本当の名前は違うと分かっていながら「幸村」と言いたくなる吸引力は何なんだ『幸村を討て』今村翔吾インタビュー

小説・エッセイ

公開日:2022/5/7

今村翔吾さん

 今年1月、『塞王の楯』で第166回直木賞を受賞した歴史時代小説界の新星・今村翔吾。受賞後第1作となる『幸村を討て』は、徳川家康VS豊臣家の最後の戦い大坂の陣(1614年の冬の陣と1615年の夏の陣)を題材に、名だたる武将たちが織りなす群像劇を描き出した。その中心にいる人物が、真田幸村。徳川家康の本陣まで攻め込み「日本一の兵」と評されるなどした、歴史ファンの間で人気の高い武将だ。2016年放送の大河ドラマ『真田丸』では、堺雅人が演じたことでも知られている。

(取材・文=吉田大助 撮影=川口宗道)

 実は、今村翔吾が歴史時代小説に魅了されるきっかけとなったのは、小学5年生の時に読んだ池波正太郎の『真田太平記』だった。

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「作家としてもっと力をつけてからの方がいいんじゃないかとも思ったんですが、書きたいと思った時が、書くべき時かなと。池波さんが“真田もの”を何作も書かれたように、僕も歳を取ってからまた真田を書けばいいやと、踏ん切りをつけました」

 いわば自身にとっての「本丸」に挑む一作、勝負作だ。

「『塞王の楯』から約半年ごとに、4期連続で勝負作を出していく予定だったんです。これでダメだったら、直木賞のことはしばらく考えないようにしておこう、と(苦笑)。第1陣の『塞王の楯』は、これまでの僕のイメージに合った速球ストレート。それではあかんかった場合に備えて、第二陣は変化球でいってみようと思ったのが『幸村を討て』でした。できるだけ球威は消さずに、いかに鋭く曲げられるか。読者さんに対して“こんな今村翔吾もいるぞ!”と伝えたいという思いもありました」

 本作が「変化球」であるゆえんは、物語の構成にある。本作は時代小説にして、ミステリーでもあるのだ。

大坂の陣の「謎」に関わる武将を選んだ

 実質的な第1章に当たる「家康の疑」は、徳川家康の視点から大坂の陣の様子が語られていく。大坂城に籠城した豊臣軍を破り、天下統一を成し遂げたというのは歴史が伝える事実だが、戦の最中はどんな心境にあったのか? 豊臣軍についた武将・真田幸村のことが、気になって仕方がなかった。なぜなら真田家は家康にとって、かつて二度も苦杯を舐めた因縁の敵だからだ。戦場でも、家康みずから「皆の者、幸村を討て!」と檄を飛ばした。やがて討たれることになるのだが……。

「大坂の陣って調べれば調べるほど、めちゃくちゃ興味深いんです。大坂城に集まってきた連中がことごとく詐欺師で、単なる勝敗ではないところに戦の目的を見出しているんですよね。どうしてそんなことになったかというと、例えば桶狭間の戦いや関ケ原の戦いの時は、勝敗が決した後に戦国の世はどうなるのかは、まだ誰にも分からなかった。でも、“これが最後の戦になる”ということを、後世の僕らだけではなく当時を生きる人間たちも分かっていた唯一の戦が、大坂の陣なんです。残りの限られた時間の中で、自分の生き方の総決算を表現する舞台が、ここだった。だから、みんなが好き放題やって、こんなことになった(笑)。じゃあその中で、真田家は何をやったのか」

 家康は、大坂の陣における幸村の動きには「数々の謎」があることを嗅ぎ取った。その「真相」を探るべく、6人の武将に目星をつけ、生きている者からは話を聞き、死んでいるならば身近にいる者から証言を引き出した。第2章以降は、その6人が視点人物にフィーチャーされ、それぞれの人生と共にそれぞれの視点から見た大坂の陣が語られていく。

