『チ。』の作者・魚豊氏が生んだカルト的人気の連載デビュー作、『ひゃくえむ。』――『チ。』にも通ずる“作品に込めた想い”を聞く

マンガ

更新日:2023/2/10

 2022年4月、手塚治虫文化賞のマンガ大賞を受賞し、作者の魚豊さんが史上最年少受賞者となったことで話題を集めている『チ。-地球の運動について-』。15世紀のヨーロッパで「地動説」の証明に人生を懸ける人々、という異例の題材を扱った大ヒット作が、まもなく完結を迎えようとしている。

『チ。』の作者・魚豊さんによる、漫画好きの間ではカルト的な人気を誇っていた連載デビュー作『ひゃくえむ。』(講談社)が、新装版として発売された。本作は、陸上競技(100メートル走)に人生を懸ける主人公の、小学生から社会人までの栄光と挫折が描かれている。

 100メートル走と地動説。一見するとまったく異なるテーマのようだが、実は「ひとつのことに人生を懸けて取り組む人々の姿」を描いているという点で、根底の部分では密接につながっている。『チ。』をおもしろいと思った人であれば、『ひゃくえむ。』は絶対にハマれる作品だと断言したい。もちろん、両方の作品を知らない方にも、ぜひ手に取ってほしいと思う。題材で食わず嫌いするのがもったいないほどに、この2作は最高におもしろい。

 今回、魚豊さんに『ひゃくえむ。』『チ。』に込めた想いを伺った。『ひゃくえむ。』前半エピソードの試し読みと併せて、楽しんでいただきたい。

(取材・文=金沢俊吾)

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『ひゃくえむ。』『チ。』で全部出し切った

――『ひゃくえむ。』新装版発売と、『チ。』の最終話完成おめでとうございます。『チ。』を描きあげたいま、連載デビューである『ひゃくえむ。』は魚豊先生にとってどんな作品ですか?

魚豊:いま思うと「全部出し切った感」がありますね。『ひゃくえむ。』と『チ。』の1巻に、僕が漫画を通して言いたいことが全部詰まっているような感じがするんです。そういう初期衝動的な物はやり切ったので、次回作はどうなるかわかりませんが、これまでとはちょっと違うものをやりたいなと思っているところです。

ひゃくえむ。
(C)魚豊/講談社

――そもそも、連載時は『ひゃくえむ。』が単行本を出せない状況だったと伺いました。

魚豊:そうなんです。こうした機会をいただけたのは、やっぱり『チ。』を多くの方に読んでいただけたからだと思うので、それは本当にありがたいです。『ひゃくえむ。』は描いているときから「これはおもしろい!」と自信を持っていたので、やってきたことは間違ってなかったのかなと思っています。

――『ひゃくえむ。』は、小学生時代の主人公・トガシが「無敵の天才」だったのが、高校、社会人と進むにしたがって短距離走者としての壁にぶつかり、まわりにさらなる天才が現れて、どんどん凡人のようになっていくのが、スポーツ漫画として新鮮です。

魚豊:才能のないキャラクターが努力して成長していく作品は、既に素晴らしいものがたくさんあるので、あんまり僕がやる意味はないという思いがありました。だったら、最初はトップだった人間が「落ちる怖さ」みたいなものに怯える姿を描いたら面白いかな、というのが『ひゃくえむ。』のアイデアのきっかけです。まったく才能がない人よりは「それなりに才能があるが故の苦悩」のほうが、リアルな人間っぽいというか、切なくていいなと思ったんですよね。

ひゃくえむ。
(C)魚豊/講談社

ひゃくえむ。
(C)魚豊/講談社

――それなりに才能があるが故の苦悩、ですか。

魚豊:『チ。』で地動説を研究するキャラクターたちも、知性や感性を持ってしまったからこそ、地動説に人生を翻弄されたと思うんです。そういった「人間っぽい苦悩」を『ひゃくえむ。』と『チ。』では描いたつもりです。

――トガシが100メートル走を続けていくなかで、時代ごとにそれぞれ立ちはだかる問題やライバルが異なるのも、すごくリアルな人生っぽいですよね。

魚豊:それは単純に僕が、ひとりのキャラクターを立てて、それを長い連載で活躍させるという才覚がなさ過ぎるから、そういう構造にしているんです(笑)。

――そんな(笑)。『チ。』も各章に時代やキャラクターが異なっていて、スピード感というか、作品の構造は『ひゃくえむ。』にとても似ています。

魚豊:そうですね。『ひゃくえむ。』も『チ。』も、あらすじを結末まで考えてから描き始めたんです。それぞれ短期連載の想定だったので、そういった展開にしたほうが作品としてスッキリさせられるだろうなとは思っていました。

チ。
(C)魚豊/小学館

「映画みたいな漫画」を描きたい

――先生は映画がお好きだそうですが、『ひゃくえむ。』は5巻(新装版は2巻)、『チ。』は8巻と、ちょっと長い映画ぐらいの時間で一気読みできるボリュームです。こうした作品の長さは、映画の影響もあったりするのでしょうか?

