「元アイドルの私には立ち上がる女の子を書く責任がある」――小説『シナプス』大木亜希子インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2022/4/2

大木亜希子

 15歳で芸能界に入り、女優やSDN48のメンバーとして活躍した後、ライターに転身。会社員を経て、元アイドルのその後を取材したノンフィクション『アイドルやめました。 AKB48のセカンドキャリア』(宝島社)や、自身の経験を綴った私小説『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)を刊行してきた大木亜希子氏が、このたび、創作小説デビュー作『シナプス』を上梓した。表題作「シナプス」をはじめとした4つの短編で描かれる女性たちの戦いを通して大木氏は、芸能界で見てきた女性性の消費の構造や、「元アイドル」として経験したアイデンティティの問題を、渾身の筆致で伝えている。小説への思いや、『シナプス』で描きたかったことについて、彼女に話を聞いた。

(取材・文=川辺美希、写真=山口宏之)


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私はしゃべることより、書くことが第一言語の人間

――大木さんが小説を書こうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

大木:講談社の編集担当の菅さんが、TwitterのDM経由で直接「小説を書きませんか」と連絡をくださったのがきっかけです。ただ、当時私は、アイドル業界に遺恨のようなものがあって『アイドルやめました。』を1冊出して、『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』の出版も決まっていたものの、自分が小説家になるというビジョンは、畏れ多くて抱いていなかったんですね。でも菅さんは初めてお会いしたときから猪突猛進で、「大木さんは絶対に小説が書くべきだ」って、渋谷の啓文堂書店で、天井に届くくらいたくさんの小説を買って「大木さん、これとりあえず読んでください」って渡してくれて……そのまま導かれるようにここまで来た感じです(笑)。

――小説家になるというビジョンはなかったとのことですが、小説を書きたいという思いはあったんですか?

大木:子どもの頃から「婦人公論」を読んだり、母親の本棚から小池真理子先生や中島らもさんの本を出してきて読むような環境で、アイドル時代も私は売れているメンバーではなかったので暇で、移動中にロケバスでずっと哲学書を読んでいたし、本が近くにあったんです。誤解を恐れずに言うならば、自分はいつか書く人間なんだという予感はしていました。しゃべることよりも、書くことが第一言語の人間なんだろうなとは思っていたんです。

――物語を書くことは、大木さんにとってどんな意義のあることだったのでしょうか。

大木:今まで作家として取材していただくときは、私はトップアイドルにはなれなかったけど、第二の人生で天職を見つけて再起することができた、こういう人がいてもいいんじゃない?ということを代弁したくて書いているとお答えしてました。でも正直に言えば、SDN48に入る以前に女優として活動していた10代の頃、芸能界で、女の子たちが大変な思いをしている姿を間近に見てきて。権力をチラつかせてくる大人に搾取されて理不尽な仕打ちを受けている女優やグラビアアイドルの女性とか、才能があって、あともう少しで花開くのに、精神的に病んでしまい芸能界をやめちゃう女性とか……彼女たちを見てきた私には「どん底からでも這い上がれる」という物語を書く責任があるんじゃないか、それを伝えられる方法が、小説なんじゃないかなと思いました。

――『シナプス』で描くテーマや主人公たちの人物像は、どのように決めていったのでしょうか。

大木:主人公の人物像は、私の中にある女性です。女性って、20代半ばくらいで、信じていた相手やすごく好きと思える存在から目が覚める、そんな瞬間があると思うんです。自分自身もそういう経験があったんですね。アイドルをやめて初めて好きになれた人がいたけど、うまくいかなくて。そういう経験を物語に転写するような気持ちで書いたので、もちろん不倫を経験したことは一切ありませんが、主人公の要素は全部、私の中にあります。だから、表題作の「シナプス」の塔子は、ある意味私です。塔子が不倫をする宮原亮という小説家のように、社会的地位があっていい人に見えるけど、正義を振りかざして、悪気なく女の子の人生を地獄に落とすような危険な人が、世の中にはいる。そういう事実に対して、「ふざけんなよ」っていう気持ちで書きました。

社会的地位があっても実は苦しんでいる人も救わなければ

――塔子は大木さんそのものだということですが、主人公たちに対する距離感が絶妙ですよね。自分の中の女性を描いているのなら擁護したい気持ちも出てきてしまうと思うんですが、シビアな視点で描かれていて。リアルな痛みを感じますが、そういった人物との距離は意識されましたか?

大木:私、世の中って優しくないと思うんですよ。だから、厳しいというより、事実だと思っているんです。私自身、14、15歳から芸能界にいて、世の中が思い通りにならないことばかりだということは、強く実感してきて。『シナプス』は、厳しい現実に対して彼女たちがどういう選択をするのかを描いているので、末尾まで命をかけて書いてます。最後の最後、女の子たちの選択や立ち上がる姿を通して、その子の知性や、生きていく上での覚悟が伝えられたらいいなと思っているんです。私自身、芸能界だけじゃなくて、アイドルをやめて一般社会に出てからも、ジェンダーバイアスに苦しんだり、元アイドルである自分の本当の中身を周囲から見てもらえなかったり……それはただ相手が悪いのではなくて、私自身も、「本当の自分」がわからなかったんですよね。だから、いろんな誤解やバイアスの中で生きている人たちが、救われる作品にしたかったんです。

