『BEASTARS』との共通点も? 注目の新鋭作家・大前粟生が初の児童文学を発表! 《インタビュー》

文芸・カルチャー

公開日:2022/3/30

 ある日突然、外に出ると体が変化してしまうようになった夕日町。元に戻る方法が見つからず、外出禁止になった町で、背中に翼のはえた小学4年生のまるみちゃんと、透明人間になった同い年のうさぎくんは、ビデオ電話で仲良くなるが……。『おもろい以外はいらんねん』は織田作之助賞の候補作にもなった大前粟生さんが、コロナ禍で執筆した初の児童文学『まるみちゃんとうさぎくん』(ポプラ社)がこのたび刊行。お話をうかがった。

(取材・文=立花もも 撮影=下林彩子)

――学校は休校、仕事はすべてリモートワークになった本作の世界観は、現実の私たちに重なりますね。

『まるみちゃんとうさぎくん』(大前粟生/ポプラ社)

大前粟生(以下、大前さん):この話を書き始めたのがまさに緊急事態宣言の発令された2020年の4月ごろだったんですよ。フィクションとはいえ、世の中が大変なことになっている現状をまったく無視するのも変ですし、かといって取り入れすぎるのもどうかなあ、と考えた末に生まれた設定です。あと、今回は児童書ということで、子どもに向けて書くわけですけど、僕自身の幼少期をふりかえったとき、どんなに世の中で大変なことが起きていても、自分にとっては身のまわりで起きていることのほうが大事だったなと。外出制限によって、学校に行かなくなりほっとしているまるみちゃんのような子もいるんじゃないかと思いました。

――確かに、子どもにとっては、世の中がどう変化しているかよりも、友達や家族との関係のほうが、重要な関心事ですよね。

大前さん:実際、コロナ禍の子どもたちも、大人が思うほどつらくてかわいそうなことばかりじゃないかもしれない。大変な状況に置かれたからといって、苦しむばかりじゃなく、楽しいと思えるような子どもたちを描けたらなと思いました。

――そんななか、背中に翼がはえたまるみちゃんのように、身体に変化が訪れた人たちは“スペシャル”と呼ばれるようになっていくわけですが……。

大前さん:“特別”ってなんだろう、“普通”ってなんだろう、という正解・不正解のない問いに揺れ動く子どもたちの姿も、描きたかったんです。人それぞれ定義が違うからこそ、悩みも感情も変わってくるのだということを表現するために、できるだけいろんなスペシャルをもった、あるいはもつことのない子どもたちを登場させることにしました。

――個人的にはまつげの上でドラゴンが踊り始めたみかちゃんが羨ましかったですが、汗がマシュマロに変わるポッちゃんと、吐く息が火に変わるしらべちゃんもいいですね。外出禁止が解かれたあと、しらべちゃんの隣の席に座るポッちゃんは、火が噴かれるたびに汗をかいて、マシュマロを出す。そのマシュマロをしらべちゃんの火で焼いて食べるから、いいにおいが教室にたちこめるという……。

大前さん:変化自体はなんでもかまわなかったので、思いつくままに書いたんですけど、ユーモラスにはしたかったんですよね。だけど本人にとっては大切だったり切実だったりするものがいいな、と。「しらべちゃん」は、自分の中のイライラを発散させたい気持ちとスペシャルがリンクしている子。個人的には、子どもはわがままであればあるほど、好きなんですよ。どうしても周囲に気を遣ったり、我慢したりしてしまうけれど、わがままな気持ちを正直に叫んでほしいと、自分で書いていても、誰かの作品を読んでいても、思います。

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――まるみちゃんに翼がはえたのは?