魚豊:ああ、それはありますね。映画みたいなボリュームの漫画を目指したいなあとは思ってます。僕は僕はシネフィルとかではないので、映画の本質とかを踏まえての発言ではないのですが、単純に映画監督の作品を追っていくと、「同じ監督の作品だけど、テイストが全然違う。だけど、どこか根底には共通したテーマがある」というのが見つかっていく。そういうのに憧れるので、僕も長い1作品を描き続けるよりは、パキッと作品を終わらせて、どんどん新作を描いていきたいという気持ちがあります。

――『ひゃくえむ。』は長期連載漫画よりも、1本の映画を観たときの感覚に近いと思いました。それは単純に長さだけではなく、結末まですべてネームで決めてから描き始めているから、作品のメッセージ・テーマが色濃く全編に表れているのではないかなと。

魚豊:まさにそういった感覚で描いているので、その感想はとてもうれしいです。

――ちなみに「映画みたいな漫画」って、どういったイメージですか?

魚豊:僕が映画を好きなのは、観る前と観たあとで、世界の見え方が変わって見えるからなんです。観終わったあと、まったく違う人間になって映画館から出てくる、みたいな。それって、観終わったあとも映画が自分の中で続いている様な気がして。そんな感じで「ただ読み終わって終わり」ではなく、読み終わったあとも読者のなかに何かが息づくような、そんな漫画が描けたらいいなと思っています。

ひゃくえむ。
(C)魚豊/講談社

ひゃくえむ。
(C)魚豊/講談社

――観終わったあとも自分のなかで続いている映画、よかったら作品名を教えていただきたいです。

魚豊:『第9地区』が一番好きな映画で、ストーリーとかモチーフとか「僕のために作られた」と錯覚するぐらいドンピシャなんです。やっぱり、そういう錯覚をさせてくれるような作品は、自分のなかに息づいていますよね。

第9地区
『第9地区』
出典:Amazon

――自分のために作られたような気分にさせてくれる作品ってありますよね。

魚豊:あとは『タクシードライバー』ですね。学生時代に観て、「あっ、こんなん見たことねえわ」という衝撃が走ったのを覚えています。観終わって「えっ、これで終わりなの? 全然理解できなかったんだけど」と思って、なぜか10分後ぐらいにもう1回見たんですけど、そうしたらめちゃくちゃおもしろくて。その日の夜にもう1回観ました。だから1日に3回観たんです。観るたびにおもろくなっていくんですよね。

――『タクシードライバー』が、自身の作品に影響している部分はありますか?

魚豊:キャラクターの作り方ですかね。『タクシードライバー』の主人公・トラヴィスは、作られたエンターテインメント用のキャラというよりは、ほんとうに存在しているかのようなリアルさがあるんです。実際の暗殺未遂事件の犯人の手記を参考に脚本が作られたというのもあり、妙に私小説のようにも見えて、こういうやり方もあるんだなあと衝撃でした。

――そう言われると『ひゃくえむ。』の短距離走者たち、『チ。』の研究者たちも、すごく人間らしいというか、実在していたかのようなリアルさがあります。

魚豊:そう感じていただけるとうれしいです。いつか『タクシードライバー』のような生々しさを目指したいし、いまの自分にすごく影響していると思います。

タクシードライバー
『タクシードライバー』
出典:Amazon

「命の輝く瞬間」を肯定したい

――『ひゃくえむ。』と『チ。』は題材こそまったく違いますが、根底のテーマはすごく似ていると思いました。“末永く幸せになりました”的なハッピーエンドとはまったく違う、「いまこの瞬間に人生を懸ける!」という“命の輝き”のようなものが美しく描かれていて。

魚豊:はい、まさに長い人生のなかで、ほんの少しでも「命が輝く瞬間」があれば最高だな、と思っているんです。その「瞬間」を肯定するような漫画が描きたいんです。

ひゃくえむ。
(C)魚豊/講談社

ひゃくえむ。
(C)魚豊/講談社

――「命が輝く瞬間」を肯定したいと思ったきっかけは、何かあるのでしょうか?

魚豊:僕が高校生の頃、いつか死ぬことを想像したら怖くなって、布団から出られなくなった時期があるんです。「いつか死ぬのになぜ生きるのか?」という問題意識は、ずっと自分のなかにありましたね。『ひゃくえむ。』は最初の作品だったので、それが純度100%で出たのかなと思います。

――『ひゃくえむ。』における「なぜ生きるのか?」という問題意識は、主人公・トガシの100メートル走に懸ける姿に表れていることでしょうか?

