あまりのせつなさに胸がつまる! 不器用すぎる思春期BL

更新日:2013/1/21

 12月25日に、小嶋ララ子の『きみにうつる星』(心交社)が発売された。この作品は、茨城の田舎に住む高校生・沼尻健二と転校生の七瀬和也の恋を描いたタイトル作「きみにうつる星」、吃音症の兄・トオルとその双子の弟・サトルが登場する「七度目のごめんね」や教師と不倫している高校生・佐伯が主人公の「恋の淡いの」、女装してハッテン場に通う瀬川とその幼馴染である高坂をメインにした「あふれたら最後」の4本が収録された短篇集になっている。どの作品も思春期の青い恋模様を描いているのだが、思わず応援したくなるような不器用でまっすぐな主人公たちがたくさん登場するのだ。そんな彼らの恋をより一層輝かせる魅力とは、一体何なのだろうか?

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 まず1つは、思春期特有の葛藤。たとえば、初めて恋をした「きみにうつる星」の健二は、自分から和也にキスしたくせに「オレら友達だっぺや」と言いだす。それなのに、和也を好きになった女子が彼にアプローチしてきたら「別にかずちゃんあんたの事好きでもなんでもないから」と言って突っぱねたりするのだ。田舎でゲイだなんてバレたら生きていけない。でも、好きになった和也のことは諦めきれないし、誰かに取られるなんて我慢できない。そんなまっすぐな思いを抑えようとしても抑えきれないのは、思春期の子どもならでは。

 また「七度目のごめんね」に登場するサトルは、吃音症のせいでいじめられて引きこもりになってしまったトオルを救えるのは自分だけだと思っている。そして、大学へは進学せずにトオルと一緒に家を出ようとするのだが、子どもの自分は何も知らないし、何もできないということを思い知らされるのだ。

 それに「恋の淡いの」の佐伯は、自分は別にゲイではないと思っているが、一目惚れした教師のことはどんなことをされても「全部いい」と思ってしまうし、「あふれたら最後」の瀬川だってハッテン場で出会った名前も知らない相手に夢中になり、彼を探すために毎日そこへ通っては他の人に抱かれる生活を繰り返している。恋は盲目というが、恋を知ったばかりの高校生たちならなおさら。大人な相手に憧れて、相手にいいように扱われても離れられない。生活の全てがその人になってしまい、冷静に判断することなんてできなくなる。本当は自分でもわかっているのに、止められないのだ。でも、その純粋さが痛々しくてかわいらしいのだろう。

 そして、大人の勝手な言い分や態度によって傷つけられ、それを上手くかわせない不器用さもまた彼らの魅力。エロ本を見ても男ばかりに目が行くことに不安を覚えた健二は、勇気をだして親に相談したものの「死んじまえ」と言われ、「七度目のごめんね」でも自分の思い通りにいかないことに腹を立てた母親がトオルの育児放棄をする。「恋の淡いの」で教師と不倫していた佐伯は、相手にひどい扱いを受けたあげく停学になっても親から「恥知らず」と罵られても黙って耐えた。「あふれたら最後」の瀬川も、大人の気まぐれでたった1度抱かれたばっかりに名前も知らない彼に夢中になってしまったのだ。

 恋をすれば、ダメだと分かっていてもまっすぐに突き進んでしまう。それが恋を知ったばかりの思春期の高校生なら、なおさら止められないだろう。でも、どんなに間違っても目の前に立ちはだかる大人たちに傷つけられたとしても、まっすぐに生きていく。そんな彼らの姿はとても輝いて見える。恋に不器用な人は、言い換えればとても優しい人でもある。そんな彼らの不器用な姿を見ていると、切ないけれど心がホンワカするはず。みなさんも、自分が思春期だった頃を思い出して甘酸っぱい気持ちに浸ってみては?