相方ビートきよし、たけし軍団が、「世界の北野武」の素顔を語る!

芸能

公開日:2012/12/17

 『M-1グランプリ』の後継プロジェクトとして昨年、完全復活を遂げた『THE MANZAI』。元々この番組は1980年から1982年にかけて放映され、ツービートをはじめ、B&Bや紳介竜介といった当時の若手漫才コンビを世に送り出し、絶頂期には視聴率32.6%を記録するなど、80年代漫才ブームに火をつけた伝説的お笑い番組だ。中でもツービートの人気は絶大で、全11回すべてにツービートが出演している。

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「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」
「寝る前に ちゃんと締めよう 親の首」

 そんな過激なブラックユーモアで常識をひっくり返すビートたけし。そして、「よしなさい!」と東北訛りでツッコむビートきよし。当時の二人はお笑い界のニューウェーブだった。今あらためて見ても、ツービートの漫才はまったく古びていないから驚きだ。

 今や映画監督として「世界の北野武」と呼ばれるビートたけしだが、相方であるビートきよしの著書『相方 ビートたけしとの幸福』(東邦出版)によれば、若き日のたけしは、何かしたいのだけれど何をしていいのかわからない……鬱屈を抱えた若者だったという。才能の塊のように思われがちなたけしも、自分探しを続ける今の若者と変わらない印象だ。

 テレビに出たい一心で山形から上京したビートきよしは、浅草のストリップ劇場でたけしと出会い、舞台でコントをやることに。やがてテレビに出るために漫才コンビ結成を思い立ち、たけしに声をかけるも口説き落とすのに3カ月もかかったそうだ。しかも、漫才コンビを組んだ後も、仕事をすっぽかしたり、泥酔して舞台でヤクザに絡んだりとシッチャカメッチャカ! 80年代漫才ブーム前後の破天荒なエピソードを通して、たけしの素顔が浮かび上がってくる。

 ツービートの漫才に衝撃を受けた若手芸人の中には、後にたけし軍団入りするガダルカナル・タカがいた。彼が監修をつとめる『我が愛と青春のたけし軍団』(たけし軍団:編/双葉社)は、行き場のない若者たちがたけしを慕って集まり、身体を張ってとことんおバカを繰り広げる狂騒の日々が痛快! 師匠のたけしは軍団の給料を自分のギャラの中から支払い、飲みに行けば軍団全員におごり、自分のマンションに住まわせるなど、とにかく面倒見がいい。その代わり、殿が飲みに行くとなれば、徹夜で次の日仕事でも軍団は付き合うのだ。「絶対ダメでしょ。生きていけないよね、世の中で。そういうヤツ集めるのが俺、大好きなんだ!」とたけしは軍団について語ったという。これも、たけし特有のやさしさ。また、フライデー事件やバイク事故など世間を賑わせたエピソードにも触れられ、実に興味深い1冊だ。

 当の本人であるビートたけし(北野 武)の著作では、“間”について書いた『間抜けの構造』(新潮社)、映画脚本についてのインタビュー集『物語』(ロッキングオン)が共に10月に発売されている。相方のビートきよし、弟子のたけし軍団から語られるビートたけし本と併せて読むと、あらためてビートたけしの人間的魅力が理解できるだろう。ビートたけしと同時代に生きていることが、ちょっと嬉しくなる。

文=大寺 明