村上春樹「どうしてこんな変な話を思いついたのか、今となっては記憶が辿れない」

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/25

 村上春樹が4月12日発売する3年ぶりの最新長編のタイトルを発表した。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)というなんとも変わったタイトルで、内容はまだ明かされていない。

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 長編作『1Q84』(新潮社)が日本だけでなく、韓国や中国、アメリカでもベストセラーとなり、新作が発表されるたびに世界中が注目する村上春樹。そんな彼の初期作品として名高い「パン屋襲撃」「パン屋再襲撃」の2篇が、改稿されタイトルも新たに『パン屋を襲う』(村上春樹/新潮社)となって発売された。

 東ドイツ生まれの気鋭画家カット・メンシックのシュールレアリスティックな挿絵と構成されたアートブックの装いで、大人の童話のような雰囲気だ。

 村上春樹の作家デビューは、『風の歌を聴け』(講談社)で第22回群像新人文学賞を受賞した1979年。今回収録された「パン屋を襲う」は、元々「パン屋襲撃」という題名で1981年に『早稲田文学』に掲載された作品だ。作家生活3年目に入り、小説家業に専念しようとしていた頃に書かれたものだが、村上春樹はあとがきで「どうしてこんな変な話を思いついたのか、今となっては記憶が辿れない」と記している。

 たしかに不思議な話だ。まる2日水しか飲んでいない飢えた男2人が、突然思いついたように包丁を持ってパン屋に向かう。共産党員のパン屋主人を襲うことに僕と相棒は興奮するのだが、クロワッサンやメロンパンといったパン屋の様子が描写されることで、切実なような喜劇のような妙な雰囲気となる。

 それでいて、語り口は乾いていて、虚無的な印象だ。「神もマルクスもジョン・レノンも、みんな死んだ」という文章があるのだが、この小説はジョン・レノン殺害事件の直後に書かれたものらしく、切実な時代の気分を村上春樹はこの短編で表現しようとしていたようだ。

 続く「パン屋再襲撃」は、1985年に女性誌『マリ・クレール』(中央公論社)に掲載された短編。かつてパン屋を襲撃したアウトロー志望の青年は、法律事務所に勤め、ありふれた結婚生活を送っている。そんな彼が、真夜中に耐え難い空腹感を感じ、妻にパン屋襲撃の過去を話してしまうのだ。

 ここからの展開は村上春樹特有のもの。同じく腹を空かした妻は、パン屋の呪いを解くためにも「もう一度パン屋を襲うのよ。それも今すぐにね」と告げるのだ。村上春樹作品で描かれる女性は、いつでも直感に従い、予期せぬ行動で男性を翻弄する。

 僕と妻は古いトヨタ・カローラに乗って深夜2時半の東京をさまようが、そんな深夜に営業しているパン屋など見つかるわけもない。妥協して襲うことにしたのが、深夜も営業しているマクドナルドである。

 最初に襲った共産党員のパン屋主人、そして次に襲うことになったマニュアル対応のマクドナルド。マルクス主義と資本主義の対比のようにも受け取れるけれど、何か深い意味があるのだろうか。あるいは何もなくて、ただただ「空腹」という「不在」が実在するだけなのか。いずれにせよ、この世界を覆いつくすシステムに、「空腹」という身体的な欲求が暴動を起こしたようで、アナーキーな印象だ。実は、村上春樹はけっこう過激なのである。

 この「パン屋再襲撃」の夫婦は少し姿を変え、90年代の長編作『ねじまき鳥クロニクル』(新潮社)の世界で再び登場することになったと村上春樹はあとがきで明かしている。ちなみに短編集『パン屋再襲撃』(文藝春秋)所収の「ねじまき鳥と火曜日の女たち」(1986年発表)が『ねじまき鳥クロニクル』の原型となった。

 『ねじまき鳥クロニクル』の時代設定は1984~1986年。最新長編作『1Q84』の時代設定もタイトルどおり1984年だ。この80年代半ばという時代は、村上春樹にとって特別な意味を感じさせる。4月に発売される話題の新作を読む前に、『パン屋を襲う』で村上春樹のルーツを辿ってみるのもおもしろい。

文=大寺 明