ヨシタケシンスケさん絵本作家10周年!「イヤなことを小まめに修正していく練習が、大きな壁をのぼるときの助けに」

文芸・カルチャー

公開日:2022/4/2

 世界的にも注目されている絵本作家・ヨシタケシンスケさん。絵本作家生活10周年となる今年は、4月に世田谷文学館で開催される初の大展覧会「ヨシタケシンスケ展かもしれない」などファンには楽しみなニュースがいろいろありそうだ。このほど新刊『かみはこんなに くちゃくちゃだけど』(白泉社)も登場。ヨシタケさんに絵本のこと、10周年のこと、お話をいろいろうかがった。

(取材・文=荒井理恵 撮影=中 惠美子)

いろいろな「小さな幸せ」がダメを救ってくれる

――まずは今回の本の執筆理由から教えてください。

ヨシタケシンスケさん:僕はすぐ世の中のことが嫌になって「もうだめだ」って思ってしまう人なんですが、そんなときに「これを楽しみにしとけばいい」って小さなことを一生懸命見つけてなんとかやっていくようにしているんです。そういうのって多かれ少なかれ誰にでもあって、みんな小さい夢や希望、好奇心とかでちょっとずつ救われて日々をやりすごしているんじゃないかと思うんですよね。なので、そういうのがいろいろ出てくる本なら自分も読んで気が楽になるだろうと、この本を作りました。世の中にはいいことも悪いこともあるのに、つい悪いことに飲み込まれがち。でも「小さな幸せ」みたいなものを普段から見つけておけば、いざというときに自分を助けてくれるし、そういうのを細かく丁寧に拾い集めていけば「まあ、しょうがねえな」って感覚にもなれると思うんです。

『かみはこんなに くちゃくちゃだけど』(ヨシタケシンスケ/白泉社)

――一つ一つのエピソードはどうやって考えたのでしょう?

ヨシタケシンスケさん:「こんなことがあった。こんなだけどね」っていう展開のフォーマットができたとき、それぞれどういうシチュエーションがあるだろうというのをまずはばーっと出していきました。僕が絵本を作るときというのは、いつも新しいものを作るというよりは思い出す作業で、フォーマットにあわせて「そういえばこういうのあったな」と落とし込んでいくんです。本の中のみかんの話はまさに自分の経験なんですが、昔すごくつらいことがあって満員電車でげっそりしてたときに、たまたま隣にいたおばちゃんの買い物バッグの中に入っていたイチゴの赤が光り輝いて見えて「きれいだなー」ってすごく救われた気持ちになったことがあったんです。そしてそのこと自体にすごく自分でびっくりしたんです。ちなみにこの本は印刷上、赤が使えなかったのでみかんにしたんですけど(笑)。ほんと、自分が何に救われるかって自分でもわかってないし、想像もしないことで救われることもあるんですよね。

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――「言い方の順番」も鍵になってますね。

ヨシタケシンスケさん:たとえば「無事に仕事はできたけど、天気は悪かった」と「天気は悪かったけど、無事に仕事ができた」みたいに、「いいこと」と「悪いこと」のどっちを先に言うかでずいぶん自分の受け取り方も変わってきますよね。それに気がついてもらいたくて、実はこの本では最後のページだけ言い方の順番を入れ替えています。絵本なので逆さまからも読めるので、最後までいったらぜひ逆から読んでみてください。ずいぶん印象が変わると思いますよ。

世界は変わってしまっても「変わらないもの」はある

――『あつかったら ぬげばいい』(2020年)の続編とのことですね。

ヨシタケシンスケさん:判型とか見開き展開とか同じ形式で作っています。前作は「こういうときは、こうすればいい」と解決策の選択肢を増やすみたいな内容だったんですけど、今回は解決策の提示はないし、着地点もちょっと違います。こっちの方がより生活感があるというか、だからこそリアルな「ままならなさ」みたいなものが表現できたんじゃないかと。僕は「あきらめないで。夢は叶うよ」みたいに言われるより「うまくいかねーんだよなー」って言われた方が「だよねー」って勇気が出るタイプだし、より現実に近い形のことをそのまま言ってもらった方が安心するんですよね。

――赤ちゃんから高齢者まで登場人物も幅広いですね。

ヨシタケシンスケさん:意識的に年齢の幅を広く設定しました。いくつになっても楽観はできないし、どんなに小さくても無邪気ではいられないし、思い通りにいかないのはみんな一緒だよねっていう。いろんな世代の人がそれぞれ持って帰れるものがあるといいし、その方がお得ですしね(笑)。僕は子どもの頃、絵が好きで意味がわからなくても、あとで読んですごく大人っぽいとわかるような絵本が好きでした。なので、そういう「子どもにはわからないけれど」みたいな部分を自分の絵本にも入れたいという思いはずっとあります。自分も大人になって意味をわかりたいという、成長することの希望みたいな謎があってほしいんですよね。

――ここ数年の世の中の変化は執筆に影響しましたか?

