世界にはまだ知らない部分がある。そう感じることで少しラクになる『夏が破れる』新庄耕インタビュー

小説・エッセイ

更新日:2022/6/8

新庄耕さん

 人間の暗部を煮詰めたようなグロテスクなニュースに触れた時、「まるで新庄耕の小説みたいだ」という言葉がぽつりと浮かんだ。ネットで検索してみると、全く同じ感想をつぶやいている人と出合った。ブラック企業の営業マンを主人公にしたデビュー作『狭小邸宅』、サラリーマンがマルチにはまる様子を追いかけた『ニューカルマ』、不動産売買を餌に莫大なカネを騙し取る詐欺師たちの物語『地面師たち』……。今や「新庄耕」は、現代社会の“やばさ”を表現する、代名詞の一つになりつつあるのではないか?

(取材・文=吉田大助 撮影=山口宏之)

「まずい流れですね(笑)。その流れを変えるためにも、今回の『夏が破れる』は爽やか方面を目指すつもりだったんです」

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 某清涼飲料水のCMを意識した、離島で過ごす少年のひと夏の冒険ものという構想をうっすら進めていたのだという。

「その構想を編集者にしゃべりつつ、離島繋がりで、昔プータローをしていた時に離島で会って仲良くなった男の人の話をしたんですね。その男の人は島外から奥様と一緒にやってきてライフセーバーや観光ガイドをしていて、詳しい言動は伏せますが、とにかくめちゃくちゃな人だった。その人に、アルバイトの大学生の男がこき使われていたんですよ。その様子を見て“どうしてこんなところで働いているんだろう?”と不思議に思ったんです。“マシな職場はいくらだってあるはずなのに、ここに居続ける理由ってなんなんだ?”と……。そんな話をしたら、編集さんから“それを題材にしましょう”と言われまして、僕はちょっと止めたんですが“爽やかな方向は捨てましょう!”と」

 方針転換した途端、アイデアが溢れ出していったそうだ。

「イヤな場面がぽんぽん浮かんできましたね(笑)。結果的に、今までで一番まがまがしい小説になってしまいました」

逃げればいいのに逃げない 逃げられないという葛藤

「不登校の子供達にとって、離島留学が選択肢の一つになっている。国もバックアップしているんです。ただ、行った先がどんな場所でどんな人が待っているのかは、行ってみなければ基本的にはわからない。それって結構怖いなと思うんです」

 主人公は父母と埼玉で暮らす、中学三年生の少年・進だ。いじめに遭い不登校を続けていた彼は、母の勧めで、夏休みの2ヶ月間は沖縄へ離島留学することになる。辿り着いた喜久島は、美しい風景が広がっていた。そこに聳え立つ「ラビットベース」という施設は周囲が金網で囲まれており、広大な敷地の中にはおしゃれでラグジュアリーな建物の数々が。〈責任者の命令・指示に必ず従います〉〈関係者以外の島民と一切の会話及び交流をしません〉──サインを求められた誓約書の文言から不穏なものを感じたが、進は新生活に踏み出していく。施設の責任者は、佐藤信介と優子の夫婦。施設にはもう一人、ナオミという小学校高学年ほどの女の子がいて……。

「『夏が破れる』というタイトルの元ネタは、『破夏』です。僧が夏の一定期間同じ場所へ集まって修行する、いわゆる夏安居の最中に、修行を降りる、脱走するという意味の言葉ですね。その言葉のイメージが、主人公である進にぴったりでした」

 信介は初対面の進に、こう言い聞かせる。「いつまでも逃げつづけたままでいるのか、それとも、自分を変えて前にすすむのか。ここをただの避難小屋にするのも、修練の場とするのもお前の自由なんだよ。進はどうしたい。どっちだっていい、自分で決めろ」──。実のところ、他の選択肢だってあるはずなのだ。にもかかわらず二択を強いるところに、のちの陰惨な出来事に繋がる、信介の人間性が象徴されている。

