卑弥呼は焼肉を食べていたのか!? 古代の食事の謎に迫る

社会

更新日:2013/2/4

 時代とともに進化を続ける科学や文化。生活にもっとも身近な食事の調理というものも例外ではない。高級料理店では亜酸化窒素であらゆる食材をムース状にしてしまったり、はたまた一般家庭でも50度洗いにポリ袋調理など、生み出された奇想天外なアイデアが応用されている。逆に考えると、古代の食事というのは、乏しいバリエーションで、さぞや退屈なローテーションだったに違いない……と想像してしまう。

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 しかし、これは大きな間違い。『卑弥呼は何を食べていたか』(廣野 卓/新潮社)によれば、アワビやスッポン、カニといった現代の高級食材をはじめ、焼肉にチーズ、デザートまで、じつに豊かなメニューが“古代の食卓”を彩っていたというのだ。

 たとえば、日本の歴史上、もっともミステリアスな存在である卑弥呼の時代、中国に渡った遣魏使たちをもてなした当時の洛陽の料理は、まさに圧巻。豚や羊などの焼肉に、子羊を山桑のジュースをかけながら照りを出した「子羊の丸焼き山桑ジュース添え」や、香草を添えた「鴨の蒸物」、ほぐした鶏肉をヨーグルトソースであえた「鶏の酪和え」など、なんともグルメな品々が。山椒で香味をつけた「濃厚な食事の後口に爽やか」な飲み物などもあって、食事をする人への心配りも感じられる。こうした他文化と、“日本の豊かな海産物に恵まれた食環境”から類推すると、卑弥呼の時代は「海産物を中心とし、鳥獣肉をニンニク・ニラなどの香味野菜で風味づけする、和漢折衷の食の姿」が見えてくるという。

 が、卑弥呼はこのころすでに高齢。また、巫女である卑弥呼は「血の禁忌」から、肉を食べることは避けたと本書は推測している。ただ、海産物や海藻類を中心とし、バラエティ豊かな食材を少しずつ食べていたと思われる卑弥呼の食は、現代人も見習いたい長寿食であったに違いない。

 驚きの古代文化は、まだある。時は流れて古墳時代。日本最大の前方後円墳でもおなじみの仁徳天皇は、夏にはオンザロックで酒を楽しんでいたのだとか。冷凍庫もないのにどうやって? と疑問に思うが、「冬に池から伐り出した氷を貯蔵して、夏に利用」していたのだ。ちなみに熱燗が生まれた時代は不明らしいが、平安時代には五位以上の朝臣に酒を温めるための炭が支給されていたというので、このころには「夏はロックで、冬は燗」という、洒落た楽しみ方をしていたようだ。

 また、ヨーロッパ文化と思いがちなチーズも、日本で誕生したのは文武天皇の時代。朝廷はわざわざチーズのつくり方を諸国に出向き指導したほどで、「国家規模」でチーズをつくっていたという。チーズは栄養効果も抜群、便通もよくなり、口内炎や口角炎にも効く……いまと変わらない知識が、このころにも伝わっていたようだ。

 世界では食糧危機が叫ばれ、日本でも食料自給率の向上が大きな課題となっている現在。よりよい食事のために、人はいかに工夫してきたかを知ることは、あたりまえになっている食を、いま1度見つめるきっかけにもなるのではないだろうか。