一体何が正しいのか!? 自身の正義感を問う「サスペンスマンガ」

公開日:2013/1/8

 ここ数年、テレビでは耳を塞ぎたくなるようなニュースが連日報道されている。記憶に新しいところでいえば「尼崎の連続変死事件」や「遠隔操作ウイルスによる犯罪予告事件」が印象的だ。昔と比べ、人間関係が複雑化したことも、こういった事件を生み出すことになった要因のひとつだろう。しかし、いつの時代であっても、そこで問われるのは自身の良心、正義感。最近のニュースを見ていると、その良心や正義感という観念が多様化してきているのだと強く感じる。

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 守るべきもののために、何かを犠牲にする。これは誰しも、一度や二度経験したことがあるのではないだろうか。犠牲の対象は時間やお金、または友人関係……。普通はその選択肢の中に、他人の生命や不利益といったものは含まれない。しかし、そうは言いつつも、絶対にそうだと言いきれない自分がいるのも事実だ。守るべきものが恋人や家族、そして自分自身のアイデンティティといったものだった場合、果たして人は、他者を犠牲にすることはないのだろうか――。

 ここで、2つのマンガを紹介しよう。いずれも、加害者と被害者を単純な善悪で分けることのできない作品。人間の本質が鋭く切り取られており、マンガとはいえ、深く考えさせられるはずだ。

 『なにかもちがってますか』(鬼頭莫宏/講談社)は、「空間と空間を入れ替える」という不思議な能力を持った主人公・日比野光が、転校生の一社高蔵と出会うところからスタートする物語。日比野の能力に目を付けた一社が、あるとき「その能力で世の間違いを正そう」と持ちかける。その世直しとは、周囲に迷惑をかけている人間を殺すこと。最初のターゲットは「車を運転しながら携帯電話を使っている人間」。戸惑いつつも能力を発揮し、次々と人を殺していく日比野に対し、一社の要求はさらにエスカレートしていく。第2巻では「テレビでバカを売りにしているタレント」が標的に。どんどん過激になっていく2人の世直しと、それに葛藤する姿が描かれている。

 また、よりリアリティを持った設定で描かれているのが『予告犯』(筒井哲也/集英社)だ。こちらでは自らを「シンブンシ」と称するテロリストと、それを追う警視庁サイバー犯罪対策課の攻防が繰り広げられている。「集団食中毒を起こした食品会社」や「SNSで性犯罪を擁護する発言をした大学生」、「反捕鯨運動を繰り広げる環境保護団体」など、作中にばらまかれたキーワードはどれも現実社会で耳にしたことがあるようなものばかり。それらが作品のリアリティを高める要因となっているのだろう。「シンブンシ」が制裁を下す相手は、事件を起こし世間を騒がせた人物たち。その行為に賛同する者たちからの警察へのバッシングが巻き起こる場面もあり、一部で警察不信の声もあがっている現代社会を如実に切り取っていると言えるだろう。最新の第2巻では、「シンブンシ」の身代わりとして逮捕される者が現れたり、仲間のひとりが自首をしようとしたり、と、ますます目が離せない展開になっている。

 これらの作品に登場する加害者側の人間を擁護することはできない。しかし、被害者である“ルールを守らない人間”を心の底からかばえるかと問われると、素直にYesとは言えないのではないだろうか。何が正しくて何が間違っているのか。これを機に、「自身の正義感」と一度向き合ってみてもいいのかもしれない。

文=磯田大介(OfficeTi+)