イッキ読み必至! 1972年の本土復帰前の沖縄、琉球警察が舞台のサスペンス『渚の螢火』執筆秘話《坂上泉インタビュー》

文芸・カルチャー

更新日:2022/4/21

 2019年に『へぼ侍』で松本清張賞を受賞してデビュー、翌年に第2作『インビジブル』を発表し、大藪春彦賞、日本推理作家協会賞を受賞。同作はデビュー2作目ながら直木賞候補にもなり、話題を呼んだ。そんな注目を集める新進気鋭の作家・坂上泉さんの第3作『渚の螢火(けいか)』(双葉社)は、本土復帰直前の沖縄を舞台に現金輸送車から強奪された100万ドルをめぐるサスペンス作品。この大いに期待が集まる本作について話をうかがった。

(取材・文=橋富政彦 撮影=内海裕之)


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琉球警察を舞台にすることで沖縄と向き合いたかった

渚の螢火
渚の螢火』(坂上泉/双葉社)

――『渚の螢火』は1972年4月の本土復帰直前の沖縄を舞台に“琉球警察”の捜査員・真栄田太一を主人公にした物語です。この米軍占領下の警察機構で沖縄県警の前身である琉球警察を題材にした理由から聞かせてください。

坂上泉氏(以下、坂上) 『へぼ侍』でデビューする前、天狼院書店の作家養成講座に通っていた頃に琉球警察を題材にしたプロットを書いたことがあって、この作品はそのときのアイディアがベースになっています。

 琉球警察の存在はTwitterで知ったのですが、米軍に実質的に支配された警察機構は本土の警察とは異なる複雑さがあって、刑事ドラマの舞台設定として面白いものになりそうだと思いました。昔のジャッキー・チェンの映画に出てきた香港警察と宗主国イギリスの関係みたいだな、と。また、琉球警察を舞台にすることで、沖縄の人々が本土や米軍に対して抱いている思いなどが土地の記憶として自然と出てくるはずで、そういう意味でも沖縄にきちんと向き合える題材になる。

 本土復帰前の沖縄には、復帰を熱望していた人もいただろうし、一歩引いた目で見ていた人もいたと思います。そして親米的な人もいれば反米的な人もいたはずです。それを単純化しないで、白黒はっきりと分けられない歴史を生きてきた人たちの複雑な人間模様を描くために琉球警察という舞台設定が合致すると思ったんです。

――1972年4月の沖縄の日本のようでいてどこか異国のような空気が漂っている独特の世界観に引き込まれました。読んでいるうちに当時の沖縄文化や風習、言葉遣いまで、とてもリアルに世界が立ち上がっていく。どのようにして当時の沖縄の世界観をつかまれたのでしょう。

坂上 書いている期間はコロナ禍でなかなか思うように現地にも行けない状況でしたが、沖縄出身の方々にお話を聞く機会をできるだけ多く作るようにしました。嘉手納基地で実際に働いていたおばあさんや、琉球警察で捜査官をしていた方にも体験談を聞かせてもらうことができ、当時の空気感やアメリカに対する複雑な思いを理解するのに大変参考になりましたね。あとは法政大学の沖縄文化研究所に通って現地の文物をひたすら読んで、当時の沖縄の声を拾い、その空気感みたいなものをできるだけ自分事になるようにして。書籍は当時の古いものはもちろん、意外と新しめの若者文化をテーマにしたものが文化や風習、言葉を知るのに役立ちましたね。

 そもそも私は関西人で過去2作品も関西を舞台にしたもので、沖縄には縁もゆかりもありません。ですから、戦前、戦中、戦後と他県とはまったく異なる歴史を歩んできた沖縄について、自分がどこまで足を踏み入れて書けるのかという思いもありました。ただ、“物語”の舞台として見れば、そこに障壁はなく、フラットなものであるはず。沖縄ならではの複雑な歴史、土地性も含めて「面白い」と感じたものを書き手として責任を持って書いたつもりです。

