ファミレスはかつて“夢の国”だった!? ファミレス今昔物語

ビジネス

2013/2/8

1月に発表された2012年の国内外食産業売上高で、ファミリーレストランが7年ぶりに前年を上回った。「業態が古い」「衰退の一途」といわれてきたファミレス業界だが、日本人にとっては身近な存在なだけに、さまざまな思い出があるはず。とくに年代によって、ファミレス観はきっと大きく異なるはずだ。

そのことがよくわかるのが、1月末に発売され『ファミリーレストラン 「外食」の近現代史』(今 柊二/光文社)である。まず、日本におけるファミレスの基礎を作り上げたのは、のちのロイヤルホストに通じるフランス料理店「ロイヤル中州本店」。1953年に誕生したロイヤルの創業者は、店舗数を増やすべく、69年にセントラルキッチン(集中調理工場)方式を採用。これがいまに続くレストランの産業化の第一歩だったといえよう。

 ファミリーレストランという言葉が生まれたのは、70年のこと。東京・国立に「スカイラーク1号店」をオープンさせる際、創業者と当時の日経流通新聞の記者が相談し、「ファミリーレストラン」という名称を生み出したという。このころ、戦後生まれの若い夫婦と子どもの家族は「ニューファミリー」と呼ばれ、「ファッションやライフスタイルに敏感」という特徴をもっていたこともあり、“ファミリーレストラン”なる名称は「カッコいい言葉」として受け入れられていたようだ。

 ファミレスは、平日は忙しい父親にとって、家族の絆を深める格好の場所であり、母親にとっては家事から解放される場所。子どもたちにとってはハンバーグにスパゲティ、さらにピザなどの当時は珍しかった物が食べられる夢のような場所だった。自家用車に乗って出かける、明るくてカッコいいお店……1970年代のファミレスは「家族で楽しむアミューズメントパーク」だったのだ。こうしてファミレスは人気を集め、74年には横浜・上大岡のイトーヨーカ堂内に「デニーズ」が開店。北海道の「とんでん」や、名古屋の「あさくま」、山口の「サンデーサン」、大阪の「フレンドリー」、九州の「ジョイフル」といった地方発のファミレスも続々と誕生していった。

 また、80年代に入ってファミレスは、その様相を変える。24時間営業店が増え、70年代に家族と利用していた子どもたちは歳を重ね、「食事もするが、友人や異性とじっくり語り合う場所」、すなわち「いる場所」としても利用しはじめるのだ。このころはまだファミレスに「きらめき」があり、深夜にファミレスに行くのは「晴れがましいイベントであった」と著者は書いている。

 しかし、90年代にはバブルがはじけ、92年には低価格を売りにした「ガスト」が登場。ドリンクバーが設置され、ますます「より安くいられる場所」度が上昇した。また、2000年代に入ると、ファストフードに親しんだ世代が親となり、その子どもたちは低価格のファミレスを、ファストフード店のように「未成年者だけで利用」するようになっていく。こうして、どんどんとファミレスは休日を家族で過ごす「ハレ」の場所から、日常の「ケ」の場所へと変貌。70年代にはあった「きらめき」や「ときめき」は、姿を消してしまうのだ。

 そして、いま。イタリア料理が手軽に安く味わえる「サイゼリヤ」をはじめ、格安の焼肉店や、アミューズメント性もある回転寿司など、ファミレスは専門化が進行中。さらに本書では、ファミレス的な場所として、ショッピングセンターやサービスエリア内にあるフードコートの存在も挙げている。

 ファミレスの起源に「デパート食堂」が影響していることは本書でも指摘されているが、ショッピングセンターのフードコート人気は、ファミレスの原点回帰のようにも思える。「きらめき」や「ときめき」を失ったとはいえ、家族にとって、食事をともにすることの大切さは時代を経ても変わらないもの。いま、この時代に対応する“新しい家族の外食”とは一体どのようなものなのか……それがファミレスにとってさらなる復調の鍵となるのは、間違いないだろう。