魚豊:そうですね。ライバルに負けたり、自分の才能に限界を感じたり、故障したりするなかで、それでも陸上を続けるのはどうしてか?と考えたときに、それが、その時のトガシにとって生きる意味だからだと思うんです。

ひゃくえむ。
(C)魚豊/講談社

ひゃくえむ。
(C)魚豊/講談社

――なるほど。ちなみに、死ぬのが怖いというのはたぶん多くの人が感じることではあると思うのですが、なぜ布団から出られなくなるまでになったのでしょうか?

魚豊:なんだか、ある時にふと怖くなって「ヤバッ!」ってなったんですよ。ほんとうに突然訪れたって感じで。後から知ったんですが、普通は幼稚園とかそのくらいの時期にみんな感じるやつらしいですよね。僕はそれが遅くて高校生ぐらいの時に来て、下手に拗らせました。解決の仕方もわからなかったので、とにかくすごく不安だったんです。

――その恐怖は、いまも続いているんですか?

魚豊:いえ、いまは「どうせいつか死ぬんだったら、生まれてきて良かった」と思えるようになりたいと考えています。

――そう思えるようになったのはどうしてでしょうか?

魚豊:やっぱり漫画を描いて、自分が自信を持っておもしろいと思える『ひゃくえむ。』を完結まで描き切れたからだと思います。それから、死ぬことがあまり怖くなくなりましたね。自分が生まれてきて、やっと本気でやれたぞって。描き終えて言いようのない満足感があったので、それから死ぬことへの怖さは減ったように思います。

――まさに、魚豊先生自身の命が輝いた瞬間を目の当たりにしたような。

魚豊:そうかもしれません。それまで「このまま死んだらヤベえ」みたいに、ずっと焦っていたと思うんです。『ひゃくえむ。』を描けたことで、ひとつ生きた意味を見つけられたんですよね。

命を懸けられるものがある人生は幸せ

――『ひゃくえむ。』は、主人公・トガシにとって、ラストシーンが人生最後の晴れ舞台のようにも見えますし、『チ。』では地動説を信じる人々の多くが志半ばで死んでしまいます。アリストテレスの「自分の特性を生かしているときが一番幸せだ」という言葉を『チ。』でも引用されていますが、彼らは「幸せな人生を生きた人々」として描いているということでしょうか。

魚豊:もちろんです。いやあ、それはもう幸せだと思いますよ。特性を活かすというか、もうやりたいことが見つかった時点で幸せですよね。逆に言うと、やりたいことを見つけて命を懸ける人たちしか描いてないので。

ひゃくえむ。
(C)魚豊/講談社

ひゃくえむ。
(C)魚豊/講談社

――100メートル走や地動説に命を懸けたキャラクターたちのように、先生にとって命を懸ける対象は漫画だということですよね。

魚豊:そうなのかもしれません。やっぱり現状、漫画を描くことはずっと楽しいので。描かせていただける限りは、描き続けたいですし。人生で一番楽しい瞬間は、漫画をつくっていて「あっ、100メートル走っておもろいんじゃない?」「地動説、イケるんじゃない?」みたいなアイデアを思いついたときですね。もちろんそのあとの具体的に成立させる時間は苦痛で面倒ですけど(笑)。アイデアを思いついたときはイケイケなマインドになります。

――お話を聞いていて『ひゃくえむ。』も『チ。』も、魚豊先生の想いが、直接作品のテーマにつながっているんだなと強く感じました。

魚豊僕が漫画で描くべきテーマって、ほんとうに数個ぐらいしかないと思うんです。その数個の中で言い方を変えるだけです。命を懸けられるものがある人生は幸せだって、それだけですね。このテーマって、既に言われ尽くされてることかもしれないんです。「そんなこと知ってるよ」と言われそうだし、描き方次第ですごく陳腐になるし。小学校とか幼稚園のときに習うようなことだけど、最後まで言い続けるのかなと、いまは思っています。

――最後に、今後について教えてください。いまは『チ。』を描き終えて、次回作の準備中ですか?

魚豊:そうですね。次は『チ。』ほどは長くない、2〜3巻ぐらいの作品を描こうかなと思っています。

――もう具体的な構想はあるんですか?

魚豊:はい、そこまで具体的でないですが、なんとなくは考えています。『ひゃくえむ。』も『チ。』も、主人公たちは社会的に悪いことをしていないじゃないですか。だから次回はちょっと「社会的に間違っているものに熱中しちゃったらどうなるか」みたいなことを描きたいと思っています。何かに命を懸けるという点ではまったく一緒なんだけど、選んだものがこれまでと違う作品を描きたいなと。

――なるほど、やはりテーマは共通しているんですね。

魚豊:そうですね。自分の興味関心からはブレないというか、背伸びして自分の実力以上には難しいこともやらないし、描きたいと思ったことを描くところからは、離れないかなと思っています。

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