世界と主人公が“渚”という境界線にある状態

――本作で描かれるのは、沖縄に流通するドルを一斉に円に換えるというタイミングで発生した銀行の現金輸送車からの100万ドル強奪事件の捜査です。政治的混乱を回避するために本土復帰までに極秘裏に事件を解決しなければならないというスリリングな状況から、戦後沖縄の闇を浮かび上がらせいくストーリーに引き込まれました。東映ヤクザ映画を思わせるヴァイオレンスや米軍絡みのポリティカル・サスペンス、激しいアクションも盛り込まれていて、最後まで飽きさせない展開です。

坂上 私が中学生のときに読んで印象に残っていた映画評がストーリーの元ネタのひとつになっています。そこで紹介されていたのが『ミリオンズ』という作品なんですが、イギリスの貨幣がポンドからユーロに変わるという架空の設定で、小学生の兄弟が回収中のポンド札が詰まったバックを拾ってしまうという話なんですね。それをよく覚えていて「これをドルから円に変わるときの沖縄にしてみたらどうなるだろう」という思いつきがまずありました。

 今よりもアメリカの影響がはっきりと強くあった沖縄のチャンプルー文化、琉球警察をからめていくことで、ポリティカルサスペンスやアクション的な要素もいろいろと入れられそうだ、と。やっぱりカーチェイスシーンは入れたいな、とか。そういうことを考えていくうちに最初にしっかりとしたビジュアルでイメージが浮かんだのが、実はラストシーンなんです。沖縄がアメリカから日本になるときに大金に翻弄される人々の物語なら、最後は“瞬間”しかないと思うシーンができて、そこに持っていくためのストーリーを考えていきました。タイトルの『渚の螢火』という言葉もこのシーンから作ったものです。

――主人公・真栄田太一のキャラクターも印象的です。沖縄人(うちなんちゅ)であるのに東京の大学に進学したり出向したりした経験もあることから周囲と馴染めず、本人も「よそもの」だとして、アイデンティティが揺らいでいる。この人物設定も沖縄そのものを象徴しているようにも読めました。

坂上 やっぱり純粋な沖縄人(うちなんちゅ)というものは私には書けないだろうし、そうした一面的な人物であるよりも自分の沖縄人としてのアイデンティティに悩んでいる人物のほうが、沖縄の土地や歴史の複雑さを表現できるのではないかと考えました。沖縄がアメリカから日本に復帰するという境目の時期に自分自身も「自分は何者なのか」と揺らぎながら奔走する。この物語では、主人公自身、そして世界がそういった波打ち際のまさに“渚”の状態にあるところを描こうとしたもので、真栄田のキャラクターもそこから生まれたものです。

――真栄田以外のキャラクターも皆、個性的で魅力のある人物でした。琉球警察の誰からも慕われるベテラン刑事の玉城、沖縄に対する強固なナショナリズムを持っていて真栄田を敵視する同僚の与那覇、刑事に憧れていてアメ車を乗り回している女性職員の新里など、こうしたキャラクターを作るときに意識していることはありますか。

坂上 今回は登場人物のモデルにした俳優やキャラクターがいるんです。主人公の真栄田は色白で沖縄人っぽくないと皮肉られるようなタイプなんですが、これは吉岡秀隆さん。玉城はコテコテの人情派というイメージで中村梅雀さん。与那覇は『相棒』に出ていた頃の寺脇康文さん。新里は『機動警察パトレイバー』の泉野明です。こういうビジュアルのイメージが頭にあって、この人物が当時の沖縄にて、こんな状況だったらこういうときにどんなことを言うだろう、どんな反応をするだろう、そんなことを考えながら、この物語に合わせて新しく人物像を作っていきました。

――そうしたキャラクターたちの生き生きとした会話も読みどころのひとつですね。方言や言葉遣いなどにも非常にこだわりがあるように感じました。

坂上 リアルな会話を文字にして、さらに小説の枠の中に落とし込んでいくと、もともとあった生々しさや微妙なニュアンスみたいなものはどんどん削ぎ落とされてしまいます。会話を小説というかたちに“冷凍保存”するためにはある程度、仕方のないことではあるのですが、それがすごくもったいないな、と。ですから、読者がそれを読むことで“解凍”されたときに、もともとあった生々しさやニュアンスが少しでも戻っているような調理法にしたいと考えながらこれまで小説を書いてきました。もちろん、それは今回も同じです。関西人の私は沖縄の言葉を関西弁のようにはわからないのですが、沖縄の方言について書かれた本を読んだり、沖縄出身の人に読んでもらったり、沖縄の方の話をいろいろと聞いたりすることで、沖縄の空気や地元の人たちがしゃべっているときの“感じ”を自分の中に取り込んで、そのみずみずしさをできるだけ保ってアウトプットしたつもりです。

