水道橋博士、共演NGだった大物芸人との秘話を明かす

芸能

更新日:2012/12/26

 「困るんだよなぁ…あのクズ野郎のことで泣きそうになった」。あの有吉弘行がこのような最大限リスペクトともいえる推薦文を寄せているのが、先日発売された水道橋博士の著書『藝人春秋』(水道橋博士/文藝春秋)。「テレビの裏側の物語を残したいと書き始めた」というこの本は、北野武から中学の同級生である甲本ヒロトといったミュージシャンまで、多彩な“芸人”たちの生き様を書いたルポエッセイだ。

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 たとえば、松本人志について述べた章では、「ボク自身がテレビタレントの端くれとして『ダウンタウンとは共演しない』と決めたのは20代の時だった」と告白。「彼らと同じ時代を同じ場所で過ごせば、ねじ伏せられ、白旗を掲げ、心奪われることは明らかだった」と、当時のダウンタウンが有していた“笑いの脅威”を描いている。そんな博士が松本と邂逅するのは、2006年。『すべらない話』に参加し、収録後の打ち上げで初めて言葉を交わしたというのだが、その会話がいかにも水道橋博士らしく、1994年に雑誌で松本が故・ナンシー関と対談した際にビートたけしと比較されたときに「僕が一番だと思ってる」と発言したことを取り上げ、「どうして『自分が一番』って言い切れたんですか?」と尋ねるのだ。松本の回答は、「ああ言わんと目の前の大きい壁を崩して前へ進めへんやろう。あれは、あの時言うて正解やったわ~」。このあと、逆に松本は博士に“映画を撮ってテレビのように評価されなかったらどうしたらいいか?”と聞き返し、海外の評論家に認められ、逆輸入されることで評価されるようになった北野武の例を博士が説明する一幕まで明かされている。松本が持っていた突破力、そしてテレビでは見られない“評価を恐れる姿”さえ、博士は書き綴る。優れた人物評伝のような鋭い切り込み様なのだ。

 また、ひとりの芸人を取り上げるだけではなく、なかには多角的に芸人と世相を見つめる章も。現実のいじめ問題とお笑いのイジリについて論及した章では、果敢に発言を重ねる太田光について、「実にお笑いにあるまじき、まともな正論をぶつ論客となっているのも、本来のメインカルチャーの方が脆弱すぎて立ち位置としては、正論をぶつ方が、むしろ異端でありカウンターであるからだろう」と分析。「政治家よりお笑い芸人の方が圧倒的に影響力のある存在」であることに気付かない人たちに疑問を呈している。そして、この原稿が発表された06年当時、いじめ問題を取り上げた言葉のなかで博士がもっとも腑に落ちたという伊集院光とピエール瀧の会話を紹介。瀧が「お前ら将来伸びるから、今、死んじゃダメ!(爆笑)」と言い、「お前ら、びっくりするだろうけど、今、お前の周りにいる30人全員敵だろ? だけど、その周りに300人いて、その周りの3000人が全員敵になる瞬間があって、3000人が急に味方するときがあるから。その一層(30人)だけで判断するなよ……」と伊集院がたたみかけるのだ。高校時代、学校に馴染めなかったという博士の“この言葉がどこかの誰かに届いてほしい”と願う博士の切々とした思いが伝わってくる一節だ。

 もちろん、師たるビートたけしへのリスペクトは、全編にわたって垣間見える。とくに前出の松本の項では、たけしが松本と自分を対比して「でも、俺のほうがより凶暴で、俺のほうがよりやさしい」と呟いた一言で文章を締めている。それだけで十分に愛が感じられるが、しかし、あとがきで最大の謝辞を述べているのは、故人となった児玉清。装丁に描かれた切り絵も、児玉に捧げたものであるという。それほどまでに、番組で共演した際に博士が見た児玉の“ガチ”ぶりはすさまじく、その模様と生き様に触れたあとがきは感動必至。「本を読む悦びは結末があることだ」と博士は書いているが、ぜひ、その悦楽を本書でも体験してほしい。