「全員がどこかで“幸村を討て”と言う、ということは一番最初に決めました。この6人を選んだ理由は、大坂の陣での行動に謎があるからです。豊臣軍の総大将の有楽斎が逃げ出したのも謎だし、南条元忠が城内で切腹したのも謎。後藤又兵衛が小松山に登ったことや毛利勝永が撃ってはいけないと言われていたのに発砲を命じたことも謎ですし、徳川方の伊達政宗が兵を引いたタイミングも謎なんです。それぞれの短編でその謎が解決していくのと同時に、それぞれが大坂の陣に何を賭けていたのかが分かる。真田家が賭けたものと相いれない者は戦い、共存できる者は手を取り合う。その様子を積み重ねていったところで、最終章に謎明かしパートを持ってくる。最終章を盛り上げるためにも、一人一人の短編も大切に書いていきましたね」

幸村という名前が真田家の最大の「謎」

「そもそもこの作品がどうしてミステリーっぽくなったかというと、真田家自体に謎がいっぱいあるからなんです。例えば真田昌幸は、長男の信之を分家に出して、三男坊の信繁を手元に置きました。逆だったら分かるんですよ。戦国のあの時期に、長男が分家にやられるのは解せないんです。名前の付け方もおかしい。幼少期の通称が、兄は“源三郎”で弟が“源次郎”なんです」

 本作は、それらの「謎」の真相に迫るミステリーでもあるのだ。

「真田家って、常に時代のメインストリームのすぐそばにいるんです。武田信玄、織田信長、豊臣秀吉、家康と、戦国のメインキャストとがっつり関わり、武将として名を馳せるスターも輩出した。そのうえで、ここが大事なポイントなんですが、後世までちゃんと家を存続させた。家と名前の両方を得た、これもまた謎というか、不思議だなぁと昔から思っていたんです。それは運や偶然ではなかったんじゃないか……という仮説を、この作品の核に据えました」

 真田家におけるもう一つの「謎」は、幸村という名前。幸村は、後世の戯作者が勝手に当てた名前だ。

「本当の名前は信繁だと分かっているんですよ。分かっていながら、幸村と言いたくなるこの名前の吸引力は何なんだ、と(笑)。僕自身もその名前を口にしてしまうし、全く史実に支えられていない幸村の逸話を語ってしまう。そんな武将、幸村ぐらいしかいない。その“謎”を解くこと、言い換えるならば、講談と史実をくっ付ける物語として書いたのが『幸村を討て』なんです」

 最終章で二重三重に発動するサプライズでは、大坂の陣の謎と真田家を巡る知られざる歴史が明かされる。と同時に、そこには著者個人の切実さも込められていた。

「この小説は、真田家の家族崩壊から再生までを描いた、家族についての話でもあると思っているんです。いいか悪いかじゃなくて、あるなしで言えば、親子の間には切れない絆がある。真田家の物語を通して、その絆の太さを確かめてみたいという気持ちがあったんです。正直な話をすると、昌幸と信之・幸村の関係には、僕と父親との関係が反映されている部分はあります。僕にとってはやっぱり、でかい存在なんですよ。最近はあまり関係がうまいこといってないんだけれども、僕が小学4年生の時に、父親が僕に書いた手紙が出てきたんですね。そこには“いつか俺を超えていってくれ”という言葉が書いてありました。“翔吾の字の翔のように、どこまでも翔けていってくれ”と。あれが息子に対する、父親の本心なんじゃないかと思っていて……。ダンスインストラクター時代に、教え子たちから家族に関する相談を聞いて、一緒に悩んだり考えたりした経験も大きかった。親と子、家族とは何なのかと僕なりに探ってきたことが、ここまではっきり出ている作品は他にないと思います」

 極上の歴史小説にしてミステリーは、極上の家族小説でもある。もし『塞王の楯』で直木賞受賞が叶わなかったとしても、こちらで獲っていた。そう確信できる、傑作だ。

 

今村翔吾
いまむら・しょうご●1984年、京都府生まれ。ダンスインストラクターを経て、2017年に『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』でデビュー。18年「童神」(刊行時『童の神』に改題)で第10回角川春樹小説賞を受賞。20年、『八本目の槍』で第41回吉川英治文学新人賞、『じんかん』で第11回山田風太郎賞を受賞。21年「羽州ぼろ鳶組」シリーズで第6回吉川英治文庫賞を受賞。22年、『塞王の楯』で第166回直木賞を受賞。

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