「ところどころで信介が名言っぽいことを繰り出すんです。例えば“苦しいほど、得るものもでかいからな”なんて言うんだけれども、進に酒を飲ませてげえげえさせたのは信介です。“どの口がそれを言う?”と思いますよね。ただ、進自身はそれがわかっていないというか、むしろ励ましのように受け取っている。自分が中学だった頃を振り返ってみると、学校の先生と生徒の関係ってそういうものだった気がします。当時感じていた学校や先生や大人たちに対する理不尽さを思い出しながら、書きすすめていきました」

 進が信介から、自動車を運転してみろと命じられる場面がある。しぶしぶ従ったところ「無免許運転の道路交通法違反で逮捕だよ」と脅され、その後は観光客の送迎係を任されるようになる。無茶苦茶なのだ。しかし、逃げられない。いや、逃げられない、と思ってしまう。

「僕がこれまで書いてきた小説も、逃げるか否かの葛藤が主人公のメインの感情になることが多いんです。例えばデビュー作の『狭小邸宅』のブラック企業なんて、はたから見れば逃げたほうがいいに決まっている。にもかかわらず、主人公は逃げずに現状と戦ってしまう。逃げればいいのに逃げない、逃げられないという葛藤は、人間臭いし書いていて面白いんですよね」

 信介の命令で4匹の豚の世話をさせられるうちに、豚たちと仲良くなっていくシーンは一時の清涼剤だ。しかし、そんなところにも地獄は口を開けている。その後も地獄の蓋は二度、三度と開いていく。電気槍、謎の来訪者、白衣による儀式……。

「最初からアクセル全開だったので、展開はめちゃめちゃ早いです。すぐにストックしていたネタを使い切り、その後は編集者との打ち合わせで話の展開を決めていきました。僕からアイデアをいくつか出すと、先方は必ず、一番やばいアイデアを選択するんですよ。“本当に書いていいんですか?”と一応確認すると、“アクセルを踏みましょう”と返事が来る(笑)。それを続けていくうちに、闇の奥へ奥へとどんどん入っていく感覚がありました」

 その結果、「今までで一番まがまがしい小説」となったのだ。

今見ているものだけが世界の全てじゃない

 実は、著者は純文学の新人賞でデビューしている。純文学的な描写の力は、エンターテインメント全開の本作においても武器となっている。

「攻めすぎるとリアリティを欠いて、荒唐無稽になってしまう危惧がありました。でも、どんなに荒唐無稽でも、肌感覚というか、その状況に直面した主人公の肌触りみたいなものがきっちり描写できていれば意外と大丈夫なんですよね。その意味で、この物語は小説でしか表現できないものなのかもしれない」

 進は施設から逃げ出すことはできるのか? たとえ逃げ出せたとして、信介の悪魔的な磁力を振り切ることができるのか。執筆中、自身も信介の存在に絡め取られる感覚があったそうだ。「だんだん気分が重くなってきて、体を壊しました」と苦笑い。なおさら進には、信介とラビットベースの闇に立ち向かってもらわねばならなかった。

「信介から圧力をかけられる経験が、進にとって全く何も役に立っていないわけではないんです。単純にイヤな思いでした、ではなくて、微妙に成長してる。強くなっている」

 読み終えてみると、どこか癒されている感覚になるのが不思議だ。

「自分が今見ているものだけが、世界の全てじゃない。世界にはこういう部分もある、まだ知らない部分がたくさんあるんだと感じることで、少しラクになる人がいるかもしれないなって気はするんです。ぬるい物語があふれている中で、たまにはこんなやばい小説を読んでみるのもいいんじゃないですか?」

 

新庄耕
しんじょう・こう●1983年、京都府生まれ。東京都在住。慶應義塾大学環境情報学部卒業。リクルートに勤務後、コンサルタントなどいくつかの仕事を経て、2012年、「狭小邸宅」で第36回すばる文学賞受賞。著書に『狭小邸宅』『ニューカルマ』『カトク 過重労働撲滅特別対策班』『サーラレーオ』『地面師たち』がある。

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