ツッコミ過多の時代に求められる「正しいツッコミ」とは?

人間関係

更新日:2012/12/7

  最近、なにかと息苦しい世の中になってきたと思いはしないだろうか。

 ネット上でもリアルでも、Twitter、Facebook、mixiでも、なにかやりづらい、好きな発言ができなくなってきた、という人は多いと思う。

advertisement

 そう、今はツッコミが世の中にあふれまくった、ツッコミ社会。リアルでも、ネットでもツッコミが多すぎて、自由な発言=ボケがつぶされているのだ。

 そもそも、こんなにも社会にツッコミがあふれた背景には、お笑いブームももちろんだが、それが簡単に使えて、便利なコミュニケーションツールであるからだと、指摘しているのが、あの水道橋博士から「オフィス北野の最終兵器」といわれているマキタスポーツこと槙田雄司。彼は著書『一億総ツッコミ時代』(星海社)で「ボケはそれなりの勇気と技術が必要だからです。でもツッコミならば簡単にできる。(中略)その場の会話のイニシアチブを取るための便利な言葉でもあります。(中略)ツッコミはコミュニケーションの新しい道具です。自分と他人の会話を編集する技術。人間関係を制御するオペレーションシステムでもあるのです。」と書いている。思わず、なるほどとうなずいてしまう言葉である。

 だいたい、ツッコミとはボケを生かすためのものである。ボケをツッコミでわかりやすくして、笑いを増幅させるのが、その真の役割なのだ。それなのに世間では、ボケを潰すかのごとく過激で愛がないツッコミであふれている。このままではダメだ、本当のツッコミをする芸人から、ツッコミとはなにかを教わらないと、ボケが潰されてなくなってしまう。

 先日発売された『SWITCH』(スイッチ・パブリッシング)ではダウンタウンの浜田雅功をはじめ、選び抜かれたツッコミ芸人の仕事術が紹介されている。そこで彼らのツッコミに対する姿勢や、ツッコミとはなにかを学ぶために、その言葉を抜粋してみよう。

 まずは「ナインティナイン」の矢部浩之。説明不要なこのコンビは、最近、ボケである岡村隆史が長期休業し、見事復活を果たしたことでも知られている。じつは、岡村が復帰する収録の前夜、一本のメールが矢部に送られてきたという。それは「すべてを笑いに」というもの。矢部は語る。「もしかしたら今度は僕が病気になって長期間休業することもあるかもしれない。でもその都度お互いが笑いに転換できればいいなと思ってます。ツッコミとしても、どんな状況であれ、笑いに導けるような芸人でありたいですね」。

 また、ネプチューンの名倉潤はこう語る。「人と違うボケをする二人を相手にツッコむときに、どうしたら伝わるのか、おもしろくなるのかって。昔は自分のツッコミで笑いが起こればいいなと思ってたけど、今はチームプレイでおもしろくなればいいなと思ってますね」。
 タカアンドトシのトシはこんなことをいっている。「僕は、ツッコミ芸人に一番必要なのは優しさだと思うんです。誰がボケてきても、ちゃんと返してあげる優しさがないとやれない仕事です(中略)結果的にスベることになっても、そのボケと一緒に心中するくらいの気持ちで対応したいと思ってます」。

 ツッコミを世間に広く知らせた立役者。もはや知らない人はいないツッコミ芸人。ダウンタウンの浜田雅功は話す。「僕は収録中、個々の人たちの個性がどういうふうにやっていったら出てくるんやろうっていう作業をやっているつもりなんですよ。だから休憩で裏入ったときも、あまり喋ってないなという人には喋りにいくんです。(中略)ちょっとそこで喋っておけば、舞台出たときに『やかましい、おっさん!』ってツッコめるかなっていうのもあるんです。それをしたいがために、裏でそれだけはちょっとね、やっておくんですよ」。

 ただ批判や批評をするだけがツッコミではない。そこに愛や優しさ、気配り、なによりも、ボケを生かすという気持ちがなければ、良いツッコミとはいえないのだ。そんなことをツッコミ芸人たちは教えてくれている。

 また、ボケ側もツッコミを気にしすぎたりせずに、どんどんボケていってほしい。『一億総ツッコミ時代』でも、ボケを恐れず、ベタなことを突き通すことが、より良い生活につながると書かれている。

 ツッコミはボケがなければ、ただの悪口に。ボケもツッコミがなければ、ただの変なことになる。ボケとツッコミは共存関係にあるのだ。それを常に意識し、ボケ側は恐れずに、ツッコミ側は、そんなボケにも、そしてこの記事にも、愛のあるツッコミでお願いしたい。