――女性だけではなく、苦悩を抱えつつも仕事や生活を生きる男性も描かれていますよね。

大木:「シナプス」に原田という男が出てくるんですけど、私が記者をやっている時代に出会った実在する週刊誌のベテランカメラマンがモデルです。仕事をがんばっていて家族もいて、それなりの生活を得ているように見えるけど、そうではなかった。完璧ではなくて、まだ伸びしろがある人だと気付いたときに、この人も救わねばならぬと思ったんですよね。社会的地位があるように見えて、実は苦しんでいる人への救済の気持ちも込めました。だから『シナプス』は総じて、私のこれまでの人生で重なった怨念と、執着そのものです。

――性について、精神的に依存してしまうものでもあり、自分を取り戻すものとしても描かれているのが印象的でした。大木さんが今作でセクシャルな描写に向き合った理由は何だったのでしょうか。

大木:私が、25歳でアイドルを卒業して会社員になるまで、誰かと本気で付き合うことがどんなことなのか知らなかったんです。その後アイドルという立場を盾にせず、ひとりの人間として男性と向き合っていかなきゃいけなくなったとき、自分の本質的な部分を見てくれたと感じる男性がいたんです。でも結局、その人から好かれたいと思うあまり偽りの自分を演じてしまい、疲弊してしまって。そのとき初めて、このままでは自己肯定感が薄れて幸せになれないとわかっていても、そこにすがりついてしまって、抜け出そうにも抜けられないというつらい経験をしたんですね。だから、これは書かねばならぬと思いました。セクシャルな描写を抜きにしたら、現代のおとぎ話で、絵空事になると思ったんです。

――「シナプス」や「MILK」で描かれる不倫は、依存して抜け出せないものの象徴ですよね。

大木:今は、不倫という言葉を書いただけで炎上してしまうような、取り扱い注意なテーマではありますが(笑)。私は不倫を肯定しているわけではないですし、むしろ否定的な立場ですが、塔子のように、自分のアイデンティティを形成した人や社会的地位のある人に身をゆだねてしまうって、よくあることだと思うんです。後になったらダメなことだとわかるけど、そのときはどうしても抜け出せない。それを非難するのは簡単ですが、「この女の子たちの孤独を誰が満たしてくれるの?」とも思うんです。人の幸せを壊してっていうカウンターも受けるけど、正義感や倫理観は、そんなに簡単に答えを出せるものではなくて。その子にとっては、相手との関係は、「生きること」そのものだったかもしれないから。でも塔子は、不倫から目が覚めたときに、社会から大きな罰を受けてでも立ち上がろうとするんです。難しいテーマだからこそ、不倫を含むそれまでの経験で、塔子の強さが耕されたというところまで描き切らないといけないと思いました。

書きたいのは心を許すに至るまでの情緒

――大木さんは、小説だからこそ伝えられるものは何だととらえていますか?

大木:みんな、地べたをはいつくばって生きているよねって、こっそり耳打ちして伝えられることかなと思います。皆さん、社会的にそれなりにちゃんとしているように見えるけど、心の中に抱えているものが絶対にあって。むしろそれが人生の99%を占めているのに、社会的アイデンティティを保って生きなければいけないんですよね。私は10代のときから芸能界に入り「見られるための偽りの自分」がいて、舞台やSNSでは自分ではない自分を演出しないといけなくて。人生の前半をそれに費やしてきたし、まだ悩んでいるけど、今は作家として、自分が信じた道を突き進むしかないと思ってます。批判をされようと、私はもう何を言われてもいいです。皆さんが抱えている葛藤はあまり人に言えないことだろうから、それは私が小説に書くねって決めたんです。小説には人を助ける力があるって思ってます。

――まさに自分の分身を通してそれを書いているわけですから、命を削っていると思うのですが、大木さんにとって「書く」とはどんなことなのでしょうか。

大木:私にとって「書く」ことは、祈りです。そして、20代の頃の自分のように辛い経験をしてきた女性達を救うための、最後の手段です。小説を書き始めるとき、編集の菅さんに、作家の先生方は同時に3作品くらい並行して書いていると教えられて、信じられない!と思って(笑)。これまでの2冊も命をかけて書いたし、この次は何を書くんですかってよく聞かれるんですけど、今回も命を込めすぎて、次が考えられないです(笑)。もちろんプロとして書き続けますけど、私にとって書くって、そういうことだと思っていて。一回一回、作品を生むごとに人生を賭けていますし、作品を読んでくれた人の人生が変わるつもりで、書いてます。

――大木さんが今、小説を書く上での最大の関心について、改めて教えてください。

大木:私はアイドル時代に、簡単に惹き付けられるようなチープな芸当は身に付いたんです。でも私が本当に見せたいのは、他人に対して壁を作らなければ生きていけなかった人がどういう心理状態で相手に体を許すようになったのかという情緒の部分。そこは本来、人に見せられないものだけど、そこを繊細に描くのは私が小説家としてやりたいことです。よく、アイドルも経験して会社員もうまくやって、ライターきっかけで作家になるなんていいねって言われるけど、とんでもない(笑)。地べたをはいつくばって、心を病んだりして、何度も自分を見失いそうになるぐらい苦しかったんですよね。だから小説で誰かを救えたら、自分の人生、とんとんかなって思います(笑)。『アイドル、やめました。』でもノンフィクションで女の子の声を書きましたけど、社会に搾取されたり、消費されたりして苦しんだ女の子たちがどう立ち上がっていくのかを描くことが、私の命題です。

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