ヨシタケシンスケさん:ほんとにいろいろ変わってしまったことだらけでストレスは感じますよね。その中で試行錯誤しているわけですけど、でも逆の言い方をすると「全部が変わってはいない」わけで、「じゃあ何が変わってないんだろう。どこから今まで通りなんだろう」って探していくという考え方もあると思っています。この本の中に「つづきがよみたいマンガがあるの まちはこわれてしまったけれど」ってシーンがありますが、街が壊れてしまうくらいの災害の中でも個人が何を頼りにするかというのは別の話で、その人の楽しみや希望は変わらないと思います。同じようにできているから気がついてないだけで、そういうのを丁寧に見つけていこうとすると「変わってしまったこと」をどう受け止めるかにもつながるんじゃないかと。人間関係がうまくいかないなんてこと、ずっと変わらないですしね。

 とはいえ、単純に読んでいて辛いので、あんまり具体的なしんどいことはこの本では描いていません。人によっては「もっと悲惨なこといっぱいあるだろう」って思うかもしれないけれど、ここに全部の深さの辛いことを入れることにはあんまり意味がないとも思っています。たぶんもっと辛いことの手前で人は躓くだろうし、そのときに「自分を持ち直すもの」を見つけられるようにしておくことが必要なんですよね。その意味ではこの本は初級編で、細かいイヤなことを小まめに修正していく練習が、より大きな壁をのぼるときの自分の助けになるんだと思っています。

「自分を納得させたい」気持ちがずっとある

――ヨシタケさんの豊かな発想はどこからくるのでしょう?

ヨシタケシンスケさん:よく「どうすれば発想力、想像力は育ちますか?」って聞かれますが、どうもみなさんには想像力や発想力というのがすばらしいものだという前提があるみたいですけど、僕はそうは思いません。実は想像力が豊かすぎると、情緒不安定になったり、人の気持ちがわかりすぎてつらくなったり、しんどいことも多い。むしろ大事なのは「想像力をプラスのことに使う」ことだと思います。「想像力」でこんな楽しいことができるというのを提案していくのが大事だし、大人として言わなきゃいけないことだと思っています。だって人の気持ちがわからないから社長が重大な決断ができるとか、空気が読めないからこそできる仕事だってあるし、要するに適材適所ですよね。

 僕は小さい頃から想像力が豊かというより、すごく常識を気にする子だったんですね。怒られるのが嫌で怒られたくない一心で物事を考えて、人一倍人を気にする子どもらしくない考えをする子だったんです。だから「みんなこうする」という常識も、何が常識じゃないのかもわかっていて、それがどのくらい離れると「面白い」になるかもわかったんです。その普通じゃないところを拾い集めて本にしているので、すごく僕は保守的な人間なんです(笑)。基本的には世の中をネガティブに捉えていて辛いこともけっこう多いですよ。すぐ「何もよくならないじゃないか」となってしまうので、「考えようによってはいいことあるじゃないか」というのを一生懸命に探して世界から滑り落ちないようにしているわけです。それが今、人を楽しませるためのネタになって、仕事としてたまたま役に立ってるのでよかったんですけど。

――そういう考え方は現在も変わらないんですか?

ヨシタケシンスケさん:ずっと思ってきたし、今でもやっぱり毎日思います。「自分はまちがってるんじゃないか」っていう思い込みからいまだに自由になれないですね。「この時間に昼寝しちゃだめなんじゃないか」「こんなことぐじぐじ2時間も3時間も考えてちゃだめなんじゃないか」とか、そういうのでほぼ時間を使っちゃうんですよ。ときどきそれがいい方向に向かっているときがあって、それを仕事にしてるという感じです。考えていることは一緒でも、それを絵本という形でやったら面白いと思ってもらえたわけです。

――絵本作家10年目で初の展覧会もありますが、節目に思うことは?

ヨシタケシンスケさん:毎年「これで終わりだな」と思うんですけど、まさかの10年目で。実は最初の作品が出たときは「絵本は最初で最後」だと思っていたので、自分の好きなことは全部入れて嫌いなことは入れないで、「小さい頃の自分が好きになってくれるであろう本」を作ろうとしたんです。僕は疑り深い子どもだったので、そういう子にはどうすれば最後のページまでめくってもらえるか、信用できると思ってもらえるのか一生懸命考えて作ったんですが、それが思いの外たくさんの方に喜んでいただけたんですね。

 子どもの僕が好きだったのは親とか大人が言いそうなことをなるべく言わない人の話で、理想としてはそんな大人を演じたいし、一般的な美談みたいなものはケッと思ってしまうので、だけどそういう心の狭い人間にはどう言ったら「ああ、わかるわかる」になるのかとか、とにかく「自分自身を納得させたい」という気持ちがずっとあります。そうしたら世の中には僕が考えている以上に同じような人がたくさんいたようで、喜んでいただけるのは本当にうれしい誤算です。これからもいい意味でほかの人のことに気を使いすぎず、「自分だったらこう思う」という作品を作り続けていけたらと思っています。

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