マンガから読み解く、「男の娘(おとこのこ)」という生き方

マンガ

公開日:2012/11/4

 艶のある長い髪の毛に目鼻立ちの整った顔、ふんわり素材のワンピース。先日、まさに“男の理想”を具現化したような子に出会った。ただひとつ残念だったのは、その子が「男の娘(おとこのこ)」だったということだ。

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 最近巷を賑わせるこの「男の娘」とは、その名の通り、男性であるにも関わらず女性用ファッションに身を包んでいる存在のこと。簡単に言ってしまえば、女装男子のことだ。それにしても、なぜ女装をするのか。彼らはいわゆるゲイやニューハーフの類なのだろうか。ゲッ、じゃあ僕も狙われちゃう!? などと逡巡していたら、きっぱりと「わたし、男性には興味ありません」と、こっちがフラれた形になってしまい、ちょっと複雑な気分に……。では、どうしてそんな格好をするのだろう。「男の人が好きなんです」と言ってくれた方がまだスッキリする。最近では彼らのような存在がメディアに取り上げられる機会も増えたが、その存在を知りつつも、モヤモヤとした疑問を抱いている人も少なくないのでは。

 そこで、そんな「男の娘」という存在を理解する手助けとなるマンガを紹介しよう。

 『ぼくらのへんたい』(ふみふみこ/徳間書店)は、「男の娘」である中学生3人組が主人公。物語は「男の娘コミュ」を通じて知り合った3人が出会うところからスタートする。純粋に女の子になりたいと願う、いわゆる性同一性障害の“まりか”こと青木祐太。死んでしまった姉に扮し、心を病んでしまった母親を慰める“ユイ”こと木島亮介。好きになってしまった先輩に求められるがまま女装をする“パロウ”こと田村修。彼らには彼らなりの事情があり、それぞれに女装をして生きているのだ。お互いの心情を吐露し合った彼らは次第に仲を深めていき、それぞれの立場を理解しようとする。その姿を追う読者も、自然と「男の娘」という存在が理解できてくるのではないだろうか。ひと口に「男の娘」と言っても、その立ち位置がだいぶ異なるということにも……。

 また、『放浪息子』(志村貴子/エンターブレイン)では、女の子になりたいと願う主人公、二鳥修一の高校生活が描かれている。この二鳥、「男の娘」でありながらも女の子が好きで、実際に付き合っている彼女もいるのだ。その彼女も二鳥に女装願望があることを容認しており、「ヘンなの」と笑って済ませてしまえるメンタルの持ち主。読者の中には理解に苦しむ人もいるかもしれない。

 作中では、思春期なりの些細な悩みについても描かれている。周囲の人間から、身長が伸び、ガタイが良くなったことを指摘され、複雑な表情を浮かべる二鳥。このままではいずれ女装ができなくなってしまうのではないかと心配するさまは、「大人になんてなりたくない」と思ったことがある人なら、カタチは違えど少なからず共感できるのでは。

 これらの作品はあくまでもマンガだが、現実に似たような問題を抱え、「男の娘」という生き方を選択している子がいないとは言い切れないのも事実だ。

 前述の彼(彼女?)も、「女装をしている間は本当の自分になれる」と言っていた。本当の自分、ありのままの自分で生きていくことが難しい現代において、たとえ奇異の目で見られることがあっても独自のスタイルを貫く彼ら。その生き方を完全に理解するのは難しいかもしれないが、このようなマンガを通じて、ちょっと勉強してみてもいいかもしれない。

文=磯田大介(OfficeTi+)