大前さん:子どもの頃、漠然とした“消えたさ”みたいなものを僕は抱えていて……。そのときはその気持ちに添って行動することはできないし、大人になった今は、その感情を言葉にすればするほどズレていってしまうような気がするんですけれど。まるみちゃんの場合は、どちらかといえばポジティブな気持ちで「ここではないどこかへ行きたい」という願いから翼を手に入れたけれど、ネガティブな気持ちで同じことを思っている子もけっこういるんじゃないかなあ、という気がしたので、その対比として透明人間になってしまううさぎくんを出しました。

――転入直前に休校になってしまったため、友達のいないうさぎくんと、まるみちゃんは、ビデオ電話を通じて仲良くなりますが、一人でいられるようになってほっとしているまるみちゃんと、一人でいるのがさみしいうさぎくんは、当初、ぶつかることも多いですね。

大前さん:でもだからといって、仲良くなれないわけじゃないというか、考え方が違うからといってイコール敵にはならないよ、ということも、2人を通じて表現できたらなと思いました。似ているところを見つけたから、あるいは同化していくから仲良くなれるわけではなくて、価値観はバラバラで噛みあわないことが多いままでも仲良くなれることは、現実にたくさんあると思いますし、その過程を描けたらいいな、と。

――一方で、運よく外に出ることがなかったために、体に変化が訪れなかったきぬたくんのような子も登場します。人気者になるために、地道な努力を重ねてきたきぬたくんは、スペシャルになったというだけで、自分の座を他人に奪われたことに苛立ち「ずるい」という感情をこじらせる……。個人的には、彼に一番、感情移入してしまいました。

大前さん:まるみちゃんとうさぎくんは、正反対であるがゆえにカチッとハマりすぎというか、うまいこと互いを補い合えてしまうから、2人でいると逆に世界が閉じてしまう気がしたんですよね。スペシャルであるという点では、共有できるものもありますし。だから、彼らを外の世界から眺め、素朴な気持ちを抱く子どもも登場させたいなあと思いました。子どもの頃って、誰かに対して「ずるい」と思うことが多かったような気がするんですよ。大人になるにつれて、そういうことは思っちゃいけないみたいになっていくけど、憎しみほど強い感情じゃなくても、簡単に誰かを羨んで妬む人は、普通にそこらじゅうにいるよなあ、という想いで書いたのが、きぬたくんですね。

――ご自身で書いていて、一番感情移入したのは?

大前さん:わりと全員にちょっとずつ感情移入していましたけど、うさぎくんのお兄ちゃんは「わかるなあ」という気持ちが一番強かったかもしれません。世の中にも、うさぎくんにも、元に戻ってほしいと必死で事態の解明につとめる彼は、うさぎくんを心配しすぎるあまり暴走してしまう。大切な人のためを想ってしていたはずの行動が、かえって相手を傷つけてしまう感じは、わかるからこそ、何より繊細に気を配らなきゃいけないことだなとも感じているので。

――『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』もそうですが、大前さんは、純粋に好意を向けること自体が、相手を傷つけてしまうかもしれない可能性について、ジェンダーの問題に絡めて、作品で重ねて描いていますよね。ですが今作では、相手を傷つけないように配慮すると同時に、どうすれば自分のことも守れるか、一歩踏み込んで描かれていたような気がします。

大前さん:コロナ禍で、さらにロシアとウクライナの戦争が起きて、世の中が大変になればなるほど、みんな疲れやすくなっていくと思うんですよ。そんなとき、自己犠牲的な優しさが過ぎるものを読むと、もっとしんどくなってしまうかもしれないなあ、と思ったんですよね。

 あと、まるみちゃんの「一人になりたい」も、きぬたくんの「人気者でいたい」もそれぞれ、突き詰めると「さびしい」ってことだと思うんですよ。会社や学校といった社会と個人が繋がったときに起きる齟齬を、おそらくさびしさと呼ぶのでしょうが、それが暴走すると他人への攻撃に繋がってしまう。なぜ攻撃するかというと自分を守るためなのだから、他者を守るためにもまずは自分を守らなきゃいけないのではないか、ということもこの作品を書きながら感じていました。

 同時に、自分の感情をうまくとらえられなければ、わけもわからず他人に攻撃性を向けてしまいかねないから、自分のさびしさについてちゃんと考えることも、自分を大事にする、ひいては他者を大事にすることに繋がるのではないか、とも。

――そうしたテーマを、子ども向けに描くのは、難しい部分もあったのでは。

大前さん:そうですね。書きすぎると逆にわかりにくくなるし、地の文も長すぎるとつまらなくなってしまうかもしれないし、できるだけ会話文のなかに感情を詰め込むことで、伝わりやすくなるよう意識しました。他の作品に比べると、登場人物同士がちゃんと話し合っているのはそのせいですが、人はさまざまなすれ違いを抱えているからこそ、ともに生きるためには話し合いを重ねるしかないよね、みたいな実感も込められていると思います。

――確かにこれまでの作品は、自己との対話のほうが多かった気がしますね。文体もかなりこれまでと違いますが、影響を受けた児童文学はありますか?

