日本初のAV男優!? 田原総一朗の自伝がスゴイ

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/25

 『朝まで生テレビ!』や『サンデープロジェクト』の討論番組で司会をつとめ、世の中の様々な問題に斬り込む田原総一朗。ジャーナリストであり、政治評論家のような存在なのだろうと、なんとなく思っていたのだが、このほど発売された『塀の上を走れ 田原総一朗自伝』(講談社)によると、“表のディレクター”なのだという。本来、裏方として番組作りをするディレクターが、司会者として表に出てきたのが田原総一朗というわけだ。

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 本書の帯にある「日本初のAV男優」というコピーに「……!?」と思い手に取ったわけだけれど、いわゆるアダルトビデオの男優ではなく、田原が30代後半の頃に手がけたドキュメンタリー番組『日本の花嫁』(1971年)において、彼のセックスシーンが一瞬流れたことが都市伝説化したようだ。自衛隊や障害者など様々な結婚式を取材するこの企画で、元全共闘の若者たちの結婚式を取材することになったわけだが、なんとこれが、出席者が花嫁とセックスする、という趣向の結婚式だった。花嫁が「最初にディレクターとやりたい。やらないなら、取材はノーだ」と言い出したため、田原はひと肌脱ぐことに。これをAV男優と言うには、ちょっと拍子抜けだが、面白い番組を作るために人前でセックスまでしてしまう熱意と破天荒さは、やはりただ者じゃない。

 こうした突撃ディレクター時代の豪快エピソードからはじまる本書だが、喜寿を迎えるにあたってこれまでの人生を振り返った自伝として、軍国少年だった幼少期、作家志願だった青年期、ダメダメだった会社員時代など、若き日の田原総一朗が浮き彫りとなる。ここまではいかにも自伝といったやや古風な印象。やはり面白いのは田原がフリーとなり、田中角栄に5時間インタビューを敢行するなど、政界と深く関わるようになってからだ。

 やがて田原は『朝生』の企画と司会を通して、原発や天皇、暴力団や部落差別などありとあらゆる日本のタブーに挑戦。この番組は政治や世論にテレビというメディアが直接的に影響するという画期的なものだった。

 政治家が本音を公言してしまったり、田原の質問に動揺して首相が冷や汗を浮かべたり、活字では見えない部分までテレビは映し出してしまう。田原が司会をつとめた『サンデープロジェクト』は政治に強く影響を与え、海部俊樹、宮澤喜一、橋本龍太郎という3人の首相を退陣に追い込むまでに至った。石原慎太郎いわく、「日本一危険な番組」である。

 精力的に政治に斬り込んできた田原だったが、ここまで来ると「こんなこと、やっていていいのか」と深く考え込んでしまったという。これが転換点となり、単に権力批判をするのではなく、小泉純一郎や安部晋三にアドバイスを与えるなど、田原は生き方を修正するのだ。最終章「喜寿の遺言」で田原はこう記している。

「この年になってわかったのは、人間というのは年を取るとともに考え方も変わるということだ。(中略)逆に言うと、生き方や考え方が一貫しているのは、実は偽物ではないかと思うようにもなった。時代が変わるのだから、人間が変わるのも当たり前ではないだろうか。」

 頑固そうに見えて、実は柔軟。いつでも面白そうなことに飛びつく好奇心が田原総一朗の原点だ。本書のタイトルの意味は、“刑務所の塀の上を走る”こと。面白い番組を作るためには、犯罪で捕まるギリギリのところまでやるが、決して刑務所の中には入らない。そんなヤンチャなディレクターが日本の政治を変えてしまった。思想云々という古めかしい言論の壁を突破して、私たちの問題意識をエンターテインメント化してみせた稀代のメディア人なのだ。

文=大寺 明