も、ああ、こういう素晴らしい物語なんだってわかるんです。

アーサー・ビナード氏

千倉:アーサーさんは書きたくないって言ってたけど、私が、あとがきを絶対にお願いしますって頼んだんですよね。

アーサー:すばらしいお話だから、あとがきなんて野暮なものは付けずに、余韻に浸ってもらいたいと思ったんですよ。それでもなぜ書いたかというと、この本では、相手とつながるための奥義が描かれていると伝えたかったんです。ハウツー本じゃなく、ストーリーで本質を立ち上がらせることに成功していて。原作を読んだときにそれに面食らったんですよね。この主人公は、ナタリーに一目惚れするわけです。一目惚れってお互いにビビッと来ることもあるかもしれないけど、ほとんどの場合は片思いなんだよね。するとただ夢中になっているだけじゃ成就しないし、自分にまったく興味がない相手に寄って行ったら、余計興味がなくなるどころか、嫌がられる可能性もある。じゃあどうすればいいかというと、彼女が夢中になってるものに、彼女以上に夢中になればいい。彼女は鳥が好きだけど、人間のまま鳥と向き合っている。だったら僕は、鳥になってしまえばいいと。そこまでいけば……っていうことなんですよ。

千倉:それが奥義なんですよね。大変すぎるんだけど(笑)。

アーサー:そこまでやんなきゃ恋は成就しないの?って言われそうだけど、そこまでできないなら恋愛なんてやめろっていうことです(笑)。口説いてから継続させるほうがもっと大変なんだから(笑)。成就するまでなんて、かわいいもんです。恋愛は、楽なものじゃないんですよ。でも、こんなに面白いことはない。世界でもっとも面白い営みだし、快楽も含めて最高だから。いろんな苦しみがあるけど、その大変さは人生の妙味ですよ。それを楽しまずに、恋愛は苦しいとか、めんどくさいとかって言ってたら、恋愛の手前のエセ恋愛までしか行けないですよ。

千倉:ピンク色のお花畑というよりは、のたうちまわるのが恋愛かもしれないですね。

アーサー:のたうちまわる自分を楽しむことですね。『ぼくトリ』には、言葉がない絵だけのページもあります。絵本というメディアでは、読者が絵と言葉の間を行ったり来たりしながら楽しんで、言葉が終わると、砂時計の最後の一粒が落ちてページをめくる、そして物語が終わる。言葉が時計になってるんだよね。だから、言葉がない場面は読者はどうしたらいいかわからない。でもそこでは、一番強烈なものを共有できるんです。この本はそれを見事に実現していて。日本語で、目は口ほどにものを言うっていうでしょ。あれは、すごい見積もりを間違えた言葉(笑)。目は口の100倍も1000倍もものを言うんです。しかも目は、証拠が残らないんですよ。言語は表現が限定されるし誤解を生じさせることもあるけど、目は、具体的な言葉よりもっと大きな強烈な思いが伝えられる。目の表現が恋を成就させるために必要だということも、『ぼくトリ』は伝えています。

溢れる情報から何を選び取って形にするかが今、問われている

千倉真理氏

千倉:アーサーさんが日本に来て、日本語を勉強し始めたときに好きになったのが、詩人の女性の方だったんですよね。

アーサー:ニューヨークの大学を卒業したのと同時に日本に来て、最初は日本語学校の初級クラスで勉強をしていました。教科書じゃない教材としてクラスみんなで読んだ小熊秀雄さんの『焼かれた魚』という童話に強烈に引き込まれて、英語に翻訳しようと思ったんです。英語だけでなく、たどたどしい日本語でも、そのころから詩も書き始めました。小熊秀雄研究をしている人たちの集まりで、木島始さんっていう素敵な詩人にお会いして。木島さんに君の書く詩は菅原克己の詩に似ていると言われたのをきっかけに、94年に初めて、菅原克己研究をしている人たちの会に参加したんです。谷中の全生庵の大広間に入ったら、すごく魅力的な女性がいて、しかもその隣の席があいてたんだよね。それですっと座ってね。そのとき司会だった小沢信男さんが僕に、英訳を持ってきたなら2部でその朗読をしてください。じゃあ隣の木坂くん、日本語の原文を読みなさいと。木坂涼と会って3分くらいで、その朗読が企画されたのね。だから小沢信男先生、ありがとうって(笑)。

千倉:奥様の木坂涼さんも、『ぼくトリ』を読んで、この原作はいいですねっておっしゃってくださったんでしょ?

アーサー:「久しぶりに傑作が来た」って言っていました。彼女は口では言わないけど、自分も翻訳したかったんじゃないかな? 僕はよく「詩人になるにはどうしたらいんですか?」と聞かれるんだけど、多くの現象と体験と情報から何かを選び取るセンスが重要だと思うんだよね。どの分野でも情報が無限にあって、僕たちはその渦の中で暮らしてるわけ。その中で自分が何を選びとれるかっていうことが今、一番問われていると思うんです。場合によってはすべてを拒否して、あえて「情報」を外すことも大事。そして渦の中で、もしも核心をつくものがうまく掴めたら、こういういい作品作りにつながっていく。真理さんにはその力があったんだよね。

千倉:ありがとうございます。でもね、本当にいい1冊を見つけて、しかもそれが正しい翻訳者のもとにつながるかどうかっていう糸は、1本だと思うんですよ。だからそのためにも日々の行いが大事だし、みんなに感謝していかないと、その糸がつながらないんじゃないかなと思っていて。だからこそ、つながったときの喜びも大きいし。この本は、やっぱりアーサーさんのところに行くべくして行った本だなって感じてます。今日はオンラインで皆さんにご参加いただきましたけど、私が一番、力をもらいました。

アーサー:楽しかったです。次は、千倉真理的恋愛観とその土台をなす恋愛歴をテーマに聞きたいと思います(笑)。

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