『北斗の拳』武論尊が告白 「マンガ原作者はつらいよ」

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/23

「お前はもう死んでいる」という有名なセリフでおなじみの『北斗の拳』(集英社)。秘孔を付くときの「アタタタタタタタタ」という叫び声や「ひでぶ」「あべし」といった独特な断末魔は、今でも人々に親しまれている。そんな『北斗の拳』も、今年で誕生から30年を迎えた。

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そもそも、この作品は新人マンガ家である原哲夫と原作者の武論尊が出会わなければ生まれなかったもの。しかし、実は『ドーベルマン刑事』を4年近く連載し、『少年マガジン』や『ヤングマガジン』(ともに講談社)、『少年サンデー』(小学館)などでも連載していた武論尊に『北斗の拳』の原作の話が回ってきたのは、なんと3番目だったのだ。

そんな『北斗の拳』の創作秘話やマンガ原作者について、自伝風実録ノベルとして書かれているのが3月21日に発売された『原作屋稼業 お前はもう死んでいる?』(武論尊/講談社)。マンガ家の自伝やマンガはたくさんあるが、マンガ原作者ってどんなことをしているのだろう? 大変なことやマンガ原作者に必要なものって何なのか? 過酷なマンガ界で、原作者として長年生き抜いてきた武論尊だからこそ語れるエピソードが満載だ。

まず、この作品の主人公となるのはIT会社に勤めていたが恋も仕事もうまくいかないヨシザワ。そして、彼が飲み屋でマンガ原作者である武論尊と出会い、会社を辞めて弟子入りを申し込んだことから始まる。そんな彼に、武論尊が最初のお題として出したのは「不治の病の少女」というもの。マンガの原作なんて見たことも書いたこともなかったヨシザワが、必死に書いて編集者のところに持って行った原作も1回目は頭と終わりの2~3ページを読んだだけでパサッと閉じ「はい、じゃあもう一回」。「ダメとかイイとかっていうレベルじゃないね」とバッサリ。2回目も、原稿の最後の方をチラッと見ただけで黙ってタバコに火を付け「ヨシザワくん、ひどいね」と言われ、4回目にはコーヒーすら出てこなくなるほど。書き方もわからなくて落ち込んでいるところに「あれれ? へこたれちゃった? だめだよヨシザワくん、マンガはもっと明るく楽しくやらなくちゃ」なんて言われたら、さすがに辞めたくなるかも。

実際、武論尊が『北斗の拳』の原作を書いていたときも、担当のH君が気に入らないと黙って押し返されることも多かったよう。それに、第1章に幕を下ろしても休むひまなどなく、次週からすぐに新章をスタートするのでその原作を書けと言われたそうだ。本当に書くことが好きじゃなければ、きっとやっていけない仕事なのだろう。

そして、作中ではヨシザワも原作者として森村という新人作家と組むようになるのだが、そこでも自分が書いたものとは全く違う森村のネーム原作を送られ、続きを書けと言われたりする。「これが描けるなら、最初から原作なんて要らねえじゃん」と憤るヨシザワだったが、武論尊は彼に「お前がいるのはプロの世界だ」と語るのだ。「マンガは、マンガ家が描くモンだってことを忘れるな」。原作者は「マンガ家に動力を与えるのが商売だ」と言っているが、きっと武論尊自身もこんなふうに自分の思ったものとは違う原作を書かされたりして、憤ったこともあったのだろう。納得して、受け入れて、プロとしてやっていくまでにいろんな葛藤があったのかもしれない。

また、作中でブー先生と呼ばれる武論尊のシナリオは、編集者に「ただの作文」と言われるほどで「文章が上手いワケでもないし、字だってギリギリ判読できるぐらい」なんだそう。でも、面白さが伝わりさえすれば形式なんて関係ないんだとか。たとえ語彙力が豊富で、いろんな言い回しができて文章が上手かったとしても、そこから面白さが伝わらなければ意味がない。もしも、自分は文章を書くのが下手だし……と思っている人でも、諦めることなんてないのだ。原作者にとって必要なのは、文章の上手さではない。

それに、武論尊は40年原作者をやってきて学んだこととして「できるだけ自分で逃げ場所を作らねぇようにするってことぐらいだ。そうしねえと、オレみたいのはあまりに現実の自分の姿がこっ恥ずかしくて、逃げ場があるとモノなんか書けねえからな」と語っている。また、「荒波に飲まれた時に頼りになるのが友達で、冒険に立ち向かう勇気を掻き立てるもの、それが欲望だ」とも。

幾多の荒波を乗り越えてきた武論尊のもと、成長していくヨシザワの未来はどうなるのか この本を読めば、みなさんも武論尊に弟子入りしたくなること間違いなし。