“昭和”を歴史として描いて時代小説の枠組みに

――本作は沖縄がアメリカから日本へと変わる時期が舞台になっていますが、過去2作もそれぞれ時代や体制の変化の間で揺れる人間を描いています。そうした人間にシンパシーのようなものを感じるところがあるのでしょうか。

坂上 それはあると思います。デビュー作の『へぼ侍』の舞台は幕末の総決算ともいえる西南戦争、第2作『インビジブル』は大阪市警視庁が廃止される直前の物語で、社会的にも“戦後”のイメージができつつある大きな転換点でした。こうした時代が変わりつつある時期にそもそも惹かれるものがあるんです。そして、そこには変化の落差についていけない人や取り残されまいと頑張る人、自分が何者なのか悩む人――いろいろな人がいるわけですが、それぞれに普遍的な物語のテーマが出てくるのではないかと思います。

――『渚の螢火』も時代が移り変わっていく中で、「やまとんちゅ」でも「うちなんちゅ」のどっちの「シマ」にもたどり着けない「自分は何者なのか」という真栄田の問いをめぐる物語でもあります。結局、彼はどこに行き着くことになったのでしょうか。

坂上 みずからの生まれや育ちから「うちなんちゅ」に馴染めずにいた真栄田は本土の大学に留学し、やがて警視庁にも出向します。そうした経歴の中で、彼はずっと自分の居場所がない、自分が何者かわからないと感じています。ただ、この捜査を通じて彼は初めて“沖縄の警察官”になろうとしている。出自や経歴ではなく、この「なろう」とする行為が、彼自身の帰属を決めるのではないかと思います。そして、この捜査のためだけに作られた本土復帰対策室の特別チームが、もしかしたら彼にとっての一生変わらない“シマ”になるんじゃないか、とも感じています。

――これまでの作品はすべて現代ではなく過去を舞台にしたものでした。時代小説を書く理由はどういったところにあるのですか?

坂上 私は歴史小説、時代小説の舞台としては、いわゆる髷物よりも近現代に関心があるのですが、それは現代とは異なるものが多くありながらも、やっぱり地続きであることが感じられて、現代に生きる自分たちにはっきりつながるものがある時代だからです。今は小説の舞台として、とくに“昭和”に興味があります。私は平成生まれなので、昭和は話に聞いているだけでしか知らない世界なんですよ。でも、小さな頃はそこら中に濃厚な“昭和らしさ”が残っていた時代でもあります。この知っているようで知らない昭和を描くことに面白さを感じるんですね。

 それと、こんなことを言うと怒られるかもしれないのですが、令和の時代になっても社会が昭和の論理で動いていることに「そろそろええ加減にせえや」って思う気持ちもあるんですよ。だから、昭和を“時代小説”で書くことで“昭和時代”という枠組みに押し込んでしまいたいな、と(笑)。現在の文壇には昭和を歴史としてしっかり描こうとする気概みたいなものを感じていて、自分もその一角になっていきたいという気持ちもあります。

――作家としての今後の目標などがありましたら教えてください。

坂上 妻が歴史とかにまったく興味がない人で、私の小説も「なんか難しい」と言うんですよ。妻の友人は「『ちびまる子ちゃん』みたいなのを書けばいい」と言っているらしくて、「そうかぁ……」と。でも、そんな簡単に書けるものじゃないぞっていう話なんですが。ただ、私としてもエンターテインメントを描いているつもりなので、理想としては中高生がぼんやり2~3日で読み終わって「これ面白かった、貸してやるよ」という感じで学校で回し読みされるような小説が書きたいんですね。それは難しいものを難しく書くよりはるかに難しいと思うんですよ。ですから、『ちびまる子ちゃん』みたいにゲラゲラ笑いながらとは言いませんが、妻がさくさく読めて楽しんでもらえるような小説を書きたいという気持ちがありますね。それが当面の目標です。

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