大前さん:好きだったのはトーベ・ヤンソンの「ムーミン」シリーズですね。哲学的なテーマが盛り込まれているんだけれど、語り口は奔放で開かれているあの感じを、取り入れられたらいいなとは思いました。特に好きなのが『ムーミン谷の仲間たち』に収録されている「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」という短編。フィリフヨンカというのは種族の名前なんですが、そのうちの一人……でいいのかな、いつか嵐が来るんじゃないかと怯えながら暮らしているフィリフヨンカがいるんです。でもいざ嵐がやってきて過ぎ去っていくと、妙にすっきりと晴れ晴れとした気分になっているという……。「ムーミン」シリーズは、さまざまな架空の種族を通じて、普遍的な人間心理を浮かび上がらせていくのが、おもしろいんですよ。わかりやすい結論を出さないのも、いいですね。

――「ムーミン」シリーズは、実は明確な主人公がいないところもおもしろさだと思うのですが、大前さんの小説も、今作に限らず、特定の主人公がいないことが多いですよね。登場人物の視点が、グラデーションのように移り変わっていくというか。

大前さん:一人の人物に焦点を当てたいというより、ある環境の中に置かれたさまざまな人たちを描きたい、という気持ちが強いからだと思います。それぞれの心情変化を通じて、共通しているところと差異の両方を浮かび上がらせたい。なかなか現実では、自分が本当に思っていることを他人に伝えるなんてできないでしょう。

 だけど小説は、長い文章を重ねていくからこそ、全員が思う存分思い悩み、時に喧嘩したりしながら、交流することができる。そのうえで、正解も不正解もないところに落ち着くこともできるのがいいところだな、と。だからこれからも、小説を書くときは、できるだけ曖昧な気持ちを残しておきたいなと思っています。

――現実にも、曖昧な気持ちを残したまま、人と人とが手をとりあえるようになるためには、どうしたらいいんでしょうね。

大前さん:やっぱり話し合っていくしかないだろうなと思うんですけれど、自分の抱えている問題をアイデンティティとして背負いすぎると、逆に他者との対立を招いてしまうような気がするんです。相手もまたアイデンティティを背負っている場合、話し合えば話し合うほどこじれていってしまう……。

 だから、Twitterのいいねやリツイート、YouTubeの再生回数といった“どれだけの人間に注目/支持されたか”みたいな指標の重要度を、もう少し下げることはできないかなとは思っています。そこに重きを置きすぎると、けっきょく、強い言葉を使えば使うほど人の目を惹いてしまい、さらにお金が付随して、当初の目的からそれていってしまうと思うので。

――ちなみに今作では『BEASTARS』の板垣巴留さんが挿画を担当されていますが、大前さんのリクエストだったんですよね。

大前さん:『BEASTARS』は、草食動物に恋をしてしまった肉食動物の話なんですけれど、社会的に肉食動物に対して求められる規範や肉食動物の本能の部分との葛藤の描かれ方が、読んでいてすごく好きだったんです。この作品とちょっと共通する部分があったらいいなあ、と思って依頼していただいたのですが、まさか本当に受けてもらえるとは思わなかったので、嬉しかったです。

――今後も、児童書を書いてみたいと思いますか?

大前さん:そうですね。ふだん僕の本を書店で買ってくださる方々とはまた違い、『まるみちゃんとうさぎくん』は学校の図書室や図書館でふと目にとめた子どもたちに読んでもらえるんじゃないかと思うんですよ。それはとても嬉しいことだし、子どもたちが何かを感じ取ってくれたら嬉しいな、とも思うので、これからも挑戦していきたいですね。